#172(前編)各国における戦後の動乱 〜過ちを繰り返さない為に私達ができること〜

【今回の内容】
オスマン帝国のその後/ギリギリからの起死回生!英雄ケマル・アタテュルク/オーストリアのその後/国の分裂!民族自決/ロシアのその後/流れおさらい/資源を大量に失ったロシア/セルビアのその後/多民族国家ユーゴスラビアの成り立ち/イタリアのその後/勝利するも多大な損害「損なわれた勝利」/ファシスト党の成り立ち/次回・イギリス、アメリカ、フランス、日本のその後

樋口:はい、ええ、前回まではついに第一次世界大戦終幕というところのお話をお聞きしたんですけども、今回はその後ですかね。

深井:各国のその後ですね。ドイツに関しては伝えましたけど、次はオスマンね。オスマンはもともと1914年の戦争が始まった年の時点でロシアに対抗したかった、南下政策をとる、参戦してます。オーストリア、ドイツ側で参戦をしてるんだけど、やっぱりオスマンて広大な領土を持ってたし前半の方でいった国民国家モデルが導入できないというのもあったし、ロシアと戦うだけじゃなくて、エジプトではイギリス、アフリカではイギリス軍と対峙しないといけない、中東ではイギリスの支援を受けたアラブ勢力と対峙しないといけないという状態があって、超絶難易度の戦争に挑んでしまってる。なんか近代化も難しいのに。

楊:そうだよね、守らないといけない領土が広すぎた。

深井:この時に本編で、というか今まで話したことなかったけど、ダーダネルス海峡というところを望むガリポリという場所がある。ここを当時のイギリス海軍大臣だったチャーチルっていう人が攻める作戦を立案する。

樋口:はい。

深井:これは、オスマンからしたらここは本当に陥とされたちゃだめなところ。

楊:拠点だよね。

深井:そう。

楊:拠点というか要地かな。

樋口:ええ。

深井:イギリス強いし、チャーチルって第二次世界大戦てヒトラーと対峙してある意味イギリスをなんとか勝利に導いた人でもある、このチャーチルとこの時に戦ってなんとかオスマン軍を勝利に導いた、この戦いでは勝利に導いたのが、ガリポリの戦いという、これ、それがケマル・アタテュルクです。

樋口:はあはあ。

楊:トルコ共和国の建国の父です、後の。

深井:今のトルコ共和国の初代大統領です。これが。

樋口:ええ、ええ。

深井:ただ、この後オスマン帝国も攻勢に攻撃に耐えきれず1918年にはイギリスと停戦協定を結ぶことになって、首都コンスタンティノープルは連合軍に占領されます。主要都市も全部占領されます。

樋口:なるほど。

深井:オスマン帝国の元軍人というか軍人たちだけは各地で抵抗活動を続けていて、スルタンがいる、あのメフメト2世とかもスルタンだったけど、今でもいる、今というか今はいない、当時もいた。そのスルタン政府があったけど、それを批判する、こんなボロボロに負けやがって、ふざけるな、という話で批判し始める。これってどこでも起こってる。

楊:そう、ロシアでも起こってる。

深井:弱い政府が怒られるという江戸幕府もそうだった。近代化に失敗した政府、現政府が先進国にボコボコにされるないしは脅されて弱腰だったりすることに国内が切れるという構図がここでも起こるわけです。

樋口:うん。

楊:ある意味、今回のテーマの最初くらいの回で言ってた国民と国との契約がここで一回切れるわけです。

深井:スルタンの政府は連合国側とセーブル条約という条約を結ぶ。これによってオスマン帝国の領土ってのはめちゃくちゃ削られる。めちゃくちゃ削られて当然だけどこれに対して国内で反発が出ます。この反発をまとめ上げてトルコ大国民議会というのを開いて団結させたのがムスタファ・ケマル、これが。

樋口:おお、おお。

深井:ムスタファ・ケマル、ケマル・アタテュルクの尊称ですね、すみません表記が揺れちゃったんですけど。ケマル・アタテュルクさんですね、逆か、ケマル・アタテュルクが尊称ですね。

楊:そうだね。

深井:各地の都市を占領してた外国軍を撃退して、この時ギリシャがもともとオスマンの中にいたギリシャが独立したあとに、オスマンがボロボロになってたから逆にギリシャ攻めてきたりした、どさくさにまぎれて。これの、本当にだからオスマントルコってまじでぎりぎりだった。本当にぎりぎりの状態だったんだけど、このちょうぎりぎりの状態でこのケマルがなんとかするわけです、本当に。

楊:そうそう、首の皮一枚のところでなんとか国を命脈を残していく。

深井:各地の外国軍を撃退して、このギリシャの侵攻も跳ね返して、セーブル条約ってものに変わる新しいローザンヌ条約というのを結んで、トルコの領土を今のトルコの共和国までと同じ領土まで回復させて、で、トルコ共和国を成立させて大統領に就任して、で、オスマン帝国は消滅する。カリフ制はこれによって廃止になる。そしてトルコを一気に近代化させていくためにトルコのローマ字を採用したりとかね。

楊:そうだね。

深井:トルコ人という概念を作って、国民国家化したり。

楊:国として強力にまとめ上げる。

樋口:はは。

深井:だからオスマントルコはちょう、全体的に消滅の危機にあったんだけどムスタファ・ケマルさんが本当になんというか大逆転みたいなことをして、トルコっていう共和国自体は成立させてなんとかして今のトルコがある、それは英雄になるでしょうねって感じです。

樋口:なるほど。

楊:もう民族の独立を守った英雄ということですよね。

樋口:でもかっこいいですね。

深井:トルコ人からしたらかっこいい。

楊:ちなみにビジュアルもちょうイケ面です。

樋口:そうなんですか。

深井:そう。

楊:みなさん調べてみてください。

樋口:へえ。

深井:顔もかっこいいですね。なんかしっかりした感じの漫画に出てきそうな人。ぜひファンは多いと思います。

樋口:なるほど。

深井:これがオスマントルコのその後です。

樋口:はい。

深井:じゃあ、オーストリア、どうなったか。

樋口:ああ、開戦のきっかけとなったオーストリアですよ。

深井:開戦のきっかけとなったオーストリアですね、フランツ・フェルディナントが暗殺されて皇太子がいない状態になりますよね。一回。

樋口:そうだそうだ。

深井:その時の皇帝はフランツ・ヨーゼフ1世ていう人でした。フランツ・フェルディナントとあまり仲が良くない人。このフランツ・ヨーゼフ1世が60年に渡って帝国を支配してたんです。

樋口:長いですね、60年、支配してたのがですよね。

深井:彼が在位してたのが。

樋口:すごい長い。

深井:オーストリアってのは中にいろんな民族をたくさん、まじでたくさんいた。ゲルマン人だけじゃなくてマジャール人もいて、とか。さっきいったセルビア人もいて、とか、いろんな人たちがいるからそもそもぎりぎりのところで、

楊:まとまってた。

深井:まとまってた。国民国家モデルの国が出ていって、みんなが民族単位で団結していく中で自分らだけ民族で団結せずにわけわからない、わけわからなくないけど、今までの皇帝という存在によってまとまってたのが、いよいよ60年間この人がまとめあげてたのが、この人の死によって崩れていくし、しかも戦争の途中に亡くなっちゃう、戦争でも当然ですけど敗戦国みたいな状態なんで、完全に分裂しちゃうんです。オーストリアが瓦解します、帝国が消滅します、完全に。アメリカのウイルソン大統領というのは基本的にオーストリアの内部の諸民族は民族自決、つまりそれぞれの民族で自分で独立していきなさい。

楊:国作っていいよ。

樋口:はいはい。

深井:という話をする。だから実際そうなっていくわけです。

楊:だからいろんな国がボンボンできていく。

樋口:なるほど。

深井:チェコスロヴァキアとかがこうやって出来ていく、そこから。クロアチアとか、ポーランドとか、その一部だったりしてたけど。オーストリアはイタリアと戦ってたりしたんですけど、そのイタリアと休戦協定をむすんで、フランツ・ヨーゼフが亡くなった後カール1世という人が一応皇帝を継いでたんだけど、この人はすぐにダメになっちゃうんです。

樋口:ええ、ええ。

深井:この人は戦争中に交代して、戦争が終わったころにスイスに亡命してその後ハンガリーの王様になろうとするんだけどなれずに終わる。

楊:なんかなりたかったのかな。

深井:なれる可能性があると思ってたんだけど、それも出来なくて、ハンガリーはハンガリーで独立しちゃう、民族自決に則って独立してしまう。

楊:そうだよね。

深井:オーストリアてのは共和国として臨時政府を作ってドイツ系民族でまとめあげることにします。だからオーストリアはオーストリアで今まで多数の民族をまとめ上げるでっかい帝国だったのが、ドイツの部分だけ、ドイツ民族の部分だけぼんて残って、そこだけオーストリアとして残って、オーストリア共和国としてそこで民族自決していくっていう。

樋口:はいはい。

深井:みんな民族自決していったってことだよね。の方針に則っていったってことだよね。

樋口:はいはい。

楊:そう。線引きの仕方を変わっていった。

深井:だけど、矛盾してるのはこれドイツ系の人たちだからドイツと一緒でもよかったんだよね、本当、て気持ちもある、そもそもドイツ系だから自分たちがオーストリア人。だからこの後ナチスドイツがオーストリアを併合する。

樋口:へえ。

深井:けど、ナチス負けるから、また。出ていくんだけど、分かれていく。オーストリアはそういう経緯でいまのオーストリアです。ナチスドイツから解放されたあとに初代大統領が選ばれてカール・レンナーという人らしい。この人が選ばれて今のオーストリアに繋がっているという感じ。ウイーンは僕も行ったことありますけど、ちょうどフランツ・ヨーゼフの展示会やってました。

樋口:へえ。

楊:ふうん。

深井:すごい皇帝って感じの見た目の人です。ザ、皇帝みたいな感じ。それどうでもいいんですけど。

樋口:はいはいはい。

深井:ロシアは、これちょっと繰り返しになっちゃうんですけど、一応おさらいしておくと、元々ニコライ2世が治めてた王政だった、皇帝制だった、それがロシア革命が起こってロシア革命の前段階に日露戦争の直後に一回皇帝と民衆の衝突みたいなのがある、これ血の日曜日事件というんですけど、そういう衝突もあったりする。ここさらっと流しますけど。ここで皇帝も譲歩して国会の開設とか憲法ぽいものを作る歩み寄る姿勢を見せるわけだよね。完全な帝政だったんだけど、ピラミッド型の貴族と民衆みたいな。これはフランス革命の時とかに近い。民衆が蜂起して王様が三部会開いてみたいな、あれの流れに近いですけど、国会開設して国家基本法というのを作ることで譲歩するわけです。それで一回譲歩してる中で大戦が勃発して、その中で芳しくない戦果をあげていく上に徴兵とかで負担をめちゃくちゃ強いてしまってストライキとかが起こりまくる、国内で。もともとそういう皇帝に不満があって譲歩しないといけない状態だったところにそういう戦争が第一次世界大戦みたいなちょう負担を強いる戦争が起こって、ロシアとかめちゃくちゃ損耗した、損害が大きかった。そしたらドイツ系の皇后がいる、ロシアの皇帝の奥さんてドイツ系だった、アレクサンドラって人が、この人に前も言ったけどラスプーチンていう本当にわけのわからない人が。

楊:怪僧。

深井:怪僧って、怪物の怪に僧侶の僧で怪僧と呼ばれてる。アレクサンドラの息子、ニコライ2世の息子が病気、先天性の病気持ってて、体弱かった。男の子が一人しかいなくて、その前がお姉さんが四人いる。だからめちゃくちゃ甘やかされて育ってる男の子が一人いて。この男の子がでも病気がちだったからめちゃくちゃニコライ2世とアレクサンドラは心配していた。その皇太子。

楊:そう、後継ぎだから。

樋口:はい。

深井:後継ぎに対して。病気を治せるよといってこのラスプーチンが近く。

樋口:これはスピリチュアル系の。

深井:スピリチュアル系の感じで。本当に治しちゃう、治ってないと思うけど、個人的には。治しちゃう、ラスプーチンが。それに皇后アレクサンドラは心酔してしまう、すがっちゃう、依存しちゃって、このラスプーチンとずぶずぶになっていく。民衆はこれにすっごい不満が溜まっていく。しかもドイツ系で敵じゃん、みたいな感じになっていくし、戦況も悪化していくし、厭戦感情てのも国内で広まっていくし、負担を強いられて食料状況が悪化して飢餓とかが発生するしみたいな感じで、つもりにつもって、さっき言った1917年に王政がついに打倒されていって臨時政府てのが作られるんだけど、その人たちは戦争続行を決意する、それも失敗、戦争で芳しくなくてその責任を負わないといけない、民衆の信頼をさらに失って、臨時政府も失ってしまうところにボリシェヴィキを率いるレーニンが出てきて、この人が10月革命てのを起こし、ロシア革命てのを起こしてソビエトを作る。という流れでした。そして休戦協定をドイツと結んでかなりの領土とか資源とかを失うわけです。実際ロシアが失ったのは鉱物資源は73%失った、人口の3分の1を失って、石炭の89%を失ったと言われてる。

樋口:うわあ。89%。

深井:そう。

樋口:えげつない。

楊:本当第一次世界大戦で勝者がいない。勝者いるとすればアメリカくらい。

深井:アメリカは勝者だよね。でも彼らもすごく亡くなってるからなんとも言えない、本当そう。日本かもね、下手したら。

楊:確かに。

深井:これでこれから言えるのはそれほどのものを失ってでも平和の方がいいとなったのがこの時だったわけです。

樋口:はいはい。

深井:レーニンも暗殺されかけながらもこのいろんなこのあと色々内戦とかも起こるんですけど、ロシアの中、ソ連の中では。一党独裁体制というのを確立されていって、この中でスターリンという人が権力を握っていき第二次世界大戦に突入していくというのがこのロシアの流れ。これも本当繰り返しになりますけど。繰り返し言ってもいいかなというくらいいろんな人が出てくるんで。ていう流れだよね。

樋口:はい。

深井:おさらいだったですね。あと、セルビア。戦争を起こすきっかけになったセルビア。どうなったかというと、そもそもセルビアを脅かしていたオスマン帝国もある意味吹っ飛んだ、そしてオーストリアも吹っ飛びました。この人たちは南スラブ、これユーゴスラビアという、これを、南スラブのことを、聞いたことあるよね。

樋口:あります。

深井:このユーゴスラビアてのをまとめ上げて最初にすげえ名前の国作る。セルビアクロアチアスロベニア王国てのを作る。

樋口:なんかいっぱい、ええ、三姉妹。

楊:とりあえず全部くっつけたって感じ。

深井:南スラブの人をくっつけた。でも、あとでこれユーゴスラビア王国と改称されます。ユーゴスラビアというのは南スラブという意味です。

樋口:うん。

深井:はい。ですね。

樋口:はい。

深井:セルビア人が主導した国家を作ることができたわけ。

楊:やっぱ多民族国家だもんね。

深井:でもここにはいろんな人がいる。なんでいろんな人がいるかというと、これオスマン帝国領だったからです。オスマン帝国の統治スタイルがいろんなやつがいていいという統治スタイルだった、もともと。

樋口:でしたね。

深井:あれが理由なんよね、本当。

樋口:はあはあ。

深井:あれでいろんな人がいて、オスマン帝国領というのはがっつり統治しない、やっぱ。がっつり統治してないからいろんな人たちが存在し得たんです。

樋口:そういうことですね。

深井:拮抗勢力の状態で。宗主権は握ってるんだけど、全部攫っていかないというスタイルをとることによってあの地域の民族てのは多様な民族が同時共存する形で存在することってのがルーツ、系譜としてできてしまうという状態を、そういう系譜で作られてた。

樋口:それは、オスマン帝国の時に勉強しました。

深井:それが国民国家モデルとぶつかった時にこういうような問題が発生したんです。

楊:もう、民族がモザイク状態になって、一つの国の中に存在しているという状態です。

樋口:はいはい。

深井:世界恐慌が1927年かなんかに起こるけど、この時に国内に反乱が始まってしまって、ユーゴスラビア王国がね。1934年くらいには一次世界大戦と二次世界大戦の間くらい、民族対立で国王が暗殺されたりとか色々するんだけど、ガタガタになってる。二次世界大戦に入ったらナチスドイツに占領される、ここは。けどその後にはティトーという人が出てきてナチスドイツへの抵抗活動を続けたりして、その後に二次世界大戦後はユーゴスラビア連邦というのが成立する。

楊:そうそう。

深井:そういう流れ。

楊:二次大戦終わった後に1990年くらいにユーゴスラビア危機みたいな、ようは民族紛争が起こってすさましい虐殺とかがそこで起きる。

樋口:はあ。

深井:でもルーツはこういうところにあるわけ。結局、オスマントルコの統治スタイルにあるということですね。

樋口:なるほどね。

深井:次、イタリア。ほぼ出てきてないけど。イタリアも参戦してたんです。

樋口:三国同盟か、イタリアは。

深井:もともと三国同盟だったんだけど。

樋口:ですね。

深井:ドイツ側、ドイツ、オーストリア側にはつかなかったんです。裏切ってイギリス、フランス、ロシア側についたわけです。

樋口:はいはいはい。

深井:ロシアが戦線から離脱した時にイタリアはオーストリアと戦ってたんだけど、ロシア戦線離脱しちゃったんで、ロシアが、ドイツがオーストリアを支援できるようになってオーストリアを支援したことによってイタリアが反撃されちゃって結構な死傷者とか大量の捕虜とかを出しながら。結構弱かった、そんな感じで負けながらも1918年になったらアメリカが参戦した。それで戦局が変わっていきましたよね。

樋口:うん。

深井:なんで、負けてたんだけどかろうじて勝者として終えることができるわけです。イタリアも損害すごくて、動員した兵士600万人、65万人が死亡して負傷者は100万人もいて、捕虜は60万人もいて、民間人の死者でさえ60万人もいて、戦費は1570億リラ、これちょっとよくわからないけどめちゃくちゃかかって、国債の発行は戦争開始前の4倍もあって、対外的な負債はアメリカに20億ドルもあって、イギリスに対して4億ポンドにもあって、ようはめっちゃ借金してて。ぎりぎりの状態で勝ってる状態、本当に勝者なのかどうかわからない。

楊:本当だよね、これを感慨深いというと失礼だけどローマ帝国の時じゃ考えられないくらいの損害。

深井:古代とは桁の違う損害とかが起こってるわけです。パリ講和会議、戦争の最後の終わった時の会議の中でイタリアは未回収のイタリアと呼ばれてる部分を彼らはそれも国民国家の概念からして自分たちが回収したかった、その部分を。だけども希望通りにはいかなかった、実はイタリアの。

樋口:あら。

深井:それを希望通りにするためにドイツとかを裏切って参戦したのに、そしてこんなに損害を出したのにもかかわらず希望通りに彼らはいかなかった。この不満は損なわれた勝利と表現されて、当時の内閣が辞任するにいたって、アメリカ大統領に対してイタリアのナショナリストはめちゃくちゃ切れたりするようになるんです。この中でダヌンチオっていう詩人が出てきて、日本でいうところのあの人に近い。

楊:三島由紀夫。

樋口:三島由紀夫か。

深井:三島由紀夫みたいな人が出てきて、その人が未回収のイタリアの部分に勝手に進軍したり都市を占領したりしてね、それが前例になってこんどはムッソリーニって人が出てきて、この人が暴力的な活動を展開していって国家を掌握するクーデターを起こすんです。これでファシスト党が出来上がってきます。これがイタリアの流れ。このイタリアを真似てヒトラーはミュンヘン一揆っていってヴァイマル共和国を倒そうとするけど失敗して、民主主義的な政権奪取に切り替えていくっていう話はヒトラーの時にしましたよね。

樋口:はいはい。

楊:最終的にヒトラーのナチスとこのムッソリーニ、そして日本が第二次世界大戦の時に同盟を結ぶっていう流れになっていく。

深井:イタリアは勝者だったのにすっごい悔しかったんだよね。

樋口:うん、なるほどね。

深井:希望通りにいかずに。それが第二次世界大戦への反動に繋がっていってしまって、むしろその時第一次世界大戦の戦勝国の人たちと対立するにいたってしまうということです。

樋口:なんかな。

楊:そう。

樋口:なんか、未回収のイタリアからの損なわれた勝利みたいな。なんだろうな、このキャッチコピーみたいなの。

深井:まあ、ダヌンチオも詩人だし、ムッソリーニも記者だからそういう表現がうまいんじゃない。

楊:レーニンも結構文筆家だったよね。

深井:論文とかいっぱい書いてるし、単純にあの人知識人層、かなりの。レーニンとかって。

楊:あと、当時って最初のメディアの力が強くなっているので、文筆家とかジャーナリストとかが政治の政府の要職に就くことが多かった。

深井:そうそう、これも説明したらあれだけど、当時の世界のだれが一番人気者かと言ったら、文章を書く人なんです。

樋口:へえ。

深井:今の俳優みたいな、ハリウッドスターみたいな立場の人誰かと言ったら小説書く人とかそういう人たちなんです。

樋口:へえ、そうなんですね。

深井:それが一番の娯楽であり、一番の世論形成だから。

楊:そうですね。

樋口:はあ。

楊:言葉を作れる、言葉を力を出せる人ってのがすごく力を持ってた時代です。

深井:そうそう。

樋口:だからまあまあ人気のエンタメだったんですね。

深井:そういうことです。

樋口:なるほどなるほど。

深井:で、まだ、続くよ、あとイギリスとアメリカとフランスと日本の話残ってるけど、イギリス行くね。ちょっとスピードあげよ。

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