【今回の内容】
大学の誕生/各地で設立される大学/ヨーロッパ中を移動する知識人/今も残る独立の気風/古代の知識がアラブ諸国から逆輸入/元はギルドの一つだった大学/高まる知識のニーズ/学生と教師、権力の綱引き/学位を取るのも大変/大学から始まる社会変容/時代を飛び越えたアリストテレス/脳みそがライジング!/アカデミー始まる/凋落からの復興、再び立ち上がる大学/次回、こども誕生
樋口:はい、ええ、前回まではキリスト教が入ってきてからの教育の話をお聞きしたんですけども、今回は大学ですね、お願いします。
深井:この大学の登場によって実はあらゆる変化が起こることになるんですが。まずこの大学がなぜどういうルーツで誕生したのか、そしてどのような特徴を持っているのかということを今日は伝えたいなと思います。
樋口:はい。
深井:いわゆる今日に繋がる意味での大学ってのが誕生したのは12世紀後半から13世紀後半、1100年代の後半から1200年代の後半ということですね。元々大学というのは前回言ったみたいなギルド的存在なんです。だから大学という建物があるとかいうわけじゃない。人の集まりのことを大学。
樋口:コミュニティ。
深井:コミュニティが大学だったんですね。12世紀後半になるとヨーロッパに職業的な知識人というのが誕生してきます。この背景としてはいろんな背景があるんですが一つは世界が豊かになってきた、この時期にまた。やっぱ豊かにならないとこういう人出てこない。農業生産性が向上していったことによって職業的知識人というのが出てくる。つまり知識人であるだけでお金を貰えるよということが出てくる。
楊:自分たちも生産活動というか自分の肉体を動かす生産活動をしなくてもいい人。
樋口:うん。
深井:一番最初の大学ってのは、いろんなことを言ってる人がいるんですが、アズハル学院が一番最初だというのもあるし、一応ヨーロッパでの最初の大学ってのはボローニャ大学なんです、イタリアの。これが1158年に設立の年もいつを設立にするかも難しい、人の集まりだから、これ。難しいんだけど一応1158年だと。その次にパリ大学というのができる。これは1231年、結構後ですね。
樋口:だいぶ経ってますね。70年80年経ってる。
深井:このような13世紀ですね、1200年代に入ると他にもイングランドにオックスフォード大学。
樋口:え、オックスフォード大学。
深井:うん。ケンブリッジ大学。
樋口:ケンブリッジ大学。ほお。
深井:イタリアではモデナ、レッジョ、アレッツォ、パドヴァ、ナポリ大学。中央ヨーロッパでもプラハ大学、ウイーン大学、クラクフ大学、ハイデルベルク大学、ライプツィヒ大学とか、一気にできる。
樋口:聞いたことある名前がちょいちょい。
深井:たぶん全部今でもあるんじゃない。
楊:かっこいいな、名前。
樋口:かっこいいですね。
楊:響きがね。
深井:15世紀までにヨーロッパで7-80の大学が作られるくらい一気に大学が広がっていったわけです、この2-300年間で。これは教師あるいは学生の相互補助組合だったんです、元々。それがこの当時いた教皇、そして神聖ローマ皇帝とか領主とか。その人たちの権力対立がありました。これもいろんなところで喋ってきました、権力対立があります。それをある意味利用して自らの権利というのを獲得していく独立的な機関として成長していきます。
樋口:え。
深井:一つの勢力として。
樋口:へええ。勢力。
深井:例えばいろんな特権があったりして、兵役免除とか税金一部免除とか。大学自身が自治権を持ってたり、ある程度の。そういうものを国王もしくは皇帝、もしくはローマ教皇から認可されるという形で勝ち取っていくわけです。
樋口:すごい。ただのサークルがちゃんと機能を帯びてきてる。
楊:ちゃんと政治力を持ってる。
深井:そういうこと。こういうことがなぜできたかと言うと政治権力が分散しており、その人たちの間に入りやすいということ。これ一人の人が治めてたら言うこと聞けやと言われてその人に色々ルール課されて終わりなんだけど、利害の一致しないいろんな権力の人たちがいるので、その人たちにそれぞれにいいことを言ったりとかおれはこっちにつくからもう少し優遇してくれみたいなことを言って、自分の権利を獲得していくというのをコミュニティがやったんだよということです。
樋口:ふうん。すご。
深井:この構成員である知識人というのはさっきも言いましたけど10世紀頃から農業生産力ってのが上がっていくわけです。そうすると人口がヨーロッパで増えていった。なにが起こったかというと都市が発展していく、都会が出てくる。まばらにいろんな人がいろんなところに住んでるという状態から人口が増えて、その人たちが農業をしてない人が都市に住む、そこで貨幣経済がどんどん発達していくということが起こってきます。これはお金の歴史の時とかでも喋ってる。こういうことが起こりました。ただ都市単位で生きてる、みんな。都市単位とか周辺の農村単位でみんな生きてるという状態が起こっています。ここを例えば商人であるとかが移動してるわけ。移動してますよね。この人たちがメディアになっていくんです。
樋口:都市間を移動していろいろ伝えていくわけですね。
深井:都市間を移動してる人たちがメディアになっていくわけです。このメディアになっていった人たちの中から、もしくは商人とか修道士とかもそうなんですけど、移動する人たちが、移動民が出てくるわけです。この移動民の人たちが知識を集積させていって、知識人となっていって、それを独立した職業として成り立つようになっていくということになります。
樋口:すごい。花とミツバチみたいな。
深井:この人たちは元々都市に規定されないようにいろんなところ動いていたし、さっき言ったように皇帝権力とか教皇権力みたいなものの間をうまく縫いながら自分たちの権利を主張してきた人たちなので、元々組織の形成過程から元々から越境性、つまり都市間を移動してどこかの都市に縛られるという感覚ではないということと、独立性というものを元から持ってるんです。現代の大学でもそうですけども、国家権力からの独立的な機運がある、大学ってのは。なんであるかというと元々国家権力から出てきてないからです、彼らは。
樋口:すげえ。これ、おれ起こりが小中高の上だと思ってたんですよ。
深井:違うんです。まったく違う。
楊:ヨーロッパはですね。
樋口:そうかそうか。ヨーロッパはか。
楊:日本は明治時代になってから国主導ではい大学というフォーマット入れますとなっただけです。でもその気風はあるよね。
深井:気風はある。
楊:独立の気風はある。
深井:他にもこの時代に大学が誕生することを後押しした理由が他にもあって、やっぱり行政組織が発達してくる。各都市が発達するわけ、そうすると規模がでかくなる。規模がでかくなるとどうしてもさっき言った読み書きそろばんとか知的活動というのは増えてくる。組織がでかくなってくると組織の生産活動以外の仕事が増えてくるってのは会社でも一緒じゃないですか。
樋口:そうですね。
深井:バックオフィスがどんどんでかくなっていくとか、上場したらめっちゃ経営企画とか何々とかいっぱい必要だとか。そういういわゆる直接お金稼いでないけどでかい組織には必要だという部署があったりする。そういうニーズがやっぱり都市がでかくなるときにも出てくるわけです。この都市がでかくなって行政組織が発達するということが起こってくると専門家に対するニーズが出てくる。例えば文書がめちゃくちゃできる人が必要だよね、とか。その人たちに教えて欲しいよねと言うニーズも出てくるし。あとは論争になった時とかに、他の人たちとか、他の都市とか。他の都市と論争になるかどうかわからないですけど、それこそどういう論理で相手を説き伏せるかというのが必要になってくる。そういう論理を何から持ってくるかというのは法学知識があるとか、そう言うのが必要になってくるんで、専門家というものが必要になってきます。あともう一つは後でイスラームの話もしますけど、元々ギリシャとかですごく勃興した哲学、自然科学というのは中世ヨーロッパには直接は引き継がれずにイスラーム世界に行ってた。
樋口:へえ。
楊:そこに保存されてたんです。
深井:そう、アラビア語に翻訳されイスラーム世界でそれを勉強するということができてた。
樋口:え、そうなんですね、おもろ。
深井:それはイスラームが当時豊かだったからだと思います。中世ヨーロッパに対して。豊かじゃないとあれを考えれないということです。それが逆輸入されるのがこの時期なんです。十字軍をやったりだとかすることによって向こうの世界にアクセスしていって持ち帰るということができるようになっていって、アラビア語から逆輸入していく。
楊:あるいみ温故知新がここで起きる。
樋口:へえ。他の土地から自分たちのルーツを知るみたいな、オモロ。
深井:なので、このようなルーツと状況によって独立的な気質を持った大学というものが誕生していきます。これは繰り返しますけど、それぞれの都市を横断的にネットワークとしてもっていくという性質もありますし、最初は校舎さえ持ってなかった。途中で校舎持ってその土地に根付くことにはなるんだけど、元々校舎とか持ってない、校舎ってのは建物のことね。持っておらず人の集まりとして発展していったので、究極的には全員が移動したらその大学も移動できると言うようなレベルであれしてたわけです。この大学というのはユニバーシティというじゃないですか、英語で。ユニバーシティというのの語源が組合団体なんです、のラテン語でウニベルシタスですね。ウニベルシタスっていう知的人の繰り返しますけどギルドだった。これがなぜボローニャだったか。なぜボローニャ大学でそれが一番最初に起こったのか。
樋口:イタリア。
深井:はい。というところなんですけども、ボローニャ大学が出来上がる前ってのは当時のローマで教皇と皇帝が叙任権闘争で争っていた。
樋口:なんかあった。
深井:これは宗教改革の時の話でやりましたけど、ローマ教皇と皇帝が権力争いをしていた。そうするとそれぞれその周辺の自治都市とかあるけど、その自治都市にとっても自分たちの権利とか権力がなぜあるのかを論証していくことが必要になってくる。そうするとその論証のために法的なもの、法制度というのを勉強しないといけなくなる。そうすると法学というのを勉強しないといけないので法学の学者が集まってくるという現象が起こっていた。この法学学者がさっき言ったようにユニバーシティを形成し組合を形成して、学生たちなんですけどね、法学の学生たちが組合を形成していって自らの独立性を持っていくにいたっていくわけです。さっき言ったみたいに国としてもこの人たちが集まってくれてるのはとてもいいことだよね、ボローニャとしても自分たちの正当性を説明するのに知識を持ってる専門家たちがいるという状態になっているわけです。
楊:シンクタンクみたいなもの。
樋口:シンクタンクか。
深井:さらに強いバージョンだと思えます。
樋口:シンクタンクね。
深井:元々は学生と教師というのは本当に家庭教師レベルの感じだったみたいです。学生が教師にお金を払って家に呼んだりするという、人間関係の中で教え合うみたいなことが起こっていた。ただそれが規模が大きくなってきて組合団体化していくと教師はその組合団体に雇われるという立場になっていきます。これが端的にいうと大学の誕生。
樋口:大学教師が。
深井:大学教師が大学から雇われるという状態になるということですね。
樋口:そういうことですよね。はあはあはあ。
深井:この時学生も教師もいろんな教師がいて。授業がちゃんとやってくれない教師もいたみたいで、団体を作ることで教師に対して授業をちゃんとやれとか、変な話ばっかりするなとか、もう学んだことばっかり何度も言うなみたいな新しいことをちゃんと教えろ、そういうことを言ってたみたいですね。
樋口:雇われてますからね、言われるのはしょうがない。
深井:そうなんです。そうなんです。これがユニバーシティの形成過程なんですが、実はもう一つパリとかだとパリ大学とかの形成過程ってのはちょっと違っていて、こっちは教師が組合を作った。これをカレッジと呼びます。
樋口:あ、ユニバーシティとカレッジ違うんだ。
深井:まあ、今の意味の違いと違うんだけど、元々カレッジは教師の組合、ユニバーシティは学生の組合だったということです、歴史を辿れば。
樋口:へえ。
深井:教師らも学生から自らの権利を守るために団結する必要が出てきた。そのためカレッジを形成し協同組合を作っていた。そして彼らは、これは面白い一つの大きい転換点がくるんですけど大学としての。教師団は学位授与権というものを持つことによって学生たちに対抗した。
樋口:なに。
深井:つまり卒業証書を渡すと言うことです。
樋口:はいはい。
深井:卒業証書は教師が自らの権利を守るために作ったということです。
樋口:ええ、そんな。
深井:そう言うことです。
楊:シビアな世界だね。
樋口:はあ、やらねえぞ、反抗するやつは。
深井:一定の資格をクリアするということがここで自分たちが与えられる人間だということを主張し始めるわけです。
楊:あと、学費払わないと学位やらないよ、そういうことも主張する。
深井:学費払わない人には当然学位はあげないし、学位をあげるということは権威を渡すということができる存在になるので。
樋口:でかいな。
深井:この学位授与権みたいなものもうまいことその当時の国家権力の人たちと渡り合いながら彼らに保証してもらう。自分たちが学位授与をする権利がある人たちだよってことを教師が組合を作って一致団結して権力からそれを保証してもらって、それを学生に渡すことによって自らの権威を高めるということをやったよということです。この二つの要素がまさに大学を形成してますよね。学生が自ら大学団を形成して大学から給料を払うという話と学位を教師が渡すという話はまさに大学が大学たる所以なんです。
樋口:なるほど。すごい。
楊:確かに学位もその当時の学位と今おれらがもらってる学位と価値のレベルが全然違うと思う。学校によってはね。
深井:今でもね、マスターとか博士、博士というのはものすごい地位が高いですけど、当時はもっと高かった。
楊:特権階級に近いような権威を得られた。
深井:ちなみにボローニャ大学での学士がドクトル。これがドクターですね、博士のことですね。パリ大学での学位がマギステル、これが修士です。だから元々だから同じ意味だった。
樋口:そうなんですね、修士、博士。
深井:今は博士の方が上ですよね、さらに先に進んだら博士になるってやつですけど。当時マギステル、今でいうとマスターと呼ばれます。ドクトル、ドクターと呼ばれます。これ学位、大学には学位を取得するという概念がありますけど、その概念はこのようにして生まれた。ここはものすごく大事なポイントです。これめっちゃ大事なポイント。学位を教授が与えることができる、大学が与えることができるということは権威を自ら再生産することができるということです。
樋口:そうだ。
深井:これは全然小学校と中学校とレベルが違う話。
樋口:本当ですね。
深井:はい。
樋口:作れる。
深井:博士を作れるんです、大学。独立した権力として。彼らは形成過程でこのような権力を勝ち取りながら独立した組織として自らを形成してきた。その系譜があるので非常に大学というのは自治的なんですね。
樋口:確かに、自治的なイメージはある、めちゃくちゃ。
深井:彼らが自治的だったからこそ当時の国家権力に左右されすぎずに知識人を生み出した結果、この知識人たちがその次にかなり自由な発想を展開していくことになるんです。
樋口:へえ、面白い。国のシステムからいわばちょっと守られてるというか距離を置けてた。
深井:守られてるけど距離を置いてる。だからこれが古代国家の国家の教育のために必要だからあなたたちにお金を払いますといってやってるバージョンだとおそらくこの後起こる思想爆発が起こってないんですよね。
樋口:そうだ。
深井:おそらくね。
樋口:だから多分再三出てくる誰から金を貰うかというのが大事ですよね。
深井:そうです。現代国家は国立大学とかは国家がお金払ってますけど。
樋口:だいぶ補助してる。
深井:だいぶ補助してますけど、それはまた概念が違うので。国家の概念が主体者が国民になってますから、国民のための国家だからまた別なんですけど、この時にこのような大転換があったことは我々人類にとってとても大きい意味を持ってますよね。ちょう影響を受けてる、我々自身も。
楊:国の統制から離れて自由な知的活動ができるようになったのは大きい。
深井:むっちゃ自由でもない。でもね。比較的自由になったんですよ。この時でもいまだキリスト教の中での思考ということから解放されていないし。だけどルターとかが突き抜けたりする、でもキリスト教だけど、そういうのがあります。話戻しますけど、ドクトルとかマギステルと呼ばれる学位ってのはかなり数を絞ってたみたい。だから誰でも卒業して誰でもマギステルとかドクトルになれるというわけではない。
樋口:絞らないと崩壊しますからね、価値が。インフレを起こします。
深井:ほとんどの人はなれないし、みんながそれを獲得するために頑張ってたわけではなく、純粋に勉強するためにいってる。今はどっちかというと卒業するためにいってる。特に日本の学生とかって。けど、そういうのが最初からではなかったってことですね。そこまで形式化されてなかった、昔は。非常に大学にいって学位とった人たちはその当時でのヨーロッパ社会でのすごい希少なエリート層ですね。識字率もそもそもそんなに高くない世界で、字が読めるどころかめちゃめちゃ神学とかについて議論ができるというのはすごい状況なんです。この人たちが宗教論争とかを始めていく。パリ大学ってのも紹介しときます。さっき言ってたのがパリ大学、カレッジの話はパリ大学の話ですけども。パリ大学というのはその前身が実は教会なんです。けれども既存の教会権力がどんどん揺らぎ始めていくというのが起こるじゃないですか。その中で協同組合が大学に転化していくということが起こってパリ大学が作られる。そして大学の自治を認めてもらうことを教皇から保証してもらうということができるようになります。ボローニャ大学はユニバーシティで学生団体からできたので学生の力が強いんですけど、パリ大学ってのは教師の方が、教師の組合からできてるので教師の権力が強いというのがあります。
楊:それで学生との関係性も変わりそう。
深井:変わりそうだよね。パリ大学は学生と教師の師弟関係がすごい大事で、ボローニャ大学は学生同士の横のつながりが大事だったそうです。
樋口:まあ。起こりが違うとそうなる、なるほど。
深井:さっき言ったようにこのボローニャ大学とパリ大学の成立後に各ヨーロッパの地域でどんどん大学ができていくという現象が起こってきます。それだけ専門性の高い知識が要求されるほど社会の人口が増えていたということですね。そういうニーズがないとできませんからね。それで、最初の方はちなみにボローニャとパリ大学の卒業生を各地が呼んで大学を作っていくということをやってたみたいですね。ヨーロッパ全土にこの大学が広まっていくんですけど、あまり地域性なかったらしくて。教育の内容とか教え方は非常に画一的だったらしい。
楊:意外。
深井:基本的にはアリストテレスを中核とした古代ギリシャの知識であるとかキリスト教的な信仰の知識とかを勉強してたみたい。スコラ哲学が出てくるのがここら辺なんですね。スコラ哲学ってのはアリストテレスたちの古代ギリシャの考え方とキリスト教の考え方ってのをうまく融合できないかということにトライしてるその思考方法のことをスコラ哲学というけど、そのスコラ哲学ってのがここらへんで出てきてみんなスコラ哲学で勉強してるという状態です。つまり教会権力が落ちていったことによってアラブからいろんな知識が逆輸入されたことによって、ギリシャの、大学はその受け皿になっているということですよね。受け皿になった大学は今までは全てが神の存在によって説明されてたけど、世界が、神の存在だけで説明せずに古代ギリシャから抽出できる我々にとってためになることとか考えた方がいいことは吸収する。けれども宗教改革も起こってないし、宗教改革起こった後でもそうなんだけど、やっぱりキリスト教がだいぶ先行してて、キリスト教の方が地位は高いという状態です、この時期。そういう状況の中で大学がどんどん発展していったってことですね。
樋口:地域性がないって不思議ですね。なんかコミュニケーションがあったんですか、大学同士の。
深井:先ほども言いましたけど元々大学を作った人たちが都市間を移動してる移動民なので。
樋口:そりゃそうだ、そりゃそうなるは。
楊:ある程度共通性は担保されてる。
深井:だから彼らが都市を超えたフォーマットを持つというのは比較的自然なこと。
樋口:そりゃそうだ。なるほど。知の共有ができてたんですね。
深井:そういう土地に縛られない人たちが作ってるからなんでしょうね。縛られてますけどね、縛られてますけど。テキストですね、を講読して問題設定して議論して解決していくっていうような思考方法で勉強するってのが当時の勉強方法だったわけです。これも比較的画期的なんだけどね、そういう勉強方法をしていた。学位ってのがさっき権威がすごい高いという話をしてましたけど、学位を取ると他の大学で教えることができるので、自ら自己再生産機能がある。
楊:なるほど、それで授業料が取れるということかな。
深井:そうだね。自分たちの勢力を自分たちで伸ばせる、権威がある、しかも。そういうことができる。この大学の誕生によってさっきも言いましたけど繰り返す言うとアリストテレス的古代ギリシャ的考え方というのがキリスト教会の中にもちょっとずつ浸透していくことになる、これがルネッサンスにつながっていくことになる。そしてこれが宗教改革にもルネッサンスにもフランス革命にもつながっていく。だからめっちゃ社会が変わっちゃうってこと、ここから何百年もかけて。
樋口:アリストテレスすご。
深井:アリストテレスすごいよ。
樋口:すごいですね、なん年前の人だって。
楊:あの古代のギリシャの時代に出てきたリベラルアーツというか教養というのは多分僕らが今使ってる教養も大半がそこから由来してるのもあるよね。
深井:本当そう。
楊:そこの古代ギリシャと大体同じ時期に中国に諸子百家がおきて。
深井:6割くらいはそう。あとの4割が近代以降。
樋口:へえ。すごすぎるな。
楊:そこの歴史って人類の中でも一番脳みそがライジングした時代だったかもしれない。
樋口:いいですね、脳みそがライジングっていいですね。
楊:深井くんがいつも脳を使ったアスリート行為をしてるから。
深井:意外としてない、俺は。大事だとは思ってるけどできてない。
樋口:なるほどね、素晴らしい。
深井:ということでこの大学なんですけど、このまま今に繋がってるわけじゃないんです、実は。この後大学って独立的だったんですけど国家権力に取り込まれていくんですね。
樋口:ほう。
深井:衰退していく、一旦。国家権力に取り込まれてるから衰退してるというのは非常に一面的な見方で、もう一面的な見方をすると大学以外の知識の場も出てくるんです。これはどういうことかというとですね、高等教育に対してお金を払う人が他にも出てきたということですね。大学というのは授業料的なものとか寄付金とかで運営していたりとか、一部都市の貴族とかそういう政府みたいなところから一部もらってるということはもちろんあるんですけど、この後アカデミーとか呼ばれるメディチ家とかがお金を出してるようなやつとかも出てくる。
樋口:アカデミーてなん。
深井:そういうのをアカデミーというんだけど。専門学校。
楊:民間みたいな。
深井:民間の学校みたいな。
樋口:メディチ家ていいうのは一個の家ですね。
深井:これも民間なんだけど、大学も民間なんだけど、いずれにせよ新しい勢力が出てくるわけです。一方で大学ってのはどんどん国家権力に取り込まれていっちゃうわけ。なんでかというのは、大学が出てきた時ってのは国家権力が分散してた。だけど、これ、今まで宗教改革の時とかエリザベスの時とかいろんなとこで出てきたけど、その後でヨーロッパで起こったのは国家権力が大きくなっていったよね。そして絶対王政に突入していく、そうすると国家権力がでかいわけなんで、その人たちに取り込まれちゃうんです。一方で知の追求としてもう少し自由にやりたい人たちってのがお金の出どころが違う人たちで作られていく。例えばデカルトとかジョンロックとかあとはスピノザとか有名な哲学者がいるわけですけど、あとライプニッツとかこの人たちは大学の教授を生業にしてないんです。
樋口:全員この時代の人なんですね、まず。
深井:この辺の時代って今だいぶ時代飛ばしましたけど、だいぶ時代が下った話してますけど、近世の始まりくらいの人たちですね。この人たちってのは大学で教えてたわけじゃなくて、在野の研究者なんです。とか、執筆活動してる人たちで。実際スピノザとかは不遇のまま死んだりしてるんで、全然儲からずに死んだりしてるんですけど。こういう知識人が別に出てくるみたいな時代を経てるんです、大学って。在野から出てきちゃうみたいな。
樋口:あるほど、へえ。
楊:それはありうる状況だよね。
深井:その間興盛を極めてたのは専門学校やアカデミーだったっていう。この専門学校やアカデミーというところは絶対君主制の中で例えば軍事とか医学とか工学とかですね、そういう特殊な知識みたいなものを扱う学校として発展していっていて、そこで勉強してる人たちが社会的地位を獲得していくというステージになったりしてます。ちなみにこのアカデミーというのは400個くらいヨーロッパ中に作られたみたいでだいぶでかくなってます。これもほぼ余談レベルなんですけどその後に大学が今の近代的大学の直接の祖先になるフンボルト型大学というのが出てくるんですけど。フンボルト大学というのがモデルになってるのかな、ていうのが出てきて、それが19世紀くらいなんです。18世紀くらいまではアカデミーとかが全盛の時代でむしろ大学なんていらないだろうとみんな思ってた時代があって。けど19世紀に大学が復活するんです。流れでいくと大学が国家権力に取り込まれていって、15-6世紀くらいの時にはどんどん下がっていって役目が小さくなっていって、代わりにアカデミーというのが出て行ってお金出す人が代わっていって。そっちの方が興盛を極めていくんだけど、19世紀くらいになると大学がもう一回復権してきて、今の社会につながっていく。ここで大きい違いがあったのが、大学が研究機関も兼ねるようになったんです。
楊:今までは教えるところだった。
深井:その前の最初の大学ってのは教師と学生だった。教えるというのが彼らの仕事だったんです。けれども近代以降の大学、19世紀以降の大学の特徴てのは先生も教師も研究するし教える。そういう組織になってきます。これによって復権していくんですね。ここはちょっとこれくらいで止めておきます。これだけで今台本の半分くらいしか読んでないんですけど。
樋口:ええ。
深井:33分経ってるから。そういう変遷を辿ったよってことと、ここでのポイントは大学の形成過程だけポイントでした。僕が伝えたかったのはどちらかというと今の大学の直接の祖先がフンボルト型大学で、そこが研究を始めたことがキーポイントだったということよりも、一番最初に大学が出来た時にそれが権力が分散してる社会じゃないと出ないような出方をして。だからこそ彼らが知識人を養成していくのに適していたんだということが面白いねという話です。
樋口:ですね。はあ。
深井:ていうのがこの大学の誕生で言いたかったとこです。
樋口:面白い。お金を出すのがちゃんと学生でそれが勝手に集まってやったってところも僕面白いなと思ったんです。
深井:そうですね。勉強したい人が。
樋口:そうそう、勉強したくてたまらなくて。
楊:国主導じゃないところがなかなかユニーク。
深井:ユニークだよね。
樋口:熱いですね。ちょう熱い。
深井:ここがね、大学ができたことによってみんなそれまでギルドとかやってたころって年齢あんまり気にしてなかって、子供のことあんま考えてなかった。それが急に子供のことを考えるようになる、大学ができた後。なぜか。
樋口:なぜか。
深井:はい。それを次回やります。
樋口:聞けるんですね、それは。
楊:子供が発見されるんです。
深井:子供という概念が改めて中世で出来上がるんです。これがすごい影響度がでかいんです。
樋口:子供が発見って。行方不明になってた。
深井:概念てすごいんだよね。子供って概念て当たり前じゃない。なくても生きて行ってる人たちがいた、過去。
樋口:どういうことだろう。いまいちピンときてないので、早く次回に行きたいので今日はこの辺ですかね。
深井:はい。
樋口:ありがとうございました。
楊:ありがとうございます。