#155 マルティン・ルター登場 〜神聖ローマ帝国に鳴り響く異端児の産声〜

【今回の内容】遂にルター登場!ルターの半生と急な悟り/聖書を勉強して生まれたカトリック教会への不信感/贖宥とは何か?/償いの代行の始まり/罪の償いを売る?贖宥状爆誕/宗教改革の火種!ルター、異議を唱える/ルターが何を言ったのか?その背景とは?/カトリックを真っ向から否定したルターの言い分/活版印刷がもたらした聖書の普及

樋口:はい、と言うことでございまして、なんと今回からついにルター登場ということでお願いします。

深井:マルティン・ルター、神聖ローマ帝国、今のドイツ北東のアイスレーベンというとこで生まれた、知らないですけどアイスレーベンてとこ、そういうところで生まれたと。

樋口:はいはいはい

深井:1483年くらいに生まれた人です。もともと先祖は農民だったみたいだったみたい。先祖というかおじいさんの代とかが農民で、お父さんが農村を出てめちゃくちゃがんばって資本家になるみたいな。身分上昇する、身分というか、お金もってるしみたいな感じで。息子であるルターにめちゃくちゃ期待をかけて大学で法律を学ばせる。

楊:そうそうそう、おまえは出世しろよ。

深井:出世しろと。

樋口:いい、教育受けてる。

深井:いい教育を受ける。そのいい教育を受けるなかで謎のエピソードがあって、

樋口:なんですか。

深井:いきなり雷が落ちてきて、

樋口:どこにですか。

深井:どこなんでしょうね。

楊:これも僕がよんだ本に書いてある通りにざっくり説明すると、村に帰っていた途中で夕立が降ってきたんです。空があたりが真っ暗になって稲妻がばんと落ちてきた。それにめちゃくちゃルタービビる。あわってビビって地面に倒れたのかつっぷしたのかわからないけど、そこで彼が恐怖を覚えてなにか悟ったのか、何か心の中で思いが生まれたのが、修道士になります。

樋口:え。

楊:というふうに叫んで学校をやめて修道士になります。

樋口:なんで。

深井:僕も初めて読んだときにえっとなったけど。さっきいったみたいに信仰を基礎とした社会においてはめっちゃ想像ですよ、これは本当違うのかもしれないけど、多分神様がかみなりを落としてるのも神様だし、修道士になるっていういいことをすることによって救われるし。

楊:かれ、そこで死を意識したんだと思います、死の恐怖におそわれたんだと思います。

樋口:なるほどなるほど。

深井:謎のエピソードです。

楊:空海とかみたいにエリートコースで頑張ってきたのに急にほっぽり出して宗教の道に走る。

深井:いきなり宗教の道に入ってお父さんまじで困る、みたいな。

樋口:そりゃそうだ。

深井:お父さんにだいぶ怒られてるみたいですけどね。アウグスティヌス修道会っていう厳しいところに入って修道生活を送る。修道生活ってきびしいんです。すごく貧乏だし、清貧みたいなね。ここでめちゃくちゃ聖書を読み込む。

楊:そう、なんかおれが読んだ中では聖書を丸暗記できたと書かれてあった。すごいよ聖書結構ぶあついからね。

樋口:へえ、だから勉強できたからそういうのやっちゃう、

深井:そうですよね興味があったらできる。

楊:心理追求型だろう。

樋口:なるほど。

深井:ビッテンベルグというとこの修道院に移って。ここはキーポイントの場所になる、彼にとって。彼を後援という応援してくれるザクセン選帝侯という人がいるんですけど、そのザクセン選帝侯がいるところですね、このヴィッテンベルグ、あ、ヴィッテンブルグですね、ヴィッテンブルグ。聖書研究に没頭する、ルターが。この中で彼が気づくわけです、彼はそう思ったわけです、カトリック教会がいっている救われ方って聖書に書いてあるやつと違うくないと思う、彼が。

樋口:出た出た、この話ね。

深井:カトリックが思って欲しくない奴。

樋口:はいはいはい。

深井:かれは純粋に聖書研究しててそういうふうに思った。

楊:あと彼本人は修道士になってる時にいろいろ救いを求めて自分の悩みとか苦悩を解消するために一生懸命勉強するんだけど、全然自分が救われた感じにはならない、全然不安が解消されないという葛藤もずっとあったみたいです。

樋口:なるほど。

深井:そうですね。当時教科書には免罪符って僕が学生のときに書いてあったんだけど、贖宥状と今書いてある、今の教科書には。いわゆる買えば天国に行けますみたいなものをカトリック教会が販売してた、お札みたいなのを。この買えば天国に行けますと言うのは実は語弊がある。ちゃんと説明するね、このあと。贖宥とはなにかという説明をします、先に。この贖宥状というものを販売してたカトリック教会に対抗したルターが1517年にそれは違うだろうっていう話をしたら、それが燃え上がっていくというのが宗教改革の始まりなんだけど、そもそも贖宥状とは何かという話をする前に、贖宥とはなにかを話さないといけない。贖宥というのはまず死後に天国に行くためには教会の教えに従う必要がある。じゃあどうやって天国にいくのかというと、キリスト教って生まれたときに原罪抱えてるのでそのままだと天国にいけない。なんで原罪を洗礼によって一回洗い流すとはいえ、聖書とか教会に反する行為をやってしまうこともある。それでも大丈夫なんです、実は。なにが大丈夫かというと悔い改めのサクラメントという儀式をやると許される、ちゃんと。

樋口:リカバリーできる仕組みがある。

深井:リカバリーできるんですよね。そこがすごい希望につながっている、当時の人たちの。この悔い改めの儀式というのには大きく3つのステップがあって。一つ目はめっちゃちゃんと後悔するというか自分が心のそこから悔いる。

楊:悔い改める。

樋口:悪いことしてもうたと思う。

深井:ちゃんと後悔する、それを司祭に対して告白する。

楊:懺悔。

深井:懺悔する。今でも懺悔ってあるよね。今度はそれを告白したあとに償うというのがある。償うというのは、例えばどういう行為があるかというと、例えば徹夜で神様に祈るとか、断食をするとか、決められた時間に毎回教会にいって祈るとか。そういうめちゃくちゃヘビーではないんです。できる範囲の償いというのがあって。この三つのめちゃくちゃ後悔して、悔い改めて、告白をして償うという、このプロセスを辿ると罪が浄化される、なくなる、洗い流されるんです。洗礼を受けてこういう日々の生活をしながら罪を犯しちゃったら、罪というのは毎度いうけど法律上の罪じゃなくてキリスト教上の罪、を犯したらそれを教会に浄化してもらって、それで救われるという構図。で、償うていう要素があるじゃないですか、最後の。この償うっていう要素はもっと進んで行くと聖職者が償いの代行をすることができるとなった。

樋口:代行業者が出てきた。

深井:代行ができる。これは比較的純粋な気持ちから出てるぽい。儲けようとかじゃくて、まず修道院の人たちが償いきれない人のために祈るのもあったらしいし、償ってその人たちが救われるようにするという純粋な宗教的な。

楊:償いが難しい貧しい人とか病気の人とかね。

深井:高潔な目的なあったらしいし、あとはもう一つは実はゲルマン民族の中にゲルマン民族の法概念の中に損害と弁済の代行という概念がじつは存在するんです。で、誰かに損害を与えたときにそれを弁済しないといけないけど、その弁済は自分じゃない人がやっても弁済になるんだという概念がそもそも法概念として存在してる、ゲルマン民族に。

樋口:あったんだ。

深井:そう、そのゲルマン民族にキリスト教が伝わってきたときに、それは法意識の話だったんだけど、罪を犯す、キリスト教としての罪を犯すと言うことは神に対する損害にあたる。その神に対しての償い行為というのは人が代行してもいいよね、とナチュラルに思った、ゲルマン民族が。

楊:償いがトレード可能なものになった。

樋口:はいはいはい。

深井:ていう民族意識、民族的な民族じゃないけどかれらの土地属性もあって、文化属性があって彼らがナチュラルに償いの代行というものを始めた。この償いの代行が今度は最初は罪告白されて、その罪に対しての償い行為の代行はやってた。それが後々一気に償い行為しておいて、ストックしとこう、償いを。

樋口:ええ、まだしてないのに、罪を。

深井:そう。それを後で犯した罪がきたときにそれを当て込んでいこうという概念。

樋口:面白い。

楊:それ信者側からもそういうニーズがあって。さっき深井くんがいったように、基本キリスト教て罪が前提にある。人が生まれてから洗礼したあとも日常の中でいろんな罪を重ねて行く。例えばちょっとした嘘をついたりとか、寝坊したりとか、小さな罪がある。その罪をそのままほったらかしにすると天国に行けない。ちゃんとその都度教会に懺悔とか償いをしてクリーンアップしていかないといけない。その都度。でもそのクリーンアップの部分を代行できるようになっていくんですけど、で、これが一つ問題が出てくるのはクリーンアップで償いって生きてるうちにしかできない。じゃあもしその自分が罪を犯して償う前に死んじゃったらどうなるのという不安が信者の中に出てくる。当時ってものすごく死にやすかった時代なので、その不安があった。その償いを先にストックするというニーズも信者側にはあった。

樋口:なるほど、マイナスの状態で終わりたくなかった。

深井:代行する側もそのニーズがあって。言われていきなり償うってしんどい。それよりも償えるときに一気に償いしといて、償いというのはめちゃくちゃ徹夜で祈るとかなんです。それできる時にずっとやといて溜めといてできることは償い代行の立場からしてもうれいいわけです。

樋口:効率よかったんだ。

楊:確かにね。

深井:代行してる人はもともとは最高の宗教的奉仕なんです。最高格の宗教的奉仕だからやってあげたいわけ、それを。けど、タイミングってあるから溜めておけたらいいよねということで溜めて行く。溜めて行ったら何がおこったかといったら、こんどはこれを販売するようになる。

樋口:余ったから。

深井:余まれる。

樋口:余まれた。

深井:余まれる。余ったやつを先にやっといたから、売るから買ってってなる。だから贖宥状ってそういうことなんです。要は罪の償いを代行してあらかじめ代行してくれたやつを金で買ってるんです。

樋口:これ、罪の話ですよね。

深井:罪の話です。

樋口:なんか、へんなの。

深井:代行してあったやつを金で買うんです。

樋口:すげえな、やってもない罪の話をしてる、いま僕らは。

深井:でもやった罪に対しても使える。自分が犯しちゃったな、罪を犯しちゃったな。これ買って解消しよう。さっきヤンヤンが言ったようにこれは途中からこれ死んだ人にも有効だよって教会は言い始める。そうすると死んだ人、例えば自分のお父さんが、お父さんたぶん煉獄いっとる、地獄というか煉獄というのがあって、本物の罪人てまじ地獄に落ちる、地獄というかもっとやばい地獄に落ちるんだけど、大体の人が煉獄というとこにいく。煉獄てめちゃくちゃしんどいことされる。ものすごく痛いことされたりする。

楊:釜で煮られたり。

樋口:うわ。

深井:めちゃくちゃ痛いことされるんだけど罪が少ないとすぐに出れる、すぐに天国にいけるんです。罪が比較的たくさんあると長いんです、その苦しみをなるべく少なくしたい、そうすると例えば先月お父さんが死んだ人とかの心境を考えると、先月お父さん亡くなったけど絶対いま煉獄にいる、しんどいだろうな今、今苦しんでるんだろうなと思う、子供は。頑張ってこれお父さんのためにお金出してこれ買ってあげたらお父さんの苦しみも減るんだったら買ってあげようと思って買ってあげてるわけ。ローマ教会も別にそれによってめちゃくちゃ私服を肥やしてるかといったら、そういう人もいたと思いますけども、それだけじゃなくて、そもそも教会を作ろうとしてる、それで。でっかい教会とか作るとかにお金がないからお金を集めたいわけ。教会はそもそも信者のためだったりとか信仰のためだったりとか救いのためだったりする。だからそんなみんな悪気ない。

楊:彼らは教会の立場に立つと必ずしもみんな儲けようとか悪いことやってる意識はない。私たちは正しいことをやってて信仰に基づいたこういう贖宥状というのを販売してるということなんです。

樋口:はあ。

深井:そうなんです。

楊:貴重な収入源。収入というのはビジネスじゃなくてあくまで信仰活動。

樋口:ですね。集めたお金をちゃんと次のさらにでかい信仰のために使おうという意味でのお金なんですね。

楊:それは彼らの立場ですね。

樋口:なるほど。

深井:そうなんです。そしたらルターがすごいこといい出した。

樋口:なんですか。危ないよ、危ないよ、言うと。

深井:まあ、ルターが根本からローマ教会と違うことを言い始めるんだけど。贖宥状に対してそもそもルターが言ったこと、というのは、キリストは悔い改めよと確かに言われた。けどもそれは一生悔い改めないといけないという意味であって。この罪に対してこれを悔い改めたら解消みたいな、そんな感じじゃないぞという話をした。

樋口:まあまあ、おれはそっちの方がピンときますけど。

深井:しかも、悔い改めのサクラメントて三段階あった。まず自分がめちゃくちゃ反省して告白して、みたいな。めちゃくちゃ反省するステップ飛ばしてるんじゃないの、免罪符。贖宥状。

楊:本来こうあるべきなんだけど全然違う形に変わってるよね。

樋口:うん

深井:それ、おかしいでしょと思う、ルターが。純粋な宗教的概念として。これを言う、ルターが。

楊:彼も法学者だから。

深井:そうするとカトリック教会としては困るんです。

樋口:言うなってなります。

深井:そう、カトリック教会はカトリックと言う教えをいろんな人に勧めていって、組織化もちゃんとしてその人たちを養うためにお金も集めなくてはいけないし、立派な教会を建てて信者は集めてていうのをして。彼を救わないといけない。だから現実お金が必要。お金が必要で頭をひねりにひねって贖宥状を考えたんだと思う。こうしたらぎりぎり救われるしこれでお金集まるんならこれでいいんじゃね。って。したらルターが、いやダメだと言われるから困る。

樋口:困るはこれは。

深井:前回いった話。一番困ること言われたわけ。で、ここから始まるのが宗教改革といってこれが大爆発する。

樋口:なんか、すごく真っ当なこと言ってるだけな気がする。

深井:しかもこれがテーマがカトリック神学の中心。悔悛のサクラメントという、これすごく大切な部位なんです。ちょう中心なんだよね、原罪についての話だから。ここの中心について疑義が生じたので、てんやわんやになるんです。

樋口:世界を作ってる公式が疑われたみたいなレベルなんかな。

深井:そうなんです。カトリックからすると中心のことの上にお金に関わってるから余計にやばい。

楊:そう、自分たちの死活問題ですからね、根本だし。

深井:やばいとこに二連続でついてきてるみたいな感じになった。おいおいおいってなった。

樋口:なるなるなる、それは

深井:そうなんです。ここが僕の中ですごく興味ふかいというか、確かにここつかれたらカトリック教会は困るだろうし、ルターからしたら確かにそこそう思うだろうな。と思うところです。

樋口:確かに。

深井:それでね、95か条の提題っていって、これはおかしいだろうみたいなことを95個書いたやつを。

樋口:そんなにある。

深井:そんなに書いた、めっちゃ書いた。今でも読めるから読んでみて。

楊:そうそう、本で売ってます。

深井:けっこう厳しいこと書いてて。絶対殺されると僕は思いました。

楊:95か条箇条書きにして、ルターも別に教会とか教皇に反抗するというわけじゃない。ただ単に純粋に学問問題としてこれちょっとぼくおかしいと思うんですけど、一回議論しませんかというくらいのテイストなんです。全然教会をぶっ壊してやるみたいな、全然そういうのないです。

樋口:うん。

深井:そう、だからプロテスタント派閥が出来上がるところまではルターからしても想定外だったんだよね。

樋口:なるほど。

深井:それくらいのトーンで門の扉のところにそれを打ち付けたと言われてるんだけど、それは史実ではないというふうに言われてます。

楊:司教に手紙を。

深井:そう、手紙で送ったんだという話をしていて。そこからこのあとの二年後にライプツィヒ討論会という討論会があって、そこでカトリックの代表者である神学者のヨハネスエックていう人と大論争をするんです。ある意味この論争で勝てる見込み最初からない、そもそも。自分一人対カトリック教会みたいになってるから、勝てる見込みないんだけど、ここである意味負けるんだよね。負けて、大変なことになっていくという話が次回なんですけど。

樋口:なるほど。

深井:もう一つ、もうちょっと宗教改革の思想的なところについて伝えていきたいなと思ってまして。さっきいった贖宥状の関連するところ。もともとカトリックってのは積善説というのを持ってる。

樋口:積善。

深井:善を積む説と書いて積善説。この積善説に対してルターがそうじゃないよっていう話をしたから、新しい思想が実はそこから生まれたわけじゃない、ルターの前からヤン・フスとかね、ジョン・ウイックリフという人たちが言ってる。それを改めて言ってるみたいな感じですね。これがなにかというのを言わないとルターが何考えて何言ってるか意味が不明なんで。ここの話もしたいなと思います。これ何回も繰り返しになっちゃうけど、前提として宗教的な救済つまり魂が救われたいと思う人は善行や功徳をたくさん積まなければなりません。

樋口:はい。やりましたね。

深井:カトリックにおいては。これは因果応報の考え方ですよね。つまりいいことをすればいい報いがあるよね、悪いことをしたら地獄に落ちるよねという考え方です。しかもその善行、いい行いというのは銀行預金と一緒。つまりやればやるほど溜まっていきます。それがさっきの贖宥状のストックしておけるってやつとリンクするよね。これは仏教にもある、ちなみに。功徳を積むってそういうこと、まさにそう。功徳を積むというのはいいことをすればするほどそれが積み重なっていって天国にいける極楽浄土にいけるし、そうじゃないと地獄に落ちます。というのは全く、全くじゃないですけどかなり近いですね。

樋口:近いですね。

深井:で、しかも善行ってのはいい行いってのは道徳的行為だけではないんだと。これがさっきの販売につながっていく、それを補強する形になります。金銭を出すと言うこともそもそも功徳になるんだという考え方が出てくる。ちなみに仏教もそうだよね。

樋口:お布施。

深井:神道だってそう。

樋口:ほおほお。

深井:あの、お金を出して功徳積んだ感じになる、やっぱ。

樋口:なりますね。

深井:寄付とかかして。

樋口:やっぱ身銭削るっていうのであるんでしょうね。

深井:そうなんです。それはそうで。例えば貧しい人に施しをしますとか、キリスト教会に寄付をしますというのはすごくいいことなわけなんです。

樋口:それは納得します。

深井:それはどう考えたって彼らからしたら善行であって、善行積めば天国にいけるわけだから。ロジカルに考えて天国にいけるはずなんだよね、お金ずっと出してたら。しかも思い出してほしいんだけど、贖宥状はなにに使われたかと言ったらサン・ピエトロ教会という教会を作るために使われてる。サン・ピエトロ教会を作るためのお金を出してるわけだから、いいはず、すごくいいことなんだよね、という概念もある。で、人間てのは確かに罪の中で生まれてきて、原罪を抱えてるんだけど、そうやってサクラメントをしたりだとか洗礼を受けたりだとか日々の宗教的行為であるとか宗教的功徳を積むことによって最終的には罪の赦しをえて、救いを得ることができるというのが、これがカトリック側の考え方。改めて。

樋口:けっこうウインウインですね、出す側ともらう側。

深井:ウインウインですよね。これが受け入れられてたわけです。ゲルマン社会に。じゃあルターが何を言ったかということなんですけど、彼はこの救済のされかたに対してそうじゃないんじゃないかという話をしてるんです。まず、善行を行えたら恵を与えられる、悪行を行うと地獄に落ちる。これがまず違う。

樋口:あらら、そこから。

深井:そうじゃないだろ。

樋口:そっからかい。

深井:うん。そもそも、人間の行為によって自分が天国に行くとか、地獄に落ちるみたいなことは変わらない。それは神様の意思によってかわることで僕たちがなんとかできるようなことではないんだという話をする、彼は。で、僕たちが仮に救いを得るとすればそれは神の愛以外の何者でもなくて善行や功徳ではないんだよという話をし始めるんです、彼が。

樋口:ほおほお。

楊:神の愛が前提として既にあるんだよ。

深井:でもこの考え方というのはカトリック教会を根底から覆す考え方なんです。想像してほしんですけど、カトリックってのは善行や功徳を積んで天国への扉をもってるのが教皇だから成り立ってますよね。

樋口:はいはい。

深井:それが神の愛以外にはそれを決められる人間なんてものはこの世に存在しないんだという考え方がルターが言ってることなんです。

樋口:あら。

深井:つまり教皇の権威をある意味真っ向から否定してることになる。

樋口:ほんまや。

楊:教皇と教会じゃなくても人って救われるんだよ。

深井:そう。そんな救われる救われないをカトリック教会が決めれるなんてことあるわけない。それは神が決めることだから。だから神と自分の話であって、第三者であるローマ教皇とかが決めることじゃないんだよって話をする。で、その救済の主体者ですよね、それを決めるのは何度もいうけど神様だから神の愛というのが大事なんだ。で、ここですごい面白かったんですけど、すごく大乗仏教に近い考え方がここで一瞬出てくるんだよね。

楊:たしかにそうだよね。うん。

深井:なにを言ったかというと神の愛によって救われるという話をしてる。で、人間的な弱さに対する自覚こそが神の憐れみというものを呼び覚ますんだということをいってるんです。ということはだよ、むしろ人間的弱さを持ってる人の方が神からみたら愛すべき人なんだ。つまり悪いことしてる人の方が愛されるかもしれない。

樋口:あれあれ、

深井:これって親鸞も同じこと言ってる。

楊:確かに。

深井:むしろ悪人の方が極楽浄土にいけるんだという話をしてる。

樋口:へえ。

深井:似たようなことをここで言い始めるんです。

楊:面白いよね。

樋口:面白いね、そう考えてしまうんだ、人間は。

深井:だからローマ教皇とかいう権威ではなくて、信仰、信仰する気持ちとか信仰そのものが自分が救われるかどうかと直接的に関係をしている。

楊:ですよね。神の愛はすでに私たちに与えられてるんだ。その与えられてるということを私たちは信じさえすればそれは救われるというロジックなんですよ。

樋口:はあ。

楊:で、そこでそうそうそこで人の努力とか人の膳によって人が救われるか救われないかというのは決められないんです。それはなんでかというと、それはつまり救われるか救われないかというのはその対象、ようは人間側の価値によって決まるというのはおかしよねというふうにルターは言いたかったんです。どれだけお布施をして、お布施をこれくらいすると人は救われるこれくらしかしなければ救われない。これってのは人間の価値、人間の質によって救われるか救われないか判断してるじゃないですか。これってこの差っておかしいよね。神の前では人間て平等であるべき、みんなが救われるべきだよね。だったら神の愛って無償なんだよね。無償ということは人間が努力の質によってそれに左右されないということなんで、それはただ単に神をさえ信じれば救われるという結論が導かれたと思ってます。

樋口:確かに言われたら成立してる考えですね。

深井:ここら辺は本当は神学っていってめちゃくちゃ難しい領域なんで、僕たちもそんな完全に実は理解してるわけじゃない。1ヶ月とかの勉強で到達できる領域じゃないから。ちょっと間違ってること言ってるかもしれないけど、少なくとも2—30冊読んだ時の理解がそんな感じ。もっと読んだらもっと分かるかも。これをルターはこの話をどこからそう思ったのかって話なんです。

樋口:ええええええ。

深井:彼は自分も救われたいし、救いに対して興味があって勉強してる。聖書を。聖書に根拠を求めてるんです。

樋口:うん、書いてあるってことですか。

深井:そのものズバリ書いてあるわけじゃないけど。聖書を読んでるとそういうことだろって話を彼はしてるわけ。

樋口:そういう解釈を。

楊:彼はそういう読み方をしたんです。

深井:逆に彼が言ってることは、カトリックがやってることは聖書に書いてないだろっていってる。どこにそうやったら救われると書いてあるのって話をしてる。キリストそんなこと言った。って。いうわけです。カトリックがそれ言われると困るやつ。

樋口:それは困る。

深井:で、聖書に書いてあることが大事なわけであって、カトリックがやってることが大事じゃないんだと。聖書にちゃんと根拠を求めていこう、聖書をちゃんと読もうという話を彼はする。ここでなぜ活版印刷が宗教改革と関係してるのかってのが関わってきます。

樋口:忘れてました、その話。

深井:聖書って、当時ラテン語でしか存在してなくて。そのラテン語の本を読めるってのはもちろん印刷機が生まれる前だから、みんな手で写してますよね。すごく希少な、高価なもので一般家庭なんかに絶対普及しないんです。

楊:そう、聖書ってみんな持ってて読んでるイメージをぼくらも勉強する前は持ってたけど全然そんなことなかった。すごく限られた聖職者しか持ってはいけなかったし、そういう聖職者の人しか読んじゃいけなかった。

樋口:へえ。

楊:というか彼らしか読めなかった。

深井:そう。だからカトリック教会の偉い人しか読んでなかったから、一般民衆はそもそも聖書読んだことがないんで、聖書を元に判断するということさえできなかった。カトリック教会の人しか読んでないから。

楊:そう、だからとりあえず民衆の人は教会いって、教会の儀式に参加すれば救われるということをずっとやってたってことです。

樋口:はいはいなるほど。

深井:そうそう。けどそのカトリック教会の中のルターが聖書を読んで聖書から解釈した方がいいという話をする。で、当時グーテンベルクの活版印刷というのが出てきてたから。本当はその前にもう一段階あるんだけど。最終的には各家庭に聖書が行き渡って、しかもそれがドイツ語で書いてあって。つまり自分の言語で書いてあって読むことができて。という状態が出てくる。その状態がない限りはプロテスタントってそもそも広がれない。だって聖書を元に信仰を深めていこうという考え方なのに聖書がないとどうしようもない。

樋口:はいはい。

深井:それができる技術発展があったからプロテスタントが出てこれるんです。

樋口:はあ。なるほどね。

楊:ちょうどタイミングが重なったって感じだもんね。うん。

深井:そうなんですよね。

樋口:なるほど。だから原文に触れることができるようになっちゃった。

深井:なっちゃったんです。

楊:一気になんだろう、オープンにされた。本当は今まで限られてた人にしかアクセスできなかったデータベースが。聖書をデータベースと例えるのはすごく罰当たりなんですけど、それが誰でも見れるようになった、誰でも自由に解釈できるようになったんです。

樋口:はいはいはい。

楊:今までの解釈は全部教会、ローマ教会教皇が、これっていったらこれなんです。一本で統一されてた。みんなが読めるようになったらそれぞれ違う読み方ができるじゃないですか。

深井:そう。実際にいろんな派閥がそれでできる、その後。みんなが読むからね。

樋口:なるほどね。

深井:今日はここまでにしたいと思ってるんですけど。こういう思想を打ち出したルターを主権国家の人たちが今度は援助していくという形がこの後起こるのと、あと、ルターも予期しなかったくらい一般民衆の人たちが影響を受けます、これによって。びっくりするくらい影響をうけてとんでもないことがいろいろ起こりますんで。次はその話について、喋りたいと思います。

樋口:いやあ、ルター出てきた途端にいきなり波乱に巻き込まれてる感じがしますけども。いやおもしろいですね、なるほどなるほど。ということで次回はこの続きですかね。

深井:はい。

樋口:はい、ありがとうございました。

楊:ありがとうございます。

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