#192 将軍の権力基盤が凋落!信長、足利義昭とのタッグで畿内平定へ

【今回の内容】
明応の政変、弱まる幕府権力/永禄の政変、将軍暗殺/足利義昭の要請/信長、上洛の決断/一度は仲裁で和睦するも/『上洛』とは?/所領か上洛か大名の悩み/美濃平定/政界の中心へ

樋口:はい、ええ、前回は興奮の桶狭間の戦いのお話をお聞きしたんですけど、よかったですね。

深井:よかったですかね。

樋口:ということで。その続きですかね。

深井:はい、その続きなんですけど、この後は信長がそこからどのようにしてライジングしていくかって話なですけど。端的に言うと幕府の中での地位を高めていくんです、まずは。

楊:やっぱそこに行くのか。

深井:それをどうやってやっていったのかという話をしたいんですけど。遠いところから始まるけど。僕が、僕は信長がどうやって幕府の地位を高めていったのかの直接的なきっかけは永禄の政変と呼ばれる事件が幕府の、室町幕府ですね、まだ室町幕府はありますから。戦国時代って室町時代の中にあるやつですから、の後期の方なんですけど、永禄の政変という大事件が起こります。この大事件が何かというのを説明する前に、この永禄の政変につながる明応の政変ていうのが起こってるんです。これは信長が生まれる40年前に起こってます、応仁の乱の25年後くらいに起こってる、明応の政変ていうの。これ何かというと、家臣が、将軍の家臣が勝手に将軍を変えちゃう。

樋口:そんなことできるんだ。

深井:事件が起こってる。ありえない。会社でいったら社員が勝手に社長を変えちゃう。みたいなことありえないじゃないですか。

樋口:世にも奇妙な物語ですね。

深井:なんです。こういうことが起こっちゃう。これ何かというと応仁の乱の後の話なんですけど応仁の乱の前は全国を統治するものとして将軍というのは一応振舞ってた。でも実質的には権力は落ちていって、ついには応仁の乱が起こってしまったという話をしました。応仁の乱が起こって戦国時代に突入してもそれでも依然として統治者ではあるわけです、将軍というのは。だから国内の秩序というのを管轄する存在ですよね、彼は将軍というのは仲裁するというのも彼の役割ですから、将軍の役割ですから、そういう秩序を担う存在として存在していた。細かいところ省きますけど、この将軍が10代将軍足利義稙という人がいるんですけど、これが一つ前の将軍の義尚という将軍の母親、日野富子という人がいるんですけど、この日野富子と細川政元、これ細川氏、有力大名の細川政元らによって廃立されてしまう。

樋口:廃立。ってどういうことですか。

深井:将軍じゃなくされてしまう。

樋口:引き摺り下ろされる。

深井:引き摺り下ろされる、そして新たに11代将軍として足利義澄を擁立する。

樋口:へえ。

深井:ということが起こった。これは何を意味するかというと足利義稙、廃立されてしまった足利義稙の政治方針を改めさせるということが目的だったんです。だから将軍による中央統治というものを否定してるわけではない。将軍がだめだと言ってるわけじゃなくて足利義稙がダメなんだという話をして、入れ替えたということです。

楊:将軍のシステム、制度はそのまま、ただそのなかに担ってるプレイヤーを下ろすということ。システムを否定したわけではないです。

深井:これによって何が起こったかというと、将軍が二人に分かれるみたいなことが起こる。廃立されたけど納得できないわけです。その当然義稙派の人たちもいる。だから義稙派の勢力、廃立されたことが受け入れられない勢力の人たちと新しい将軍である義澄の勢力とで将軍が二つ並び立ってるような状態になってしまう。

樋口:そんなこと起こる。すげえな。

深井:新政権の方ですね、義澄の方ですね、義澄の方も細川政元という自分を擁立した有力守護大名、守護大名というか守護の人と連立的な政権を作ってるみたいな感じ。すげ替えられたくらいだから新しい将軍が力もってるわけじゃなくて、新しい将軍と有力者が一緒に治めてますよという状態で、それはそれで安定してた。しかしこの細川さんが内部分裂を起こしてしまいまして、細川政元さんが殺害されちゃう。細川政元が不安定になっちゃう、細川家が。

樋口:あら。

深井:それによってまた権力均衡が崩れていってしまう。ぐだぐだになっていく。ぐだぐだになっていったってことを覚えておいてください。明応の政変というこが起こったことによって今まで将軍をすげ替えるみたいな大それたことしなかったけど、なし崩し的にそういうことやっちゃって、一回それがまかり通っちゃったんでやってもいいかなみたいな空気が流れる状態。

楊:前例ができる。

深井:前例ができちゃった。この前例がある状態で次に起こったのが永禄の政変。時系列でいうとだいぶ後なんですけど、さっきの明応の政変が1493年、永禄の政変が1565年なんで、信長が31歳くらいの時ですね、に、今度は有力大名である三好義継と言う人が将軍、その時の将軍が13代将軍なんですけど足利義輝を殺すんです。ついに殺しちゃうんです、家臣が。

樋口:うわ。

楊:首相暗殺だ。

深井:家臣が将軍を殺すところまでいっちゃうんです。

樋口:うおお。

深井:それくらい足利家の権力が失墜してるということです、段階的に失墜し続けている、応仁の乱以降失墜し続けた。これを詳しくいってもしょうがないんだけど、一応ざっくりいうともともと有力大名であった三好長慶という人と、この人は畿内と呼ばれる、畿内ってなんて説明すればいいのでしょうね、関西の方、京都周辺のことを畿内と呼ぶ。

楊:日本の中心。

深井:中心、当時の日本の中心です。この畿内の有力大名であるこの三好長慶という人と将軍の足利義輝というのは度々敵対して衝突してるんです、戦ったりもしてる。この時点で足利将軍がそもそも尊重されてない。

樋口:そうね。

深井:ばちばちで戦ってた。けれども一旦和睦を成立させて協調関係のもとで勢力を広げていこうねという話になってた。なってたんだけど今度は三好の方が三好長慶の権力の方がまた内部事情が不安定になっていったんです。三好長慶が死んじゃって、その後継者の三好義継ってのがまだ幼かったんです。不安定になっちゃった。その不安定になったことに乗じて将軍がこれチャンスじゃんていって、また将軍に権力を寄せていこうとした。この権力に対して三好氏が反発するんです。反発して殺しちゃうんです。

楊:将軍を。

深井:将軍を殺しちゃう。

樋口:やばい。

深井:ていう状態が起こる。

樋口:はあ、ぐちゃぐちゃだ。

楊:だから中央政界でこういう血みどろの争いが同時に繰り広げられてる。

深井:これも殺す気があったのかなかったのかで諸説分かれてる。まだ幼かった三好義継の勢力と松永久秀って知ってる人は知ってる、松永久秀ていう人の息子である松永久通という人が事件を起こす。朝午前8時頃に一万人の軍勢で義輝のいる足利義輝将軍のいる京都御所というところを包囲するんです。義輝自身も応戦して戦うんですけど少人数だったんでいかんともし難くて昼頃には自刃に追い込まれる、切腹なのかな、これ。追い込まれていくわけです。義輝はどうやらこれも諸説あるけど、めちゃくちゃ強かったらしくてだいぶ相手を戦って倒したらしいですけど、やっぱり多勢に無勢で負けちゃったってことです。こういう事件が起こりまして、この影響で、将軍殺害ってのはすげえことなんです。

樋口:衝撃ですよね。

深井:衝撃なんです、当時の人々にとって衝撃的な事件で非常事態だった。さらにこの政変直後にこの三好氏ってのは将軍義輝の弟である足利義昭、当時出家してたんで、足利義昭とは名乗ってないけど、この人も殺そうとする。しかしながら三好氏の中でも次の将軍を誰にするかってことで意思統一ができずに内部で抗争しちゃう。このような抗争の機を狙って義昭、弟ですね、殺された将軍義輝の弟の義昭は今の奈良県である大和国というところに脱出して逃げていく、その後滋賀県とかに行ったりする。そしてこの義昭が各地の大名に対して自分を率いて京都に登ってこの三好氏を倒してくれ言う話をする。この呼びかけに応じて中央に進出していったのが信長なんです。

樋口:ふうん。

楊:ある意味将軍家、この義昭って室町幕府の最後の将軍なんです。さっき深井くんもずっと言ってきたように落ち目なんです、落ち目。落ち目で自分がそのリーダーになったところで誰か俺を助けてくれ、だれか俺の呼びかけに応じて上洛一緒にやってくれと応じたのが信長。

樋口:へえ、それで行ったんですね。

深井:逆に言うと永禄の政変が起きてなければ信長はそういう中央政界に進出するチャンスなかったと思う。

樋口:そうか。

深井:だからすごくこれラッキーだったし、彼の決断の中でもかなりでかい決断の一つだと思う、義昭と一緒に上洛するってのは。結果的にはこれが成功することによって彼は副将軍みたいな立ち位置まで登る。

樋口:そうかそうか、そこで成果出したらその立ち位置がもらえるというメリットがあったから行ったんですかね。

深井:メリットがあるからですね。確かにそうです。この時、元々一緒に上洛しようぜって呼びかけてるのは信長だけじゃない。他にも越後の上杉謙信とか越前の朝倉氏とか、若狭武田氏、これ甲斐武田氏武田信玄とは違うと思うけど、若狭武田氏とか六角氏という人もいる。いろんな人を頼るんです。頼るんですけどなかなか相手にしてくれない。

樋口:そんな気がする、普通は。

深井:朝倉義景っていう人を頼るんです。頼って実際に朝倉氏のところに住んだりするんだけど、義昭が。なかなか一緒に上洛してくれない、朝倉氏も。で、しょうがなく信長に頼ったって感じ。

楊:勝ち馬じゃないしね。

樋口:そんな気がする普通に考えたら。

深井:あとね、みんな自分のところで精一杯。

樋口:さっきの話だと領土を奪い取られるとか。

深井:だから軍団率いて他のところに行くってのはものすごいリスクでもあるので、それを決断するかどうかってのはかなりの、今の経営で言うところの結構でかい投資判断と一緒。これに投資するかとか。だからすごい勇気のいることなんです。

楊:信長はちゃんと自分の地元で支持を固められたし、確かに落ち目ではあるけど権威ではある、まだ将軍は。自分はまだ力はあるけど権威はない。お墨付きがまだない状態。お墨付きがない権力ってのはただ単に物理的な力に過ぎないので、それを自分をお墨付きをもらおうとして誰も拾わなかった石を拾いにいった。

深井:それはね、もらってる。

楊:そうか。

深井:お墨付きはすでに義輝からもらってる。

楊:ああ、そうか。

深井:義輝がすでに尾張国主として彼を認めていて、その後に義昭、その義輝は殺された。その後義昭が出てきて、その義昭について上洛しようとしたのが信長だったという構図。信長は上洛するといったけどできなかった、実は一回。

樋口:そうなんですか。

深井:ややこしいんですけど、一回失敗してる。なんでかというとそんな場合じゃなかった。将軍義昭が上洛を信長に言いに行った時期ってのは信長は武田信玄と斎藤龍興とかと戦ってる。だからそんな場合じゃなかった。行きたい、行きたいけどそんな場合じゃありませんという話を将軍にしてる状態。まず武田信玄たちとなんで、武田信玄て相当やばい人、甲斐の虎と呼ばれてるめっちゃ強い人なですけど、この人となんで対立してるかというと、斎藤道三と織田信長は元々武田氏と対立してる、同盟が別々で対立してた。だけど、斎藤道三が死んじゃった、だから単独で対立しないといけない。

樋口:やばい。

深井:だけど武田信玄て上杉謙信というもう一人すごい強いやつがいる、それと戦ってたから織田信長と和睦するんです、一回。けれども美濃の斎藤氏が、斎藤道三が殺されて息子とかその孫の代になったときに、その美濃の斎藤と戦うということが、そしてそれの国境地域に勢力を広げていくというのが、これがまた甲斐武田と利害が一致しなかった。またこの和睦が無しになってまた対立することになる。こんなんばっかだった。

樋口:ずっとやってますね。

深井:はい。なんていうんですかね、複合的な要因で戦ってることになる。この抗争の真っ只中にあったので義昭の天下再興活動と呼ばれる、もう一回天下をとり直そうという活動にやりたいんだけどできませんという話をしてる。義昭は、将軍は争いを仲裁する権威を持ってる、この時点で将軍じゃないけど、この義昭は頑張って仲裁するんです。

樋口:ほおお。

深井:だから織田家と斎藤家の両家の和睦のために奔走して和睦させることに成功するんです。しかも武田とも同盟案が出てきて武田氏とも実は同盟を結ぶことに成功するんです。これによって敵対勢力は一旦落ち着く。落ち着いてこれで上洛できるぞとなるところまで義昭自身が頑張る。義昭自身が頑張ってさあ上洛するぞと言う時に信長がやったのがやっぱ美濃と戦うということ。それで上洛できなくなっちゃう、また。

樋口:へえ。

深井:意味不明だと思いますけど。

樋口:ほえええ。

深井:美濃と戦争を続行した理由も説明するけど、その前に義昭がいろんな戦国大名に上洛を呼びかけたという話をした。この上洛をするってのは当時の戦国大名たちにとってどんな感覚なのかを一回説明しておきたいなと思います。まず、将軍の立ち位置、将軍の立ち位置は足利義輝の時点、殺されちゃった将軍、権力基盤は当然ですけどだいぶ弱まってます。

樋口:トラブりまくってますから。

深井:トラブりまくってますし、応仁の乱の後だし、明応の政変とかで段階的に弱くなってた、それで永禄の政変が起きて殺されちゃうから。殺される直前の義輝ってのはめちゃくちゃ弱まってる状態です。元々は各国の守護が在京して京都にいて将軍を支えているという状況だった。将軍て軍事力をもってないから、ほとんど、2-3000人くらいしか兵士持ってないので。

楊:招集しないといけない。

樋口:へえ、そうなんですね。

深井:人に支えてもらわないと生きていけない、元々。この生きていけないので支えてもらってた人たちがそれぞれの国に帰っちゃったので、だから上洛してくれという話をしてる。自分を支えるために上洛してくれということを自分の家臣たちに言ってる状態。けど家臣たちは自分が家臣であることを半ば忘れ始めてる状態、戦国時代だから。家臣たちも気持ち的には本当は行きたい。一応家臣だし面目も立つし家臣として頑張ったぜってのもできるしね。行きたいんだけどやっぱり自分の国がそもそもめっちゃ戦争してるから、それを置いといていくってのはなかなかむずかしい。

樋口:そりゃそうだ。

楊:短期的に自分の国の方がクリティカルだよね。

深井:だから、イメージでいうと週6日で働いててそれでぎりぎり生活できてる人が新しい仕事増やせない話と一緒でむずい。それが週2日で働いて生きてますって人にあと3日働いてくださいってのはできる。だけどみんなそれができないという状態だった。とはいえ戦国大名からすると自分が守護の地位を奪って大名になってる人たちがほとんどなわけなので、自分を大名として認めてくれるのは将軍だけだから将軍と仲良くしたいってのはあるわけです。

楊:メリットは0ではない。

深井:0ではない。

楊:ただ、あくまで長期目標的にそれはメリットが得られるのであって、短期的には毎日のキャッシュを稼がないといけない状態。

樋口:はいはい。

深井:そういう気分で将軍と接してるんです。

樋口:はいはい。

深井:そうなんですよね。だから本当はやらないといけないのはわかってるけど目の前が大変過ぎて手伝えないみたいな感覚で上洛についていどんでる感じなんです。

楊:それ仕事の中でもある。

深井:あるある。しかも武田家とか上杉家とかいうのは関東管領管轄地域なので、ほら、室町幕府って畿内しか治めてなくて、それ以外のとこは分割統治して他の人が治めてるよって話してた。

樋口:そうだそうだ。

深井:てことは室町幕府に尽くすみたいな感覚は弱いんです。

樋口:それはそうだ。

深井:管轄地域外なんで、上洛するメリットってさらに低くなってる。

楊:別に京都に行って何か中央政界に関わってそこで利益、メリットを得てきたわけでもなく、多少はあると思うけど在京の守護とかと比べてもさらにそういう京都に対して上洛に対してメリットは相対的に薄いという感じだよね。

深井:上洛に対しての戦国大名たちの気持ちってのは場所によって違いはするものの基本的には将軍は無視はしたくない。自己の利益になるならば働きに応ずるという意思は持っている、ただ実際はやりたくてもなかなかできないというのが彼らの気分なわけです。信長も当然そういう気分なわけです。信長は自分のところでめちゃくちゃ戦争してますから。その戦争してるってのが止めばいけるよという話を義昭としていて、義昭が頑張って和睦を結ばせた。いよいよ上洛これでできるだろうという時になぜかやっぱ戦争するわって戦争してる。

樋口:そこ、なんで。

深井:これなんでなのかということですが、これを理解することが戦国大名を理解することに最も近づくかなと思う。信長は将軍がまあまあといって治めたところで彼らがやらないといけないのは自分の領土を守ること、そして家臣団に安心を与えて自分に仕え続けさせること。

楊:食わせ続けること。

深井:そう、それができるんだったらやるし、できるし、上洛できるし、できないんだったらできない。

楊:優先順位がね。

深井:この時は和睦を結ばせたんだけどその和睦が信頼できないということだと思う。つまり、よしこれで食えるとなったわけじゃないってこと。これで安心とならなかった。いつか必ず斎藤氏と戦う必要が出てくるであろう。であれば今は上洛をするよりもこっちのほうがメリットがあると彼は選んだということだと思います。

樋口:まあね。

深井:これはメリットデメリットの合理的判断なんです。

樋口:そんな気がする。

深井:気持ちとしては上洛したい。でもメリットデメリットで比べていくと今はやはりこっちを選択したほうがいいと合理的判断をして泣く泣く彼は斎藤氏との戦争を戦闘を続行することを選んだんじゃないかなと思います。

楊:実際当時の大名とかにとって、さっき深井くんが言ったように将軍でちゃんと仲裁したり紛争解決する機能が期待されてた。もちろんある程度機能してました、機能したけど結局紛争解決とか裁判するにしても時間かかるし、時間かかるしお金もかかっちゃうし、それよりも他の国との間で領土紛争自分たちで解決したり時によって侵略したり領土をぶんどって家臣たちに配っていったほうが早い。そっちの方が効率的。それがある種戦国時代の構造みたいな感じです。どんどん土地をとっていった方が自衛という前提のなかでとっていった方が最終的には支持が固まる。支持が得られる。第三者に調停をお願いするというよりも。

深井:土地とって家臣に与えるといってもその場にいる人たちをそのまま家臣にする感じ、どっちかっていうと。

楊:確かにね。

深井:自分の家臣に土地を新しく与えるということをやり始めた人はほとんどいないです、この時代。たまにいるんですけど。ということで、そういう理由で気持ちとしては上洛したいけどできないとう状況が続きまして、これによって信長は完全にメンツを失うんです。天下の笑い者になるみたいな感じで世間から嘲弄されたと書いてあった。メンツを失ってでも戦争を続行した方がいいということを彼は決断したわけです。

樋口:理解できますね、今の話を聞くと。

深井:結果的に彼は上洛してるわけです。だからこの美濃との戦いを収めたあたにリベンジとして上洛して義昭を将軍につけるということを成功させるのは、やっぱりこの時に気持ちとしては行きたかったのに実際問題でいけずにすげえ嫌だった、メンツ失って。まじで行きたいと思ってたから行ったんじゃないかなと思います。

樋口:はい。

深井:美濃との戦いなんですけど8年続いたやつ。美濃斎藤氏の、どうやって終結させたかというと、斎藤家の重臣であった三人衆と呼ばれてる人たちがいる。この人たちを裏切らせることによって戦いに勝ちます。

樋口:ふうん。裏切らせたんだ。

深井:これ、33歳くらいの時ですね。

楊:おれらと同じくらい、今の。

樋口:ふうん。すごい。

深井:そうだね。このころから天下布武っていう印鑑を使うようになる。これは天下布武ってのは冒頭の一回目かなんかに言いましたけど信長が日本全国の統一するという意思を表明していたのではないかと一昔前までは言われていた。最近ではそういう意味ではなくて、この時の状況を鑑みると義昭の上洛を手伝って畿内を義昭の将軍権力によって治めるという意味ではないかと言われている。この布武の武ってのは武家の武である。武家の棟梁である義昭を将軍につけて畿内、天下てのは日本全国のことではなくて畿内のことである。この畿内を統一して治めるということをして幕府権力を回復させるんだという意味で使われてるという説が最近言われてる。人によってはやっぱりこれは天下統一のことなんだといってたり、人によって別れる。

楊:実際は自分は天下統一できるかもしれないという力の実感が伴ってそこがビジョンに結びついた。それもいろいろ説はあるみたい。

樋口:なるほど。

深井:という状態です。

樋口:ちなみにこの時の天下である畿内というのがどこの国のことかというと、今の京都、奈良、兵庫、大阪らへん。当時の大和国とか山背国とか摂津とか、河内かな、河内とかいて河内、和泉そういうところです。上洛を表明して畿内平定に向けて動きだす信長というところですね。最初、義昭派閥の大名たちをまとめ上げて、これを織田領国に併呑していきます。他の大名ってのは信長ほど余裕がなかったんだと思う。だから上洛できなかったと思う。畿内の大名はたぶんみんな一応信長のように上洛するチャンスはあったと思うけど、ちょっと遠い上杉とか武田は上洛は難しかったかなと思う、遠くて。かなりいろんな敵を倒しながら進まないといけない状態になる。

楊:織田も美濃は落としたんだっけ。

深井:落としてからやった。

楊:美濃も尾張も土地としては石高が高いんです。結構豊かな土地で経済の基盤ができたってのも大きい。

深井:人口とかも、畿内の人口が圧倒的に多いので実は、畿内の近くの美濃とか抑えたりしていくとすごく強いんです。畿内ってのは人口が多いものの細かくいろんな人で分かれてるんです。だから人口が多いけど密度も高いけど国が小さい。一つのでっかい勢力がない状態。ここにそばの美濃という国で人口をいっぱい抑えた信長が義昭派の人たちをどんどん自分の陣地に入れ込んでいって拡大していくと最大勢力になっていく。

楊:遠征するのにも物資を、兵団を築いて物資を流していくルートを作らないといけないし。兵士と馬にしても餌も一緒に持っていかないといけない。戦争に金が必要ということ。金が経済力がないとなかなかうまく戦争にできない、遠いところに出かけていけないとうのが現実問題としてあった。

樋口:なるほど。結果的に美濃を落として正解だったとなりそう。

深井:正解というかすごくよかった。

樋口:よかったということですね。

深井:すごくいい状態です。ついに義昭と信長は京都に入る、いろんな敵倒しながら、味方は味方に入れながら敵を倒しながら進んで京都に入って、将軍を殺した三好氏というのの軍勢を攻略してついには畿内平定を成し遂げるわけです。成し遂げたら義昭が将軍になれるということなので朝廷に働きかけて、朝廷の方でもそういう情勢を受けて征夷大将軍として義昭を任命する。これすごい功績を信長があげたことになる。将軍につけてあげたわけなんで、将軍からめちゃくちゃ感謝されて、功績あるから君は副将軍か管領ていうナンバー2の格に就くように求められるんですけどこれを辞退するんです。

樋口:辞退するんだ。

深井:うん。

樋口:へえ。

深井:代わりに堺と大津とか草津に代官を置くことを願い出るんですけど、ここらへんは港なんです。

楊:当時って港があれば経済圏ができるし物資調達ができるので港があればキャッシュが入るという認識です。

樋口:ふうん。

深井:従来の通説だと義昭政権てのを信長は傀儡として扱って実質の権力を信長が握っていったんだ、マリオネットだ、義昭はマリオネットだという言い方がされてるんだけど、必ずしもそうではなくてちゃんと義昭主体でいろいろ行われていて、信長はサポートに徹していたという説が最近のやつですね。

樋口:へえ。

深井:この時も通説だと信長ってのがこの時点で権力交代に向けて革新的な動きをし始めてると言われてるけども、そういう話ではなくて今までそもそも将軍の権力は弱くて実権を握ってたのは側にいた有力守護だった。その構図を引き継いでるだけだと最近言われてます。

楊:そうだね、既存のシステムの中で。

深井:だからめちゃくちゃイノベイターだと言われてるんだけど、そうでもないというのが最近の説なんです。

樋口:ええ、ショック。

深井:これ読んでて本当に疑問だったけど本郷和人さんという方がおっしゃってた同じことを言ってたと言ったらめちゃくちゃ僭越なんですけど、すさましい学者さんなんで。信長のことを昔はめっちゃすげえ革新者だという歴史の作り方をしてた、日本史が。比較的最近の研究というのは、いやそうではない、彼は普通だったんだと言ってる。僕はそれをどっちとも見た時に一つの疑問が浮かぶんだよね。じゃあなんでこの人が天下統一直前までいったんだってはなし。彼が普通だったとしたら。

樋口:本当にそうだ。

深井:本郷さんも同じことを本に書いてて、そうだよね。普通じゃない、たぶん。運もいいし実力もある、彼は。決断すべきところで決断してる、それは絶対あるけどめっちゃイノベイターかといったらそうじゃないという話。つまりこの後も説明するけど楽市楽座とか彼が経済政策も革新的で軍事政策も革新的でとか言われてるけど。全部もともとあったんです本当は。それをちゃんと新し目のやつを踏襲していい感じで経営しながら要所要所でちゃんとした決断をしていて本人が強かったっていう。

楊:もちろんそれだけでも強いんですけども若干めちゃくちゃの天才イノベイターという感じではない。彼のいろいろ素晴らしい決断が重なってそれが時代の歯車、時代の構造の歯車にかちっと噛み合ったような印象があります。

深井:だから天才というよりはラッキーな秀才みたいな感じ。

樋口:まあでも、ちゃんと優秀な人って感じ。

深井:ちゃんと優秀な人です。

樋口:きっちり優秀なんですね。

深井:ということでこの時点で自分が将軍を押し上げてあげた。押し上げてあげた将軍とその人に認められてる自分という形で幕府の中ですごく重要な立ち位置として振る舞うようになります。この後この将軍とじつは対立するようになる。それが次回ですね。

樋口:ちょっと待って、対立しすぎじゃないですか、みんな。

楊:戦国時代なんで。

樋口:なんか、やれ弟を殺しただの対立しただの裏切っただのやっぱり攻めるだの。

深井:喧嘩ばっか。

樋口:すごいな。でもその中で立ち振る舞いがうまかってってこと。

楊:そこの中で生き残るだけでも相当すごいと思う。

樋口:だから生きてるだけですごい。

楊:生きてればいい。

樋口:これはLINEスタンプ売れる。なるほど。そんな感じですかね。

深井:はい。

樋口:ありがとうございます。

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