#201 愛が生まれた日 〜中世ヨーロッパの教育によって「発見」された子どもたち〜

【今回の内容】
子どもという「概念」の誕生/生きるのが大変だった時代の子どもは/子どもが存在しなかった過去の時代/大学の登場で変わる世の中/芽生える愛情、注ぐ愛情/子どもへの教育が始まる/樋口さんの考える「愛情」エピソード/個人として認められるようになるまで

樋口:はい、ええ、前回までは大学の誕生についてお話しをお聞きしましたけどもなんと今回は子どもの誕生ですか。

深井:子どもという概念の誕生ですね。

楊:子どもの誕生ではない。

深井:子どもの誕生は今いろんなところで行われてる。

樋口:子ども。

深井:子どもという概念が中世ヨーロッパには無かったという話なんです。

樋口:衝撃。

深井:どういうことなのかということですね。これはですね、まず家族の概念が今と全然違いまして、家族というのは世襲財産の維持というのが一つの役目なんですね。僕たちってのはその家族的紐帯というのがあるじゃないですか、お父さん、お母さん、弟、妹とかおじいちゃんおばあちゃん、とかそういうのがありますよね。血族関係があって、そこに絆がありますよね、基本的には。中世ヨーロッパの家族はどうやらそれがスタンダードではなかったようだということが本に書いてあるんです。本当かと思いますけどそのように有名な本に書いてあります。

樋口:ほほおう。

深井:これはですね、父を中心として子どもや若者が父の仕事への参加度合いに応じて関心を寄せられるという家族形態がある。

樋口:へえ。

深井:役に立たない子ども、父の仕事を手伝えない子どもは本当に役に立たない邪魔な枝のように追っ払われていた。

楊:だから血が繋がっているとはいえ機能でしかかみない、ほとんど。

樋口:冷たい。

深井:多産多死なんです、この時代。たくさん産んでたくさん死ぬ。だから子どもが小さい時というのはそもそも育てるに値しない動物レベルのものだと思われてる、ペットみたいな感じ。今のペットよりさらにレベルが全然下がる。今ペットみんなめっちゃ大事にしてるし。僕も動物好きだけど重要ではない。そして人々もまず子どもに関心を寄せていない。なんなら自分が何人子どもを持ってるか知らない。

楊:死んだらしょうがない。生き残った子どもだけ相手にする。

樋口:なるほど。

深井:死ぬの前提に生んでいるし、なんなら殺してる、ご飯がないから。

楊:間引きね。

深井:間引きをしている。一応キリスト教の中で間引きを、殺したらダメだよということは言われているんだけど、本当は殺してたんじゃないかと言われてる。遺産を継ぐための一人か二人くらいの男の子だけが父のそばに残され、それ以外の子どもというのはどこに行ってもいいよという。どこに行ったかもどうでもいいよと思ってた。一人一人に対して特別な愛情を注ぐということもしていないしできなかった。

樋口:衝撃ですね。

深井:ていう家族のあり方があった。そして子どもは匿名的に扱われている。個人として扱われているわけじゃなくて。まだ、小さいなんか生き物みたいな感じでカウントされていて。人間としてまず扱われていない。やっぱりよく死んじゃうんです。当時って半分以上亡くなってしまうんです。だからちょっと利口な猿みたいな感じに思われていた。とんでもない表現ですけどね。そのように思われていたであろうと言われてる。

樋口:しょうがないですね。しょうがないですよね。

深井:この、ちょっと可愛げな利口な猿みたいな時期が過ぎると徒弟制度にそのまま組み込まれて住み込みでどっかいっちゃったりするので尚更どうでもよくなるんです、どっか行ったねって。さっき言った一人か二人残されてる状態になるわけです。

樋口:はあ。今の倫理観と重ね合わせたらやばいですけど、まあ当時はしょうがないですね。そうだったんで。

楊:日本もそうですよ。日本も江戸時代までは間引きとか普通にやってましたからね。口減らしのために。間引きの子どもを中絶したりとかですね、生まれた子供を殺したりとか。殺す方法はめちゃくちゃむごいのここでは話せない。興味ある人は調べてください。それで家族の人口制限してた。

樋口:だからこれでおえってならずに、なるほどと一旦受け入れて聞いた方がいい。

深井:そうですね。じゃないとこの後の話聞けないんで。それで例えば芸術の中とかでも子供の存在というよりは子供としては見られてない。僕たちが感じる子供ってのは可愛くて、頭身が大人と違ってて、保護すべき存在であり、いろんなことを教えれば彼らは育っていくし、教育によって彼らの人生はものすごく変わるものだと思ってるわけじゃないですか。全然そんなこと考えてなくて、本当に小さい大人だと思ってる。小さい大人というか人間じゃないけど、絵画とかに描かれてるの大人の縮尺を小さくして描かれていたりする。観察してない、子供として。小さい人。服とかも幼児用の服とか存在しないんです。

樋口:はあ。ばりばり舐められてるじゃないですか。

深井:舐められてる。貴族とかも自分の子供を自分で育てたりしないんです。1-2歳くらいまで、仕事ができないので、1—2歳の子って。さっき言ったみたいに邪険に扱われてたんです。だから1—2歳の時って貴族じゃなくてもそうだったと思うけど、よその育てる仕事をしてる貧しい人がいるんですって。その人たちに預ける。さっき言ったみたいにすごい確率で死ぬんですけどそれでいいんだって。その育てる人たちってどうやって育てるかというと動いたら邪魔なんで赤ちゃんぐるぐる巻きにして壁から吊るしとくんです。今でもおくるみって愛情に満ちた意味でのおくるみがありますけど、愛情に満ちてないおくるみをしてた。

楊:行動を制限するためのおくるみ。

深井:手足とかを動かされたら邪魔なので、縛って壁から吊るしといて、泣いた時に一応近寄っていってお乳をあげるか、排泄物の処理をするかということをやって、みたいなことをやる仕事の人がいる。当然愛情に基づいて育てられてないから、人の子だしね。持ってた人も僕はいるんじゃないかなと思いますけど。死亡率もすごく高いし、その程度で育てられていて。運良く生き残った子に関しては自分たちの後を継げるかもしれんね。

楊:そこで教育コストをかけて教育していく。

深井:そう。さっき言ったギルド的教育をしていく。

樋口:なるほどな。生存競争だ、子どもなりの。

楊:飼育みたいな感じ。

樋口:動物の世界だったら当たり前かもしれない。

深井:だからね、子どもが小さい頃とか人間としてカウントしてないから家族何人と聞いたらその子どもが入ってなかったりするんだって。

樋口:へえ。なるほどね。

楊:日本も7歳になるまでは子どもは神様のものと言われてるから、7歳になるまでだったら子どもは殺しても大丈夫。

樋口:へえ、時代があった。

深井:死んでもしょうがない。

楊:死んでも戻っていくという考え方をする、子返しという。

深井:いろんな民族でもありますね。ヤノマミ族だったかヤマノミ族だったか、生まれてから7日間の間に母親が生まれたかどうか決めるみたいな。生まれてないことにする場合はアリ塚の上に置いて蟻に食べさせてしまう、みたいな。そういうような文化もあった。結構子どもの扱い方ってのは意外と人類そういう扱い方だった。避妊具とかつけてないからね。ばんばん生まれてばんばん死んでるという状態なわけです。本当かなと思うけど。あんだけ出産大変なのに、そんなって思います。古代には一応子どもって年齢区分はある。古代の中には例えば歯が生える幼児期とか、その次の子どもの時とか青春期とかいって、区分があるんだけど、その中世ではこのような区分もあまりない。概念というか知識としては知ってるけど、それを生活の中で適用してないんです、子どもだからとかいってない。という世界があります。これがよ、これがです、めちゃくちゃ変わっていくんです。

樋口:あら。

深井:これ何で変わったかというと、本に書いてあったのは、徒弟修行というものが大学という教育に変わっていったんだと。特に上層階級の人たちの生活の話をしてるんですが、みんな徒弟修行ではなくて学校に行くようになった。この学校に行くようになったことによってある一定の年齢て、大学って今の僕たちだと18歳以降みたいですけど、8歳から大学に行く人とかもいたらしい。なんで、若い時から大学に行くというのもあった。パリとかウィンチェスターの学寮には8-9歳くらいの子たちもいたらしい。そういう小さい子どもを集める。親から引き離して集めるという現象が発生した。そうすると、面白いなと思ったんですけど、集まったことによってその年齢帯の子供が一つの社会集団として認知されるようになるんですね。

樋口:ふうん。

楊:カテゴライズされる。

深井:カテゴライズされたんです。

樋口:面白い。

深井:それまでは未分化だった。分ける意味がなかった、自分たち家族の中にいる小さい生き物で、まだ農業できない、できる、みたいなレベルでの。だから農業ができるかできないかの分化しか意味がなかったけど、大学の登場によって子どもが一所に集まるという現象が起こったことによって、この人たちはそういう一定の子どもなんだということが意識されるようになっていくんです。

楊:面白い。

樋口:面白いね。

楊:システムによって認知されるんだね。

深井:はい。この大学に行くってのは結構出世的にもすごい大切になっていくんですけど、これによってすごい大きい転換が起こっていくんですね。子どもに対して見返りのない教育投資を行うということが社会的に大事になっていくんです。これは子どもに対して投資を行うんだけれども、投資を行ったところでそれが返ってくるかどうかわからない。あと投資を行える子どもの人数にも限りがありますよね。だから一人の子どもをすごく大切にするようになるんです、これで。しかも見返りがない投資をしないといけないので愛情を必要とするんです。愛情がないとそういうことできないんです。これによって愛情が生まれたというふうに言われてるんです。

樋口:ちょっと待って、どういうこと。それによって愛情が生まれた。

深井:それまではそのような愛情を注ぐというのは家族間では行われてなかったんじゃないかと推察されてる。それは例えば手紙の中に愛しい母へみたいな表現がこの時期から出てくるようになる、子どもから。子どもとその両親というのは愛しい母とか愛する何々とか対象ではなかったかもしれないということですね。

楊:少なくとも家族間での愛情というのは優先順位は高くはなかった。

深井:生きて行くためにその愛情がなくても生きていける状態があったということです。愛情というよりは相互連携的な一緒に農業するとか。それは別に家族でも家族じゃなくても、周りに住んでる人たちと一緒に連携するってことだったと思う。この社会の話ですよ。中世ヨーロッパ前期社会の話をしてますけど。大学が登場したことによって、それ以降のこの中世ヨーロッパ社会では子ども対して見返りのない教育投資をすることになっていって。その結果彼らの中では目に見えて愛情的表現が増えてくるという現象が起こってきてる。

樋口:おれのこの息子の虎之助に対する愛情は。昔生まれてたらなかったかもしれない。

深井:そのように表出されてない可能性がある。だから愛情は感じてるかもしれないけど、例えば僕たちに対して虎之助が可愛いという表現をしてますけど、そういう表現をしなかった可能性がある。

樋口:ですね。

楊:だから昔だったら虎之助くんがいいかねパレットの後継者に相応しくなければ多分樋口さんは捨ててると思う。

樋口:ということですよね、その時代だったら。

深井:本当に具体例が出た後に言うのもあれだけど、死亡率が高かったから、それだけの愛情を注いでたらみんな気持ちも持たなかった。めっちゃ死んでほしくないのにばんばん死なれたら精神崩壊するじゃないですか。

樋口:それだ、多分それですね。それだ。

深井:死ぬのがわかっちゃってるから愛情を注げなかったというのもあります。

樋口:それはそうだなと思いました。このテンションで何人も死なれたらおれやばい。

深井:それはそうですね。

樋口:それはそうだ、それはそう。自分の精神を守るためにもそう、なるほど。

深井:なので大学に入れて以降のその子どもに対しての意識の持ち方というのが変わってきたわけですね。この子どもの概念の誕生というのがこの後にいわゆる西洋の中で子どもをいかに教育すべきかとか、彼らはとっても可愛くて大切だからそこに思いっきりみんなで時間を使おうぜって概念の基礎になっていく。

樋口:はあ、なるほどね。一個だけあれなのが、子どもを見返りのない投資対象とみなすようになったじゃないですか。それの原因はなんだったんですか。

深井:それは大学に行かせて、大学に行かせることが出世ルートに乗ってるからです。上流階級の人たちにとって今までは上流階級の人でもたくさん産んでたくさん死んで生き残った人たちだけが自分たちを継ぐ存在だったんです。それが投資対象になった、子どもが。大学に行かせることによって自分たちを飛躍させてくれる存在になった。だから投資をするってことになったんだけど、面白いことに投資をするという意識の向け方がそれをさらに凌駕する愛情に変わっていく。

樋口:なるほどね。

深井:だから投資対象じゃなければ愛情は今ほどは湧いてなかったんだろうけど、投資対象になった結果愛情表現が非常に増えてきた。

樋口:逆に言うとそれまでは投資っていう感覚じゃなかったってことですね。大学が出る前までは。

深井:教育というか単純にいて、ご飯を与えて育って、農業を覚えて一緒に農業をするとかいうものだったんです。それとか騎士になってもらって頑張って戦争で勝つとか。そういうことだったんです。

樋口:だから長期になったって感覚。

深井:そうです。

樋口:直接的に今この時間は利益を生まなくていいという時間を貰えたということ。子どもが。

深井:そうです。そうです。生活教育じゃなくなったってことですね。

樋口:そういうことですよね。

深井:知的生産活動みたいなことを自分から離れたところで、大学で結構学費がかかる状態でやるということが社会的に重要となってきたので、それをさせようとするといっぱい産んでいっぱい死んでて、死んでもいいやと思ってた人たちがそれだとだめだとなっていったということですね。

樋口:もったいなくなる。

深井:対象を絞らないといけなくなった。対象を絞ってこの子を育てるんだという概念に変わってきた。この子を育てるんだという概念が変わってきた時から愛情が芽生えてきたと言うことです。だから樋口さんが虎之助くんに愛情があるのは非常に今の論理にちゃんと乗っていて、樋口さんがこの子を育てるんだと思ってるから愛情があるということです。

樋口:吉本のマネージャーが芸人に愛情がないのは、いっぱいやめていくからですか。

深井:それはちょっと僕は知らないですけど。いっぱいやめてるからかもしれない。

楊:確かにね。

深井:いっぱい辞めるとそうですね、会社とかでも入った人たちが例えば7割くらいやめちゃうとかだと愛情を注ぎづらくなってくる。

楊:信頼関係を一から作るのコスト高い。

深井:気持ちが持たない。

樋口:実際そう。だから吉本とかって養成所にばあっと入ってきてばあっとやめていくんです。だから一人一人に手かけてたらすぐやめていくからあんまり意味がない。だから一人で何百人持ってたりするんですけど。マジでそれに例えたらピンときました。

楊:愛情というよりはその場合だと機能的にその人できるかできないか、どれだけアウトプットが出せるのかってドライに判断する方に流れがち。

樋口:で、おもろいネタできる人がぱんと出てきたら君いいねってなってあとそこからは少数の投資をしていくみたいな。

深井:でもそんな感覚だと思います。本当にそんな感覚で子どもを育ててたのが、自分の家族に生まれた一人の子どもに愛情を注ぐ、その愛情を両親で注ぐ、なので自分たちは家族的紐帯を持つ。愛する何々へみたいなことを言いあい始めるようになる、というフローを辿ってそうなったんだということが言われている。

楊:社会システムによって人間の愛情が喚起されたという現象が面白い。

深井:面白いし、えってなる。

樋口:俺思ったのが、例えばマンボウって三万個くらい子どもを産む、三万匹。

深井:魚のマンボウ。

樋口:魚のマンボウです。

楊:蔓延防止じゃない。

深井:蔓延防止。おれも蔓延防止の話をしてるのかなと思った。

樋口:今の時期でいうとそうですけど。こないだ水族館に行った時に生存戦略みたいなものでいっぱい産むか少数で育てるかというのがって、メリットデメリットがある。それってそれぞれその生物が大体この生物は何匹くらい産むというのが規定されてて、規定というか決まってて、それでいうと人間ていう生物がけっこう前と今だと、その一つあたりの個体が産む子どもの数が減ってるということだから違う種族になってるなと思った。

深井:本当そうなんですね。もともと結構産んでる種族だと思う。十人とか十何人とか。

樋口:だから精神構造違って当たり前で。今多産から少産になってそれは精神構造も変わるよな。だから動物として違うものになってるくらいの想像で聞いた方がわかりやすい。

深井:本当そうかもしれない。

楊:あと、もしかして関係あるかもしれないですけど、平均寿命が延びたのもある。子どもを産んで愛情を注ぐよと思ってもその子どもが三年後に死ぬ、10年後くらいに死ぬとわかったら愛情にストッパーがかかると思う。普通に今のぼくらで考えて普通に考えて子どもを産みました。子供も将来大人になって年をとって70—80まで行くというイメージが当たり前の観念としてあるから愛情を注ごうねという動機になってるかもしれない。

深井:教育をしようというのもそこがあるかもしれない。

楊:長期にわたって投資できる。

樋口:てことか。

深井:なんで、驚愕の事実ですね。

樋口:これはすごいわ。なるほどね。違う生物の話をしてるような。

深井:でも思い出して欲しいけど、ローマ帝国のカエサルの時も女の子の名前が全部ユリア1ユリア2とかだった。

樋口:そうだった。

楊:ナンバリングされてた。

深井:匿名性だよね、あれも結局だれでもいい、死ぬかもしれないとなってる。カエサルもその家に生まれた長男全員カエサルなわけで、個人じゃないんだよね、やっぱ。

楊:製品1製品2みたいな。

樋口:型番ですよね。

深井:型番なんですね、本当。だからやっぱりね、今の僕たちのような感覚を持ってる人類の方がすごく少ないというか、新しいというか、今のような社会に生きてるのでそうなってる。

樋口:面白い。

深井:しかしながらここで子どもという概念が誕生したことによって、この子どもという概念の誕生がさっき言った今の大学で子どもを意識してってのもありますし、もう一つは確実に啓蒙思想も影響してると思います。

樋口:ええと、ルソー。

深井:ルソーたちの前からあるんですけど。彼らも影響してると思う。人文主義といわれるエラスムスとかあの人たちも影響してると思う。それ新しい古代ギリシャの学問とかを勉強し始めた人たちが必ずしもキリスト教だけの概念ではなく世界を見ようとした新しい潮流がヨーロッパで生まれたことが影響してると思ってるんですけど。すっごくそこから変わって行くんです。それはそうですよね。子どもに対しての概念がこれだけ変われば変わるよね。

樋口:変わるでしょうね。

深井:はい。変わって行くんです。という話をやるんですが、その前に次回以降一回アジアの教育どうなっとるのかと。

樋口:確かに気になる。

深井:じゃあ中国と日本は何なのか。ということをやっていきたいなと思います。

樋口:これは気になりますね。いやあ、またじゃあ楽しみに次回を待ちましょう。ありがとうございました。

楊:ありがとうございます。

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