#202 中国の教育 〜なぜ彼らは儒教OSを選んだのか?〜(前編)

【今回の内容】
ヤンヤンさんが語る中国の教育/話は紀元前にさかのぼり/エリート養成のための学校/六芸/どの文化にもある音楽の授業/殷から周へ、「礼」の伝達/諸子百家と私学の登場/孔子、儒教を始める/法家思想のシステム/荀子が育てた弟子たち/法家ベースの秦帝国/後編へつづく……

樋口:はい、ええ、前回まではヨーロッパの教育についてお話をお聞きしたんですけども、今回からはちょっと場所を変えてアジアのほうですね、おねがいします。

深井:中国ですね。

楊:僕中国人なんで喋ります。

樋口:そうだった。このくだり毎回。そういや中国人だった。

深井:中国人から喋ってもらおう。

楊:ブレークタイムとしてみなさん聞いてください。

樋口:はい。

楊:まずそもそも中国の古代教育から話そうと思うんですけど、その前に中国の定義ですよね。定義、これけっこう大事なことで。別に昔中国という王朝があったわけじゃないんです。

樋口:まあね。

楊:中華大陸があって、そこに入れ替わり立ち代りいろんな王朝が登場してきて国を建てたりしてるわけじゃないですか。今回は中国という言葉を中華大陸で建てた王朝たちをひとまとめにして便宜上中国といいます。ということで話していきたいと思う。

深井:いいね。

楊:なんせ中国4千年の歴史なのでそれを30分で話すのが難しいですけど。ポイントだけ最初に言うと、今回は話すポイントを言うとまず最初儒教思想ですね。

樋口:儒教、きた。はい。孔子。

楊:中国の教育の特徴としては国家主導ですよね。さらにすさましい仕組み化。この三つのポイントを中心に話していこうかなと思います。ということで時代でいうと紀元前1700年。

深井:いいね。

樋口:遡りますね。

楊:紀元前770年くらいに。

深井:やっと中世くらいまできたのにさ。

楊:混ぜかえす。

樋口:でも、そうか。

楊:殷とか周とかそういった王朝があった時代ですよね。教育活動の痕跡はあったんだけども制度はまだないと言われてて。学校もあったと記載があります。すでにこの時点で。

樋口:学校があったんだ。

楊:はい。ただ、学校があったと記載されてるのは後の時代の儒教の学者さんたちが書いてるので本当かということが実証がむずかしいけど一応紹介します。学校はあったとされます。王都、王の都に大学と小学あった。

深井:もう大学がある。

楊:本当に大学。本当は太陽の太で太学と書く。

樋口:点があるやつ。

楊:そうです。地方に郷学、故郷の郷に学と書く、地方にも学校があった。目的は政治人材の育成とか民衆、政治人材の育成というのがメインだったみたいですね。

深井:エジプトたちと一緒だね。

楊:大学も高等教育でエリートによる政治の実現を目指して貴族の階級とか庶民の中でできのいいエリートを選んで教育していくということをやってたみたいです。小学は庶民が通う初等教育という説があって、そこでただ通える人は都会に住んでる庶民なんです。地方とか農村とかに住んでる庶民はその仕組みを使うことはもちろんできなかったです。ただ、例えば村とかでは村塾みたいなものはあったらしい、と言うくらいですね。

樋口:その村塾というのは私塾みたいな感じで誰かがやってた。

楊:おそらくですね。といってもそんなに体系だったものではないと言われてますね。わからない、あまりにも時代が古すぎて。学習内容ってのが実はあって、要するにエリートたちは何を勉強しないといけないのか。六芸というものをやらないといけないんです。6つの芸ですね。礼、これは儀礼とか礼節とか。楽、音楽とかですね。射、射るって。射撃の射ですね、弓術。

深井: 弓射。

楊:御、馬車を御する技術。書、これは文学ですね。数、数ですね、これ数学ですね。

深井:これ面白いのが大体音楽が入ってるんです、基礎科目って。

楊:宗教とセットだから。

樋口:面白いですね。

深井:面白いなと思って。すごく大事だとされてる、音楽の教育。これ何でだろうなと思ったときに確かにCDとかないから音楽を教えてないと誰も音楽弾けなくなってきますよね。

楊:承継しないといけない。

深井:そうすると音楽聴きたいの聞けなくなっちゃうから基本的に音楽を教えたろうとなるの、確かになと思った。

樋口:確かにそうですね。

深井:聞けないから。

樋口:それはそうだ。

楊:この中でちょっと詳しく話しますと、まず礼がありますよね。礼というのは一番重要なんです。これは後の時代に講師も大事にしたもので先祖とか天地の神に纏わる祭りの儀式とか冠婚葬祭、国家間の儀礼とか戦争の時の儀礼とかあらゆる方面の決まりごとなんです。これが一つの重要なフォーマットなんです。礼が本当に一番重要なんですよね。ちなみにこの内に、この中で先祖を祀ることを養老という、老いを養う、養老院ていう、実はここから来てるんです。おそらくは。当時の人たちって今でも言うんですけど先祖から頂いた体と言ったり表現を使う。当時の人たちにとってはもっとリアルな感覚だった。本当に自分の今の肉体というのは先祖代々からもらったものだとめちゃくちゃリアルな感覚を持ってたので先祖を大事にするんです。戦争とかでも敵の先祖を祀っている霊廟を壊すということをやるってことは本当その人の根源を断つということ。

深井:社稷っていう。

楊:一番大事なものが礼です。当時は政教一体、政祭一致という体制だったので宗教と政治は分けられてないんです。だから国家のいろんな政治行為は宗教行為とほぼイコールだったと考えてもいいです。楽は音楽とか、歌とか詩とか。あと踊りとか彫刻、狩猟、狩をする。これも楽の中に入ってます。楽もいろいろ考え方があるんですけど、礼てのは人を外側から決まりごとで縛る、楽ってのは精神に働きかけて内側から人の感情を整えたりとか精神の動きを外側に適切に表現させてくれる役割を果たすものだと言われてます。だから例えば詩とかあるじゃないですか。詩というのは表現じゃないですか、自分の心のうちを表現するすべをこの楽で学びましょうということなんですね。あとは弓術とか御者とか、これは軍事スキルです。数ってのは算数ですよね。ここが面白くて結構細かいんです、算数というのは。面積、体積、割合、比例とか方程式とかも学びます。

樋口:複雑な算数ができた。

楊:一番面白いのが食料輸送とか人員配置のマネジメントもこの中で学ぶんです。

樋口:すごい。

深井:必要だもんね、建築とかでも必要、結局。

楊:やばいなと思いました。教育とかになってるのは基本的に公務員、官僚です。というところだけれども。家庭内での教育も記載はありました。例えばご飯を食べれるようになったら右手を使えるように教えるとか、8歳になったら食卓での礼儀を教えるとか、お客様が来た時の迎え方とか送り方とか、そういった礼儀も家庭の中でも教えてたみたいです。

樋口:はあ。ここ数分聞いただけで西洋との違いがすごい。

楊:システマティクですね、すでに。

樋口:先祖とか出て来たりとか。

楊:だいぶ古い時代の話してる。

深井:2700年前ですからね。よりも前の話です、この中国の教育。でもすごいよね。この時点でこれっとは思った。

楊:ほんまかと思った。儒教も儒教学者たち盛ってないみたいな。儒学者たち盛ってない、みたいな。

深井:盛ってる可能性すごくある。

樋口:肉体がどうとかその辺が西洋ではなかなか出てこない感覚だなと思って、面白い。

楊:さっき礼って一番重要だといった。この礼って実は殷の次の周の時代に新しい意義が出てくるんです。この周という王朝はもともと殷という前の王朝の従属国だったんです。そしてその、

深井:姫

楊:そう、その周が殷を、親分である殷を打ち破って王朝を建てたわけなんですけど、ここで周は統治ニーズが今まで敵だった国を統治するニーズが出てくる。この統治するニーズを彼らはこの礼を使ったんですね。今まで礼というのは自分の国を統治するためのフォーマットだった。今度は自分が支配階級になった時に違う国を、異民族とかを統治するための機能もここで追加されたんです。

樋口:え、どういうことですか。礼を使って統治する。

楊:要するに自分たちが使っているいろんな仕組みフォーマットがありますよね、礼儀とか儀礼のやりかたとか。この中にお前らもこの通りにしなさいよ、ということをしたし、その儀礼の中には誰が上か誰が下かという序列の考え方がめっちゃはっきりと定められてるんんです。君主は君主の為すべきことをする、臣下は臣下の為すべきことをする。それぞれの所属している階級に応じてそれらしい振る舞いをしなさい。これって完全に支配に使える。

樋口:確かに。マウントを取れる。

楊:ロジックが、パブリックなロジックがあるんです。昔ながらの宗教的な側面を持った礼という考え方に国家統治のための機能というかプラグインみたいなものが追加されるのがこの周の時代に起こります。次に、これも周の時代ではあるんですけどいわゆる春秋戦国時代ですよね。周の時代、周王朝が力が落ちていって、もともと諸侯を治めてたんですけど、諸侯の方が農業ですごく経済力をつけ始めて農業生産力が上がって人口も増加してやがて彼らは実力的に周王朝を圧倒するようになるんです。その彼らが最終的に中華統一を争って最終的に秦が出てくるという流れなんですけど。既存の社会システムが崩壊していく。今まで周がトップだったけれども実質上は周辺の諸侯がものすごく力を持ってて争いあっていくという状況が生まれます。このまさに前回、前々回に深井くんがいったような社会システムが崩壊によっていろんな人がいろんなことを考え出す。そこで諸子百家の時代が生まれてくる。なんでもありのフリースタイルの私学が勃興するんです。今までは国がちゃんと教育システムを定めてみんなこれを学びなさいということだったんですけど、社会が変わってきたのでそれぞれの民間から、自分、俺はこう思う、おれはこういう社会システムがいいという人が出て来たんです、ばっと。

樋口:なるほどなづほど。

楊:そうですそうです。それを主に担ってたのは周の時代で下級貴族のインテリたちだったんです。システムが崩壊します、彼らも身分が特権階級じゃ無くなっていく。彼らはもともと下級貴族なんで実務とか政治統治の実務にも携わっていてある程度エリートというかインテリだった。そのインテリたちが自分の立場を失って野に放たれてこの状況はいったいなんなんだというのを考え出す。

樋口:価値観の多様化というか、統一されたところから国のシステムが多様化したことによって考え方とか思想も多様化してそれぞれが自分の考えみたいなものを。

深井:政治権力が多様化したからまた結局こうやっていろんなプレイヤーがで出て来たということです。

楊:そうです。国同士の競争も激しくなったので人材がめちゃくちゃ重要視されます。これも以前の回とかでも話したと思う。売り手市場がすごい。

深井:売り手市場。

楊:売り手市場ですね。もういい人材があれば召し抱えてすごく重く用いられるし、本人、エリートたちにとっても立身出世の機会なんです。だからどんどん売り込んでいくということが発生します。そのいろんな思想集団の中で最も勢いが強いぶいぶい言わせてたのが儒教と法家と墨家、墨家一回やりました、昔。

樋口:墨子。

楊:あと、道教です。今回は主に儒教と法家が一番重要なので、この二つを主に紹介しようかなと思います。

樋口:はい。

楊:儒教ですよね。これもスポティファイオリジナルで話してるので、詳しいことは是非そちらを聞いてください。簡単にいうと、これが孔子が体系化した思想です。もともと儒教の儒というのは宗教行為、宗教行為を行う儀礼の集団から生まれたものだと考えられてて、さっき言ってた礼です、礼を司った人たちだったと言われてます。孔子は何をしようとしたかというと、古い王様たちが統治してた古き良き時代に立ち還れという、ざっくり言うと孔子はこういうことを主張しています。ようするに伝統への回帰ですよね、伝統に回帰してなおかつ自分が正しいと思うことをアレンジして体系化した思想というのが儒教です。儒教で孔子が重視したのはさっきいってた六芸なんです。

樋口:6個のやつ。

楊:6個の学問分野。これをちゃんと重視してそれをテキスト化してテキストに再編集してそれをのちのち四書五経というかたちになってそれを儒教の最重要テキスト基本テキストということで位置付けられていくという流れです。儒教の思想の特性として色々あるんですけど一個だけ面白いことを紹介したいのが、儒教の特性ってあらゆる問題を人の心のあり方に換言するんです。

樋口:へえ。

楊:わかります、意味。例えば会社の経営、当時は会社ないですけど、会社の経営、国の経営でこういう課題が起こりました。色々原因を探りますよね。儒教でいうとこの原因は自分の徳が足りないからと帰結するんです。

深井:ローマと真逆だよね。

樋口:システムとかじゃないんですね。心が問題だ。

楊:そうそう。だから財政破たんの原因は倹約を忘れた心のおごりが原因だとか、戦乱が起こるのは人の心の乱れだとか、そういう解釈をしてるんです。なので儒教はこういう特性があるんです。これを課題を解決するにはどうすればいいかというと、昔の聖人の道、神聖なる人の道をちゃんと勉強する。

樋口:心を鍛える。

楊:この人たちの昔の聖人たちってのは全部いろんな課題を解決できる普遍性を持ってると彼らは思ってる。何が言いたいかというと昔の聖人の道を全部自分の中にインストールしてその思考パターンに沿って思考して応用すればあらゆる問題が解決できる。

深井:今の説明相当わかりやすいと思う、儒教の説明の中で。

楊:かなりざっくりだけどね。

深井:その通りだと思う。本当そんな感じですね。

楊:だからみんな頑張って儒教を勉強するんです。勉強すれば自分の心に聖人たちの思考パターンが全部アクセスできてインストールされて全部対応できる。

深井:自分の心の問題だからね、全部。

樋口:て言ってるんですね。

楊:そうです。じゃあ、法家思想。これも前始皇帝の回でやりました。始皇帝がこれを導入してルールベースで国家を作って君主に権力を集中させて富国強兵を打ち出すということをやりました。

樋口:法家、法律の法。何回もでてきました。

楊:そうです。ちなみに補足なんですけど法家思想っていいますけど、今僕らが理解している法律とは全く概念が違います。今の僕たちが知ってる法律というのは専制君主と啓蒙思想の闘争によって生まれたものなんです。

樋口:ちょっと待ってください。急に難しい言葉が出て来た。

楊:今まで専制君主によって人権とかが制限されてました。それに対してアンチテーゼとして今の僕たちが使ってる法律なんです。でも法家思想のいう法律というのは単に国を法で統治するだけじゃなくて、あくまで君主がトップなんです。君主が民衆を統治するためのツールとしての法なんです。別に人権はそんな考え方ないです、ということです。ちなみに周の時代にさっき話した周という王朝の時に訴訟の審理とか刑罰の判断を担った理官という役職がある。理りの理に官職の官ですね。その役割を勤めた人の流れを汲んできたのが実は法家思想だったんじゃないかなと言われてます。

樋口:ルールと近い。ルールというかファンクションというか、機能というか。

深井:ルールというか罰則なんですね。

樋口:罰則か。

深井:ベースは。破ったら思いっきり罰するというのが彼らの統治方法なんです。

楊:かなりラディカル。

深井:だから理解なんかしてくれなくていいんです。理念も理解してくれなくていいし、やったらだめなのがなぜなのかというのを説得する気もないんです。法家は。ただやったらぶっ殺すからやるなと。ただそれだけ。

楊:全部システムで決めていく。春秋戦国時代で諸子百家が起こってきますよね。ここである有名な学術機関というかできます。それが稷下学宮。

樋口:稷下学宮。

楊:稷下学宮ですね。

深井:稷下の。

楊:はい、これ戦国時代の斉という国の首都にあった有名な学術施設です。すごい強い国なんですけれども、これは斉の王様が作った半官半民の研究機関みたいなものなんです。いろんな思想家の人たちがみんなここに来て色々議論していいよ、という場所を作ったんです、プラットホーム。箱を用意してあとは民間運営に任せた。いいかねパレットみたいなもの。

深井:これはいいかねパレットをよく言い過ぎじゃない。

樋口:ちょっと待って下さい。それは深井さん悪く言い過ぎ。まあまあまあ。そういうことか。

楊:ここに儒家とか道家とか法家とか陰陽家とかいろんな人が集まってきて講義を行ったり本を書いて自分の説を唱えたりとか。自由に活発な学術活動が行われるようになるんですね。ちょっとここで一個人物を後で出てくるので重要なので紹介したい。この時この場所に中国中からいかれた天才たちが集まってきたんです。この天才たちを学長として取りまとめたのが荀子という人物です。これ性悪説を唱えてた人で有名なんです、儒家の中で。この人はまじすごいんです。相当頭切れます。だいた孔子の250年後くらいの人でくそ頭いいんです。この施設で学長を3回勤めたりとか地方を治める長官を任されたりとか、本当儒家の中でもトップクラスに出世した人物です。彼が何をやったかというと儒教だけじゃなくてそれまでいろんな学派の思想を取りまとめて整理したりとか体系化したんです。儒教の思想の集大成を一個作った人というふうに中国の方でも評価されてます。

樋口:孔子よりもだいぶ後の人。

楊:後です。だいぶ後です。彼が一番やったことの中で重要なのは儒教の中に法家思想を入れたんです。儒教てのは大体人間は礼が大事ですよ、徳が大事ですよ、と。でもこの荀子というのはそれだけじゃだめなんだ、法も絶対必要だと。礼と法を融合して礼法というものが大事なんだよということを彼は言ったんです。彼は儒教なんです、ベースは。けれども儒教の中にさらに法家というOSをもう一個追加したというイメージ。

樋口:なるほど。さっきの話だと儒教は心が大事といってて、法家は罰則が大事と言ってた。

楊:システムが大事。

樋口:それをガチャっとやった。

楊:そうです。これが後ですごい重要な人物として出て来ます。

樋口:結構両極端にあるようなイメージですけど、その二つは。なるほど。

楊:彼の弟子がやばい。彼の弟子実は二人有名な弟子がいて、一人は韓非子なんです。

樋口:これはやりましたね、一回。

楊:法家思想の大成者です。もう一人は李斯です。この人はあれですね、始皇帝の宰相です。この人、この二人が実は彼の弟子なんです。

深井:キングダムでも出て来ますね、李斯って。キャラで。

楊:なんだけどもこの二人はこの人から勉強したけれど、この二人は法家思想の方に全振りした人物です。全振りして李斯が始皇帝を補佐して最初の中華統一帝国を誕生させたという流れです。秦の教育ですね、秦の教育で法家思想は助けを借りてルールベースの国家作りに成功した。ここでまた官学が出てくる。国家による教育です。郡県制といって各地に行政区画を作ってという統治方法をする。それぞれの郡県に学校を配置していく。そこで学べるのは役人の師弟、役人の子供だけとか、役人の候補生を育てるという目的でそこを運営してたみたいです。

樋口:秦というのは春秋戦国時代の次か。

深井:秦の始皇帝が統一した後の話。

楊:そうですね。そこで学校の中ではものの名前の呼び方とか秦の文化とか、人の名前の書き方とか、あとは重要なのは法家思想、法家思想の書物を読んだりとか。あとは重要なのが法令の勉強をする。将来的に自分が中央の官僚とかになって働くのでちゃんと法令を勉強しないといけないよということですね。あと、私学、民間の学問、これは弾圧されます。

樋口:ふうん。弾圧される。

楊:そうです。やっぱ秦は法家思想のルールベースで運営してた国なんですけど、国の中に儒家、儒教を信奉してる人たちの勢力があったんです。でもこの儒教と法家というのは水と油で儒家というのは古き良き封建時代に立ちもどろうと、王様がいて、諸侯がいて、その諸侯に対して土地を与えたりとか爵位を与えたるシステムがいいよ。でも法家というのはそういうことじゃないんだと。皇帝がトップに立って全部システマティックに統治するのが大事だと。全然統治理念が違うんです。そこで始皇帝は法家寄りなので儒教の人たち邪魔だと。

樋口:そうね、そうなる。

楊:こっちは折角中国で最初のある種圧倒的に新しいシステムを使って今までにない国家を作ろうとしてるのに、なんか古い時代に立ち還れと言ってる人たちは邪魔でしかなかった。邪魔だし自分の政権の安定にすごくリスクだと、で排除していく。本を焼いたりとか。民間も本を持ったらダメなので全部没収して。全部じゃないですけどね。一部医学とか、そういう農業とかの本は残してるみたいですけど、それを全部没収して焼く。教育は完全に全部政府が統制していくことになっていきます。

樋口:あらら。

楊:というところで次は漢の時代ですよね。漢字の漢で。ここに実は儒教の統治のフォーマットとして入ってくるんです。それはまた次回話せたらと思います。

樋口:次回は中国後編みたいな感じですかね。中国の教育。

深井:ガチでダイジェストだった、全部の。ちゃんと全時代で。

楊:中国の教育のシステムでいうと正直時代時代によって微妙に違ったりしてるんですけど、実はそんなに大きな変動というのはないんです。大体漢の時代でもすごいシステマティックに確立されてそれをベースにしてシステム上は時代時代によってカスタマイズされるけど大体一緒なんです。中身は基本儒教ベースなんです。儒教も色々学説が変わったりとかしてるんですけど、基本儒教ベースで時々道教とか仏教とか入ってたりするんですけど。だからある意味勉強しやすい。

樋口:なるほどね。孔子がすごいなという話になりますね。ヨーロッパにおけるアリストテレスとかがずっと影響してたみたいに。

深井:そうですよね。孔子のすごさって統治スタイルがあんまり変わらないていうのはでかいと思います。

樋口:なるほど。

深井:帝国スタイル、ずっと。

樋口:そうか、それもでかいのか。

楊:帝国スタイルじゃないと中国大陸統治できない。

深井:できない。だから帝国スタイルでしか統治できない中国は社会のシステムがある一つの傾向を強い傾向を持ち続けているので教育に関しても強い傾向が出続けるということが多分起こってる。だからさっき言った、冒頭も言ったように、教育スタイルというのは社会に規定されてしまうので、どうしても。

樋口:そうかそうか。なるほどな。多様性は無いもののめちゃくちゃ強靭なシステムが出来上がってるということですね。

深井:そういうことですね。

樋口:一個の。

深井:そうです。

樋口:これは良い悪いじゃなくてそうだということですね。

楊:途中でいろんな王朝とかで分裂したりして教育が一旦ストップしたりとか落ちたりする場合があるんですけども、大体成功してる帝国ってのは前の成功してる帝国システムをそのまま受け継いでます。

深井:このあとさっきヤンヤンが言ったみたいに漢とか隋以降というのは本気でシステマティックにしていくから、やばいくらいの。

樋口:へえ。

深井:世界最大の官僚国家になる、それによって。凄まじい技術なんです。

楊:それが近代に列強によってぼこぼこにされるまで続く。

深井:ぼこぼこにされるまでは。だって歴史を通して見ていて、まともな官僚国家作れたのは中国だけだからね、みんな失敗してるから、官僚国家の形成に。

樋口:ほお。

深井:中国王朝をまともな官僚国家と呼ぶかどうかは議論が分かれるでしょうけど。腐敗とかたくさんあるので。とはいえ、めっちゃ成り立ってる、あれほどの広大な土地を官僚によって治めるということが可能になっていて。官僚の数が多い、他の国に比べてめちゃくちゃ多い。多いということはその官僚を教育しうる教育力があったということです。圧倒的な教育力なんです、それは。

樋口:すごいな。

楊:さらにいうとあらゆる方面、あらゆる社会の隅っこまで全部国家権力が入り込めるということなんです。

深井:そう。そこがすごいところだよね。一方でルソーみたいな人出て来てないよね、あんまり。

樋口:確かに。

楊:一応出て来たりはしてるけど、やっぱそんなに社会を変革を起こすまでには至らない。国家主導、官主導が強すぎて。

樋口:ある意味完璧に近かったから出て来ても淘汰されたというか。

楊:そう。実際列強にぼこぼこにされたのは原因の一つにそこがあります。官僚システムが完璧過ぎて新しい改革の動き、日本の明治維新を見習って改革の動きが出ようとしても全部潰されたりするのはあります。

樋口:良くも悪くもですね。

楊:時代によってね。

樋口:大きなアップデートには弱い。

楊:確かに、それはそうでしょう。

深井:次、漢ですけども。

楊:いきますか。

深井:漢でも1800年くらい前だから。

樋口:はあ。

楊:そこでもう出来上がってるのが面白い。

深井:それがすごい。

樋口:1800年前か。

深井:じゃ、見ていきましょうか、次回。

樋口:はい、一旦中国編、前半はこんな感じですかね。ありがとうございました。

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