【今回の内容】
啓蒙思想家が切り拓く新しい教育/対等を主張したジョン・ロック/ジェントリ層から始まる新たな主張/天才かつ変態ルソーの登場/社会契約で始まる教育へのヒント/波乱万丈ルソーの半生/尖った思想で注目を集める/より良い社会を目指すには/備わった能力を自然に発達させる/ルソーが生んだ「子ども」の概念/著作「エミール」の先進性/年齢ごとの学び方/自己愛から広がる他者への愛/あわれみの気持ちを持つこと/教育思想を受け継ぐ実践家たちの登場へ
樋口:はい、ええ前回まではルネッサンスそして宗教改革期における教育についてお話をお聞きしました。いやあ、ちょっと難しい話でしたね、前回は。
深井:もう一回まとめてみますか。
樋口:はい。
深井:軽くもう一回前回のまとめをすると、前回も前回の中でまとめたと思いますけど改めてまたまとめます。中世ヨーロッパの初期というのはローマが滅びてからはキリスト教的なOSを元として生きていた。信仰というOSで生きていた。古代ギリシャとかで行われていたような自然観察であるとか真理追求がスタイルが変わっている状態でありますよね。そこから大学が登場してきてイスラーム方面から古代ギリシャの古典の話がまた再輸入される。あらためて逆輸入ですね、もともとローマに蓄積されてたのがイスラームの方にいって、イスラームの方から逆輸入をされていて。それによってそこから段階的にキリスト教的観念と古代ギリシャ的観念の葛藤が始まっていき、大きい社会変革を宗教改革やフランス革命で起こすことになるまで段階的に社会を変えて来た。
樋口:ここ、段階的にってのがポイントという話をしましたね。
深井:そうですね、段階的にということをポイントにしないと意味がないんです、このコメニウスさんたちって。なんでこの人を紹介する意味がない。なぜ我々がここで紹介したかというとこの人たちがいないとこの後のルソーたちが出てこなかっただろうということなんです。ここで人文主義、つまりルネッサンスを司るような今までは人間にはそんな力はなく神をどのようにして理解していくかにたいな話だったのが、その人文主義というものが出て来てからは人間には理性で考える力がある、我々人間はそういうことを考えていくことによって良き社会もしくは世界の真理に到達しうるんだという自信が出てきたわけです。その自信によってエラスムスとかフランソワ・ラブレーとかあと、ジョン・コレットという人たちが既存のキリスト教の宗教教育みたいなものを否定し始めます。これはちょっとおかしいんじゃないかということを言います。その人たちがステップになって次のステップはルターがそもそも論を言ってカトリック教会を全批判し始めるんです。それによって一つの大きい要素が初めてここで出てくる。公立学校という概念がここで出てくるわけです。聖書、ルターが言ったのは聖書を読まないといけない。みんな聖書が読めるようにならないといけない。そうするとみんな読まないといけないのでその読むスキルを身につける。その読むスキルを身につけるための公立学校を作ろうという話を彼は夢を見たんです。実現はすぐにはしてないですけれども、そういうことを考えたわけです。そういうことを考える人が出てくるような思想転換点があったということですね。コメニウスが出てきて、コメニウスはこの人も人文主義をベースとしてあらゆる人にあらゆることを教えていく普遍的な技法というものを作っていったらいいんじゃないかということを思い始める。ちなみに図版とかを作ったのはコメニウスが初めて。
樋口:図版。
深井:図版というか図で説明する。
楊:ビジュアルで説明するというのが彼が初めて。
樋口:へえ。
深井:それまでテキストだった。テキストしかなかったけど図を使って世界を説明する。世界の説明をカリキュラム、抽象的なところから具体的なものを説明していくとか、そういう順番であるとか、そういうテキストの開発も彼はやった。
樋口:へえ。
楊:直感的な教育。
深井:そういうものをやっていって、教育がちょっとずつ変わってきた。だけどもここまではあくまで信仰というOSに基づいた信仰をよりよく信仰するためには何が必要かを彼らは言ってる。
樋口:キリスト教の中。
深井:キリスト教の中でよりよく生きるためにはよりよい信仰者となるためにはどのような教育が必要なのかを考え直した人たち。それは今までの修道士教育ではだめだろうと彼らは言ったんだということです。今日紹介するのはそれさえも覆してくる人たちです。
楊:突き破っていく人たち。
樋口:はい。
深井:そもそもですね、人文主義とかルネッサンスと呼ばれる啓蒙思想とかとも呼ばれる、そういうものが出て来て、もう一つ大きいキリスト教会が否定されるというのと、もう一つ国王が否定されます。
樋口:はあはあ。
深井:なぜ王様は人々を統治する権利を持っているのか。それは不当なのではないのかという考え方が出て来ます。これは後々フランスにおいてフランス革命を起こす一つの契機になります。王様が処刑までなる、王様が生きてるだけで王様であるだけで犯罪者であると言われてしまって、死刑になる、フランスで。その考え方の出発点になるようなことがここで考え始められるわけです。そういう考え方を提示した人がイギリスのジョン・ロックです。
楊:教科書にも出て来ます。
樋口:はい。
深井:後はスローです、フランスの。
樋口:来た。
楊:久しぶりのルソー。
深井:ここでも出てくるくらい彼は教育にも影響を与えているわけです。ジョン・ロックは民主主義の父とか呼ばれたりする。人間ていうのは身分に関係なくみんな対等である。どんな人間でも他者から生命と健康と自由、及び所有物というのを奪われてはならない。逆にいうと他者のそういうものを奪ってはならないという考え方が出て来ます。そしてその生命健康、自由および所有物を保持するという権利は、これは生まれながらにして人間が持っているんだと。これは人間が神から与えられて自然権であると彼が、ジョン・ロックがいうんです。
樋口:ついに来た。
深井:これ、いきなりすげえこと言ってるわけです。今まで、王様が神の権力を神から権力をもらって我々を統治していいよと言われていて、ある意味王様の臣下として全く対等ではない立場として生きていくのが当たり前だった人たちにジョン・ロックが人間は身分に関係なくみんな対等であり生命健康自由および所有物を奪われないという権利を全員が持ってる、しかもそれは生まれながらの神様から与えられた保証された権利なんだということを言うんです。これ人権の考え方の萌芽です。
樋口:人権ですね、これ。
深井:すざましい転換なんです。これが起こったのが何度も言いますけど大学の登場であるとかスコラ哲学の登場であるとか、その後にさっき言ってた前回紹介したエラスムスであるとか、そしてルターの宗教改革とか、そういうものが積み重なっていってついにジョン・ロックがこんなこと言いだした。
樋口:大変なことを言ってますね。
深井:大変なこと。
樋口:びっくりするだろうな、こんな言われたら。
深井:びっくりする。僕たちからしたら当たり前なんでわからないですけど、全く違うOSで、OSなんです、これ。つまり社会の基礎となる論理と違うことを言い始めてるわけです。この論理が通るのではれば社会を全て作り直さないといけない。今動いているアプリケーションを全部使えなくなってしまうようなことを彼は言い始めた。
楊:今までの権利とかは基本的に外から制限されて当たり前だった。天国に行けるかどうかも教会が決めてたし、どんな権力があるとか自分の権力を発揮できるかというのもさっき深井くんが言ったように王様とかが決めてた。それが自分の中にそういう権力があるのは当たり前だといういうふうに言ってたら、これはほぼ反乱というか革命に近い。
樋口:革命ですね。
楊:お前のところにないんだぞと言ってるのと一緒。
深井:それにまさに抵抗権ていうのも主張してる、抵抗していいよと言ってる。それを守るためには、自然権を。ジョン・ロックが生きた時代てのは、まずなぜ彼がそんなこと言い始めたかというのはさっき言った思想の連綿と続くステップとうのもありますし、もう一つは彼はイングランドの歴史を説明した時に出て来ましたけど、彼はジェントリーと言われる中産階級なんです。フランスでいうブルジョアジーみたいなお金持ちの家系、家庭なわけです。彼らは貴族ではない、下級貴族であったりはするけど貴族ではない層であるので、自分の資産とか自分の才覚とか努力とかで人生を切り開いていくという立場にいる人たちだった。あぐらをかいては生きていけない人たちだった。そういう人たちが国王権力によって財産を強制的に取り上げられたりとか、そいういう状況が発生していた時に彼はこの話をしている。つまり人間はとは言ってるけど、自分たちジェントリーのことを指しているといっても過言ではない。
楊:出発点はそこ、自分たちの財産権を守るためというのはあった。
深井:ロックの同時期にニュートンとかがいますね。なんで科学革命の時代でもあったわけです。だからものすごく考え方が変わった時代。17世紀ですね、1600年代です。このロックはこの考えに基づいた場合に教育がどうなるかということも彼は言っています。
樋口:へえ。
深井:ロックは人間精神白紙論というのを唱えてる。それは人間というのは正しく人間が物事を観察さえできれば、自らの知的能力で真理に到達することは可能である。
樋口:ふうん。精神が白紙というのは白い紙。
深井:そうですそうです。まず人間にはそうやって観察するという能力があれば物事の真理に到達することが可能だというのがまず前提にあって。そして観察するときに偏見とか先入観ないっていう状態でものごとを歪めずに見ないといけないよねということも彼は言ってます。そして、ただ人間の精神というのは誕生したときには何も書かれていない白紙の状態で、そこに徐々に知識が書き込まれていくんだと。ここに正しい知識が記入されていけば非常によい状態になるんだけど、逆に間違った知識が書き込まれていくとそれはよいことではない。ではどういうタイミングでどういう情報、どういうふうに渡していくといいのかということを彼はかなり細かく語ってるんです、この後。それ細かく説明しててもあまり学びがある領域ではないので、特徴だけ伝えます。彼は教育に関する考察という本を書いていて。この中でジェントリーはこのような教育を受けるべきだという話をしてるんです。
樋口:ほお。
深井:これはあくまでジェントリーという階層の人たち。この階層の人たち向けにこのような教育があるとよかろうという話をしてる。
樋口:へえ、主語はジェントリーなんですね。
楊:そう。
深井:対象が。
楊:社会性とか使える知識を備えた教養人という意味で彼は使ってます、このジェントリーというものを。
深井:人権の概念は唱えつつも、それはみんなにあるというのはいいつつも教育の関しては現実的にはジェントリー層を対象として教育をする必要があるよねと言ってるので、それはそうだよねということを言ってます。
樋口:ふうん。そこは限定的なんですね。
深井:そうですね。この後にルソーが出て来ます。
樋口:きた。
深井:ジョン・ロックが亡くなった後にルソーていう天才かつ変態が出て来ます。
樋口:変態でしたね。
深井:今日も彼の人生おさらいで喋りますけど、やっぱりすごい人なんですね。この人はものすごいことを言い始めるわけです。さっきジョン・ロックは我々の人権というのは、人権とは彼は言ってない、自然権というのは神から与えられてるという話をした。ルソーはそれは神から与えられてるわけではないと言ってる。彼が言ってるのは社会との契約であるんだ。社会と契約してそういう権利を自分たちは持っているんだという話をします。だいぶ宗教から離れた。
樋口:離れましたね。神という言葉が今出て来てない。
深井:これは神さまがいようがいまいが社会がある以上はその社会で権利があることになる。いようがいまいがとは考えてないでしょうけど。神様いかんに関わらずそうなんだとうことになります。そしてルソーはみんなの意思を持ち寄ることでみんなの利益になるような合意をみんなで見出しあって、それにのっとって社会を統治する必要があるんだと。みんなの意見を出し合ってみんなで合意形成することがとっても大切なんだと。多数決と言うのは別に最適な解を導くものではないけど、その多数決によってみんなが納得したということがとても大切だということをいうんです。
楊:コンセンサスだよね、コンセンサスを形成していきましょう。
深井:まさに今の民主主義の概念のベースになることを言ってますね。
樋口:ですね。
深井:対象が全員なんです、この社会の構成員全て入るんです、これ。
樋口:人間全部。
深井:全員です。貧乏でも金持ちでも生まれがどうでも人種がどうでも基本的にはこれ全部入る。彼は良き社会とは何かを考え直した、改めて。そして人間とはどうあるべきかということを考え直した。そして人間とは何かというのを考えたからさっき言った社会契約論の中で自然権があるということも考えた。理想の社会はそうであろう。じゃあその社会を実現するためにどのような教育が必要かということも本を書いたんです。この本がこの後すごいことになってくるんです。この本を書いたことによって、エミールって本なんですけど、この次の、次回説明しますけど、この次の時代に教育実践者が現れて来ます。ルソーもジョン・ロックも教育ってこういうやつをやるといいよねと言ってるけど本人は教育もしてないし、フランス革命の時に言いましたけどルソーはなんなら自分の子供5人とも孤児院に送ってますから。
樋口:はいはい。
深井:子供の人権と子供がいかに大切か、子供をいかに大切にするべきかということを彼はものすごく主張するんだけど、自分はしてないんです。だけども、この後この思想を読んだ人が自分でやったろってやる人が出てくる。
楊:実践する人が。
深井:この人たちが近代教育を作ったんです。幼稚園とか作ったのもその次の世代の人なんですけど、次回、説明しますけど、ペスタロッチという人とかフレーベルという人とかですね、そういう人たちが出て来ます。その礎となることをルソーが言ったことになるんですが。ルソーの人生が、時間も空いたのでちょっとおさらいをしたいんですが。1712年にフランス語圏のスイス、ジュネーブですね、の時計職人の次男として生まれます。母親はルソーが生まれてすぐ亡くなってしまいます。これをルソーは自分のせいで母親が亡くなってしまったと思い込んで、その罪悪感をずっと抱えて生きていくことになります。幼い頃は父親とともにたくさん本を読んで育つ。父親が読書を重視してくれていたんですけれども、この父親が暴力事件を起こしてします。そしてこのジュネーブという都市から蒸発してしまう。すでに兄も家を出ていたのでこの時点でルソーが急に孤児同然となって残されてしまいます。
楊:ハードモードだね。
樋口:きついね、これ。
深井:牧師の家に預けられてのちに彫刻職人の弟子になる。ここで親方から散々殴られるというひどい教育を受けるんです。
樋口:ひどい。
深井:すごく嫌になって15歳の時にジュネーブの市街からの帰宅が遅れて市の閉門される、時間になると。そこに間に合わなくて帰れなかった。帰れなかったらまた次の日にめちゃくちゃ親方からぶん殴られるというのが想像ができたので、それが嫌でジュネーブを出奔します。
樋口:飛んだ。
深井:放浪のたびに出ます、15歳で。いくところがなくて。
楊:不良少年でもあった。盗みとかしてた。
深井:生きていけないからね。ここから貧しい放浪生活に入るんです。生きていけないので途中カトリックに改宗してご飯もらったりしなかが生きてます。それくらいギリギリというか、限界のところであれするんですけど。その後フランスの方にいったルソーはカトリック教会の神父の、カトリックに改宗したからね、神父の紹介でヴァランス夫人に出会います。13歳年上の非常に美人、美人とは書いてない、自分がイケメンだったから愛人になれたと言ってる、ルソーは。実際にルソーはすごいモテたらしいけど、この夫人の愛人になります。愛人になりながら夫人の邸宅に図書室があって、そこにめちゃくちゃ本があったんですって。ここで彼は独学で知識を得ていきます。
樋口:へえ。
深井:音楽などの知識もつけていって、実際音楽家を一時期目指して。結んで開いてっていうあれはルソーが作曲したオペラ。
樋口:知らんかった。
楊:読書家でもあったし。
深井:このヴァランス夫人の元に30歳くらいまでいるんですけど、このヴァランス夫人がより若い違う人を愛人にしたことによって彼女の元を離れることになります。家庭教師になるんですね、家庭教師になるんですけど子供がうまく理解できないと怒鳴るなどして一年でやめることになります。たぶん頭が本人よかったんでしょうね。
楊:天才タイプ。
深井:なんで理解できないんだよってたぶん怒鳴ってた。この時家庭教師として雇ってくれた人の弟が啓蒙主義哲学者だったりしてそこで知的な刺激とかも受けながら、この後思想家としてデビューします。38歳で論文発表したやつが入選、コンペティションで入選みたいな形で社会からめちゃくちゃ評価されるんです。これが学問芸術論てやつなんですけど。ここで書いてあったのは文明が人間をだめにしたんだみたいなことを言っていて。それもセンセーショナルな思想なんです。当時文明が人間をよくしてるんだとみんな思ってたんです。我々もそう思ってる。
樋口:思ってますね。
深井:彼は文明が人を堕落させたんだと。
楊:逆張りがいいね。
深井:上流階級の思想家とかも交流ができるようになるんですけど、一方で上流階級に対する違和感も持ち始めるんです。
樋口:ほお。
深井:めっちゃファンもできるしめっちゃアンチもできるという尖った思想家として登場してくるわけです。ルソーが重視したのは自然の法則に従っての教育と呼ばれるやつです。これは自然人、自分のために生きている存在ですね。自分の利益、自分がやりたいことのために生きてる状態の人。これに対応した人として社会人。社会を構成する人間としての存在。他者のために生きているていう状態ですね。この自然人と社会人、このバランスが大事だよねというのがルソーが言ったこと。
樋口:バランスというのは一人の中にその二つの性質がいる。
深井:どっちの要素も必要。人のためだけに生きて自己犠牲するというのもおかしいし、人のことを考えずに自分のことだけを考えて生きていくというのも良くない。この自然人と社会人、この二つの要素、一見矛盾している二つの要素を自分の中に内在させることができる人間を目指しましょう。これが社会契約論においての理想的な良き社会を構成する人間に求められるものだということを彼は考えたんですね。
樋口:ほお。
深井:自分のこともちゃんと考えてる。そして人のこともちゃんと考えてる人が社会で集まればいい社会ができるということを彼は言ったわけです。どっちかに偏ってるとおかしくなるぞというのが彼の言ってることなんです。とても示唆に富むことを言ってる。
樋口:めっちゃ正しそう。
楊:今のぼくらからみてすごい馴染みのある考え方。たしかにそうだと思います。
深井:そして、こうも言ってます。ルソーは人間には正しく生きる能力も、またそのような能力が自動的に発達開花していく力も生まれながらに備わっている。全員その可能性を持っているんだということを言ってる。
樋口:優しい。
深井:これも非常にこの考え方のタイプの人とそうじゃない人で全然教育方法が違うから。公教育とかもこういう思想がないとならないですよね。スパルタとかは選別して殺して教えてるわけですから。誰もが開花させる可能性があるんだという考え方はすごい転換点なんですよね。
樋口:今までこっちがマイノリティだったんですね。
深井:教育にとって重要なのはもともと彼らが持ってる発達開花の能力とか過程を阻害しないことが大事なんだといっている。
樋口:いいことを言ってる。
楊:子供のあるがままの可能性を阻害せずに教育するということ、彼が言ってたのは。
深井:そうなんです。
樋口:この通りだな。
深井:ということとかを言い出します。例えばですけど、その当時子供の存在が発見されてけっこう経ってる時代ではあるものの、母親は自分自身が世話をするわけじゃなくて、乳母とかに乳児の世話を任せて、前言ったように乳児を布でぐるぐる巻きにして壁から吊るすみたいなことをしていたわけです。これもルソーのさっきの論理からすると人間はもともと正しく生きる能力とそれを自動的に発達開花していく力を持っているので、阻害しちゃだめなんです。手足を縛るってのは阻害してるんだと。そんなことをしてしまうと苦痛しか生まれない。赤ちゃんてのは快楽か苦痛かってことしか最初は感じられないだろう。それがどんどんもっと複雑な感情を持つに至るけど最初は快か不快しかない。その快か不快しかない時にちゃんと快なのか不快なのかということを理解させてあげるように対応して教えてあげないと彼らの発達するべきところが発達しないので、とにかく布でぐるぐる巻きにするのはやめれという話をする。
楊:やめて自然な運動をさせろとか、感覚に栄養を与えて感覚をちゃんと育てるようにするとか、そういうことと言ってる。
樋口:はあ。
深井:そうなんです。急いで多くの知識を無理やり詰め込もうとするという促成栽培もやめろということを言ってます。そして一人の子供を自立した人間として、さらに自由な社会を担っていくことができる人間として育てなさい。めっちゃいいこと言ってます。
樋口:これは近代ですね。
深井:そうなんです。僕たちがそれをOSに生きてるからいいことを言ってる感じるんだと思う。
楊:それが今の当たり前になってるから。
深井:それを理想としてる社会に生きてるからね。
樋口:そうか。
深井:これはすなわち名誉や富や権力といった社会的な評価で測るのではない。自分を測る基準となく軸を自分の中に持たせろ、同時に他者への共感能力に基づいた公共性を持ちなさいという話をしてることになります。めっちゃいいこと言ってる。
樋口:そうですね、その通りぽい。
深井:それを持った上で民主的な社会の一員としてお互いの意見を出し合いながらみんなの利益となることを合意形成ができるというルールを作ればよい社会ができるであろう。
樋口:そうだそうだ。その通りだ。
深井:誰。
樋口:俺。
深井:民衆。
樋口:その通りだ。
深井:そうなんです。
楊:あのルソーからこういう考え方が出てくるのってにわかに想像しがたいですけどね、歩いてきた人生とさ。
深井:ねえ。露出狂だし。
樋口:露出狂の話あったな。
深井:露出狂だし、町娘にちんちんみせて喜んだりとか。ヴァランス夫人と近親相姦みたいな話をいったりしたらしい。
楊:それが彼にとっての気持ちよく生きやすい自然本性だったかもしれない。
樋口:自然人。
楊:彼の自然状態。
深井:言語化として言語で子供というものを意識しなさいと言ったのは彼なんです。それまで段階的に子供という存在は子供の回に言った大学の登場とかによって徐々に意識をされつつあるものの、やっぱりそうやってぐるぐる巻きにして壁に吊るすみたいなことまだしてた。彼が子供というのは決して小さい大人ではないんだと。子供は子供自身の特性を持っており、子供自身の権利を教育者に要求するんだ。だから子供ための教育ってのを考えないといけないよ、と。そしてそれをすることによって社会に必要な構成員として育っていくであろうということを言い始める人が出てきたんです。
樋口:なるほど。
深井:これみんなめっちゃびっくりしたんです。
樋口:めっちゃびっくりするんか。
深井:すげえことを言ってるから。
楊:教育の中心に子供を据えるんです。彼らの自然な発達を邪魔せずに教育のシステムを作ることが大事とルソーは言ってるし、なおかつ子供は子供で大人と違うんだよ、大人と違う独自の成長過程とかものの見方があるからそれに合わせなさいよと言ってる。
樋口:へえ。
深井:すごい。
楊:全然今までの教育の目的と違う。
樋口:全然違う。
深井:いきなり今の考え方に一気に近くなってる、ルソーで。だからこれを聞いたフランス革命を起こした人たちが開花していくんです。気づいていって、フランス革命を起こす。
楊:すごいね。誰かがビジョンをいうのが必要。
深井:今までステップがあった。あのステップを踏んでそしてちょう言語化するこの人が出てきたから、うわってなった、みんな。よっしゃあってなった。
楊:ぼくもこれ勉強してて思ったのはルソーはいっぱいいたと思う。いっぱい彼のように生きづらさを感じた人もいただろうし天才タイプもいたと思う。でも思想だけじゃなくて思想を体系化してロジックで全部説明して発信できる人が揃ったときにそれが思想家として開花していくという条件が必要、それがルソーだった。だからちんちんだけの人じゃない。
樋口:それはそう。
深井:実に偉大だと思います。改めて社会契約論とか読みましたけど、すげえなと思います。すげえことが書いてある。彼が思考した教育ってのはめっちゃ具体的に書いてある。エミールという書物の中でエミールという男の子を育てるという過程においてこういう風に家庭教師が育てていくんだということが書いてある。架空の男の子。その中で理想的な教育ってのを彼は提唱してる。誕生から2歳くらいまでの話し始める時期。この時期は子供が親に依存してる時期ですね。さっき言ったみたいに五感が未分化で快、不快の感覚しかないという風に彼は思っている。実際どうかわからないですけど彼はそう思っていた。ルソーは親が子供から、子供がヘルプ出してくる、泣いたりとかなんかしてとかいうこといってくるやつが気まぐれな要求なのかそれとも自然な要求なのか。これを見極めなさい。そして気まぐれな要求には答えないようにしなさい。わがままを許さないということになる、そしてそういう習慣も付けさせないようにする。だけど自然な要求にはしっかりと答えてあげるようにする。
楊:だから親側に育児スキルをちゃんと身につけろよと言ってる。
樋口:そういうことだ。むずいこと言ってる。
深井:育児スキルの概念なんてないから。
樋口:当時ね。
深井:布でぐるぐる巻きにして縛ってる人たちだから。吊るしてる人たちだから。育児スキルのくそもない。
楊:育てることもしてない。
深井:いきなりこんなことをルソーが言い始めるわけです。親子の情愛もすごい大切であるということを言っています。これも当時の上流階級の人たちはものすごくびっくりするんです、この考え方に。
樋口:そうね。
深井:そんな感が方あるのってびっくりするわけです。次は口がきけるようになってから12-3歳くらいまでの時期。保育園幼稚園児から小学校卒業くらいまでの時期。この時期にあんまり賢しらしいことを教えるなと彼は言ってる。それは面白かったんですけど、不確実な未来のために現在を犠牲にするような教育はよくないと言ってる。つまり、将来に備えて今を犠牲にするようなことをしなさんなと言ってる。つまり今を楽しむような、今楽しいと思えるような育て方をしろと言ってる。
楊:新しいですね。
樋口:へえ。
深井:だから塾とかに入れてつまんない毎日を送らせたりするなとなっちゃいます。
楊:子供のエネルギー一番最高に発揮できるような状況をできるだけ与えるということかもしれない。
深井:教育というと将来のことばっかり考えて能力を早く身につけようとさせるかもしれないけど、そういう先見の明が逆に人間を不幸にすることがあるんだと。子供はそういう束縛に囚人のように属させられてしまう。どうせ死亡率も高いんだから今を楽しませてあげようよという話をするんです、ルソーは。
樋口:おお。
楊:伸び伸びな教育ですよ。
樋口:いきなりそんなこと言うんだ。
深井:もちろんその前のコメニウスたちももっと自由な遊戯を重視したりと言ってるんで彼だけが言ってるわけじゃない。
楊:ずっといろんな人がブラッシュアップして発信してるという状況です。
深井:彼は思いっきりそういうことを言うわけです。
樋口:すご。
深井:振り切って言ってるわけです。なんせこの後逮捕されそうになる、こういうことを発表したことによって。そしてこの時期の子供に道理を説いて聞かせることは意味がない。それは理性的な判断能力はまだそんなに備わってないわけだから理屈でわからせようというのは意味がないと言ってます。ちなみにルソーが言ってることが正しいよって紹介してるわけじゃない。ルソーはこういうことを考えたよと紹介してます。みなさんもこれを取り入れてもいいし取り入れなくてもいいです。いいなと思ったら取り入れてください。
楊:躾も時には大事ですからね。
樋口:まあね。
深井:ルソーが完璧な人間なわけじゃないので。だけれどもこの時期から道徳教育を始めようということを言ってます。この時期の教育として非常に面白いのが知識を教えたり頭で考えさせたりということはまだ早いと言ってる、12-3歳でも。そうではなくて体で感じ取る能力を育成しろ。正しく考えるためには正しい情報に基づいて考えることが必要なんだけど、正しい情報というのは身体の感覚器官が正しく働かないといけない。その感覚器官を育てるということをこの時期にちゃんとしなさい。ということを言ってます。
樋口:はいはい。
深井:エミールという書物には引用します、こう言うことが書いてあります、私たちのうちに最初に形作られ完成される能力は感官である、感覚であるということですね。感官を、感覚の官僚の官に感覚の感です、あ、逆ですね。感覚の感に官僚の官で感官て書いてあります、感官を訓練することはただそれを用いると言うだけではない。感官を通して正しく判断することを学ぶことであり、いわば感じることを学ぶことだ。私たちは学んだようにしか触れることも見ることも聞くこともできないからである。と言ってます。これも示唆に富むな。
樋口:やばいですよ、これ。
深井:そうなんですよ。
樋口:へえ。
深井:その次の教育、12から15歳の時期は好奇心による研究の時期であるということを彼は定義している。この時期になって知識を学び判断することの教育が開始されます。子供に問いかけて考えさせるということを何回も繰り返してやっていく。で、その自然科学などは基本的には実験の中で学びなさい。つまり実際に例えば動物について学びたかったら動物のところにいって動物に触れたりして学ぶとか、重力について学ぶためにもしくは水の動きを学ぶために川に行きなさいとかですね、そういう学び方をします。これは実際の経験を通じて学びなさいということを言ってます。この頃には感覚器官をちゃんと訓練したあとなので、そういうものをしっかりとインプットした状態でそのインプット咀嚼するという段階に移れるよと言ってます。例えばですけども、なぜこれを学ばないといけないのかというこことも本人が気づくように教育しなさい。と言ってます。これ、難しいんですけどね、例えばですけど、なぜ方角をしらないといけないのか。地理の勉強をする時になぜこれが北にあることを知らないといけないのか、ということを教えるためにわざと道に迷わせるとかそういうことをしてます。してますというのはエミールという本の中で架空のエミールという少年に対してしてます。彼は孤児院に入れてますよ、子供は。たぶんすごく後悔したんだと思いますね。孤児院に入れたことを。子供に対する愛情はすごく強く持ってたように思います。
楊:そうね。これだけ。
深井:こんなに考えてるから。
楊:考えてるから、それだけ子供を細かく観察して見てるということなんですよね。
樋口:なるほど。うん。
深井:あとは労働というものが何かとかですね、社会というものがどういう相互依存で成り立ってるかを教えるために実際の出来事を見せて失敗させて学ばせるということをたくさんやってます。ただし失敗させるというのは実は裏で大人が演技したりしてて、仕組まれた失敗だったりする。
樋口:はあ。
楊:本当に体験を重視してる。
深井:すごく体験を重視してます。
楊:今までのキリスト教の中での当たり前というのは、別に個人の体験とかどうでもいい。とにかく聖書を読め、覚えなさい。個人の体験とか感覚とかは間違えといってもいいくらいの立ち位置だった。
樋口:という話ありました。
楊:これを感覚という体験に重視し始めたということを彼は言ってる。
深井:この15歳までのステップの段階でやっとこうやって実験とか社会について学ぶ機会を得ているわけですが、この時点ではまだほとんど知識がない。なんせ12歳くらいまで感覚ばっかり鍛えてますから。しかし、この時点においてはすでにこの少年エミールはわずかな知識しかないんだけど、自分で考えを進めることができるようになってるはずだ。これが大事なんだということを言ってるんです。この状態になった人間に知識を与えないといけないんだと言ってる。
樋口:なるほど。
深井:で、20歳までの時期ですね。この時期になると判断と情念、たとえば性欲とかそういうものが出てきます。別にこの前から出てると思いますが彼はそのように考えました。世の中の理りみたいなものを理解しながらついにこの時期において、20歳までの、15歳から20歳までの時期にいわゆる自然人と社会人の葛藤を克服していく時期としてここを位置づけてます。15歳くらいまではいわゆる自然人としての主体性を育てる時期。自分のために生きるということに特化させていた。15から20歳まではそれを社会とバランスをとりなさいということを教える時期として彼は位置づけています。この時期に人間というのは自尊心が出てくる。しかしこの自尊心を自尊心に持っていくのではなくできるだけ自己愛に軸足を移しなさいと言ってる。ここで自己愛を軸足に移すことによってそれが他者への愛情に繋がっていくんだということをルソーが言ってる。
楊:ここで利他の気持ちを説いていく。
樋口:へえ。
深井:でもそのベースは自己愛なんだということを言ってる。
楊:まず自分を愛せること。
樋口:自尊心と自己愛の区別も付けさせたってことですね。
深井:そういうことです。ここすごく大切です。
樋口:ここ、そうとう凄いな。
深井:そうなんです。そこすごくて。自分にプライドを持つとか自分を強く見せるとかそういう問題ではなく、純粋に自分を大切にしたりとか愛したりとか自分の主体性を持ちなさい。それを今度は他者にまで広げて行くということをこの時期にやっていくっていうので言ってます。ちょうどこの時期にはでも自尊心が出てきてしまう時期だから葛藤があるはずだ。今まで自己愛を育ててきました、15歳まで。自尊心も出てきます。この自尊心と自己愛を分けて考えされるようにして、この自己愛を拡大させていくことによって自分に対する哀れみの心を人類全体にまで伸ばす。それによって共感する気持ちを育てなさいというのが彼の教育論なんです。
樋口:ははは。
深井:それは人間の弱さや苦しみに対する共感力からしかお互いを助け合う気持ちってのは出てこないから。自分の弱さを含めて愛せるような存在になり、その弱さがあるからこそ幸福を感じられるという状態になっていくんだということを言ってる。
楊:弱さでさえも自己肯定していくってこと。
深井:ここの論理もまたすごくて、やっぱり論理の人なんです、彼は。別にいい人間の話をしてるというよりはロジックシンキングでここにたどり着いてるんだけど。倫理的な話をしてるわけじゃない。だいぶ時間過ぎてますけど、面白いんでもう少し喋りますね。哀れみの法則と言うのを彼は喋ってる。人間は自分よりも幸福な地位の人に共感するってことはできない。自分よりも哀れな人の地位に自分を置いて考えることができるだけである。一見幸福そうな人が惨めな面を持っているとかそういうことを理解することで自分よりも幸福そうな人たちに対しても共感力を持つことができるんだ。
樋口:なるほど。
深井:後は自分の身にも降りかかるかもしれない他人の不幸を哀れむこともできる。これは自然災害とかですね、あとはホームレスとかも自己責任とか言ってたら共感できないけど誰にでもホームレスになる可能性はあるよねと思えるようになると人は共感ができるようになる。
樋口:たしかに。
深井:共感の法則の話をしてる。一つ目の法則は自分よりも哀れな地位にあると自分が認識する人に対して共感ができる、その逆はできない。そして自分の身にもそれは起こりうるなということをやっている人にも哀れみを感じることができる。そしてもう一つの法則がある。他人の不幸に対して感じる哀れみの感情というのは不幸な人が不幸そうだから不幸だなと思うわけです。不幸そうな境遇にいてもあっけらかんとしてたら別に憐れんだりしない。けど、本人がつらそうだなと自分が認識すると哀れみの心が生まれてくる。
楊:ちょっと細かいところで違うかもしれないけど、孟子の惻隠の情みたいな感じだろうね。孟子ってのは儒教の思想家なんですけど。やっぱり惻隠の情というのが彼が言ってて、哀れに思う気持ちとかかわいそうと感じる気持ちを彼は説いてるので、そこが似てるなと思いました。
樋口:惻隠。
深井:ググって見てください。
樋口:はい。
深井:ここでルソーが言ってるのは哀れみの心が発動する条件を論理的に分析してみたらこうだったということを言ってるわけです、彼は。相手が不幸そうな感じだなと思わないと哀れみにならない。後は自分が敬意を払ってる相手じゃないと哀れにならないんです。この軽蔑してる人間が不幸になっても哀れだとは感じない。
樋口:それはそうかも。
深井:ていう発動条件があるよね。この発動条件が全人類に対して作動するようにしないといけないよねってことを言ってる。ということは全人類に敬意を払いなさいということを言ってる。例えばですけどそういうことになります。後は自分の身に降りかかるかもしれないと思いなさいということになります。
楊:確かに普段僕らが相手の立場に立って考える、相手の立場を想像して思いやると言うけれども、とてもルソーからしたらとても彼の考え方にフィットするようなことかもしれない。
深井:そうね。後は社会について知りなさいという話もしてる。人間を通して社会というものを研究しなければならない。そして社会の秩序を守る、知るためには社会の中に存在する様々な不平等について知りなさい。この不平等な社会の中でひどいことがいっぱい行われてるんだけども、どんな人でも綺麗な心はちゃんと残ってるから、その心の可能性を信じていこうぜって話。
樋口:へえ。そう。
楊:ルソーが言えるの凄いね。
深井:人生紹介したのなんでかというと、あの人生を辿って最後うつ病みたいな感じになって死ぬ人がこれを言ってる。面白いですよね。
樋口:面白いな。
楊:心の叫びだったかもしれない、彼の。
深井:そうだね。自分の子供時代にやってほしかったことを言ってるんだと思います、このエミールでは。あとは自分の子供にやりたかったことを言ってるんだと思います。
楊:でもそれが実際は彼はできなくて彼の中に悔いがあってこう言った思想を言語化したのかもしれない。
深井:また、上層階級とかの人たちを馬鹿にしてたというか、ちょっと軽蔑してる。軽蔑したらだめだって話したばっかりだけど、よくないなと思ってた。そういう反発心もあったと思う。ルソーがめっちゃすごいことを言った、今。え、っていうようなことを言いました。
樋口:どんて、急にそんな進化したみたいな。
深井:めっちゃ進化したことを言った。これによって子供というのは子供固有の世界があるというのが認知されていきます。そしてその子供の世界における固有の必要性が満たされることによって大人になってから豊かな人生を歩むことができる。つまり15歳までは自然人の教育をすることによってこういう判断能力が備わってこうなるとか。そういうことが認知されるようになる。だからめっちゃこの後これを読んで衝撃を受けた人たちが教育をし始めるんです。それはそうだよね。これ見て衝撃を受けて教育をしちゃうよね。
楊:ちょっとやってみたいよね。
深井:やってみたい。
楊:やってみようと思う人が出てくる。
深井:どういうことってなる。すごい転換点を彼は提示しちゃった。フランス革命も起こるよね、これほどのことを言い始めると。ということでこの後フランス革命が起こりながらこれを実践する人たちが出てきます。この人たちがまたすごいんですよね。人生をかけてなんのメリットもないのに子供の教育のために全集中するみたいなことをする。それでめっちゃ変わるんです、教育が。ていう話が次回かな。
樋口:すげえな。なんか相当今の状態に近いですね。今言われてること。今言われてるけどまだあんまり組み込まれてないことも言ってるし。
楊:日本とか中国とかの今の教育制度ってもともとアジアで流れてた教育概念も組み込まれてますからね。だから完全にルソーの方に振り切ったわけではない。
樋口:そうかそうか。これが正しいわけではないですからね。絶対に。
深井:自己愛がないと他者愛ができないってのはすごい共感します。個人的にはすごく共感するし、そのバランスが大事なんだってのはものすごく共感します。
樋口:子供に問いかけて考えさせるとかね。こんなまさに今最先端の日本の教育の現場で言われてるようなことだと思う。
深井:そうですね。それは社会の構成員である良き社会を構成する人間がみんなポテンシャルを持ってて。ポテンシャルを持ってるから人民が主権を持つ。人間てのは全部ポテンシャルを持ってるわけだから。教育さえうまくしたら本当にいい社会が作れるんだと思ってるからこういうことを言い出す。その希望がすごいよね。もう少し現代でも別に諦めてる人がいる。人間て馬鹿だからって。僕も気持ちがわかります。ここに希望を見出してる人がいたことによってこのように展開していくのも面白い。そして実践されてないし、たいして。
楊:確かに。彼の人生を見てると世の中に対して恨みつらみを書いてもよかったと思う。そうじゃないと言うところが彼の偉人なのかな。
深井:ちんちん出すことによってストレスを解消してた。
樋口:ああ。
楊:そうかもね。
樋口:いやあ。後、俺が思ったが、人それぞれ能力があって選ばれしものだけが育つという思想よりも、全員が可能性があるって思想の方が応援したくなるんです。
深井:そうですね。
樋口:どっちが正しいかって結局神のみぞ知るですけど。
深井:自分にもみんな希望を見出せる発想ですよね。だから市民革命につながるのはやっぱり彼が全人類を対象としたことを言ったから。これがジョン・ロックみたいにジェントリーがねとか言ってたら。ジョン・ロックの思想もすごい繋がってるんですけど、やっぱりフランス革命は起こらなかったと思います。
楊:ルソーも教育の中で階級教育とか職業教育に反対してる。そういうのはいいんだ、役人になるとか軍人になるとか、僧侶になるとか、そういう教育は最初からやるな。そもそも役人とかにさせる前にまず人間はまず人間であるんだ。それに応じた教育をすると彼は言ってるので。だから人間はみんな人間。身分とか階級とか違いはあるんですけど人間なんで、まず人間として教育をやりましょうよということを言ってますよね。
深井:そうですね。ということで、次、まさにこの理論がある意味本当にみんな全ての人間に可能性ってあるんだっけ、みたいなことを証明しないといけないですね。それをする時代がきます。
樋口:実践編か。
深井:はい。
樋口:いやあ、ということで、けっこう長くなったな。
深井:一時間くらい。どうするんだよ、これ。
樋口:ものすごいいいボリュームになったですけど。めちゃくちゃすごかったです、今回。
深井:次、行きます。
樋口:次行きましょう。ありがとうございました。はい。