【今回の内容】今回はそんな我が道を行く二人のスーパースターの生涯と、 彼らが身を焦がした仏教という西洋哲学に比肩する膨大な哲学思想について迫っていきたいと思います。 勉強して痛感したのは、結局僕らは何一つ仏教を理解してなかったこと・・・。 難解で刺激的な回となっております。ぜひご視聴ください。
樋口:はい、ええ、前回までは空海誕生ってところからお話をお聞きしたんですけども、その空海が完成させた密教についてですね。
深井:そうですね。
樋口:はい。
深井:まず密教をもっかい簡単に一言でいうと、唯識思想が、一言で言えてないけど、唯識があります。唯識ってのは全ては自分の認識によってこの世界は成り立ってるし、自分もそれによって成り立っている。だからその認識にアプローチすれば自分も世界も変わっていくんだという考え方。だけど無意識の部分を書き換えることはとても難しいのでそこは特殊な技術が必要だと。その特殊な技術を持っているのが密教であるという話をしましたよね。
樋口:はいはい。
深井:それはそうなんですよ。
樋口:はい。
深井:で、もうひとつ密教が持っている特徴っていうのは「即身成仏」ってのがあるんですね。
樋口:即身成仏。
深井:これは、大乗仏教っていうのは成仏する前に輪廻転生を繰り返してかなりの時間がかかるものなんだってのが大乗仏教ね。
樋口:はい。
深井:それは個人差があるんだけど、みんな基本的にめちゃくちゃ時間がかかっていくんだと。即身成仏ってのは凄まじいことを言っていて、自らの無意識下をハックすることによって速攻で成仏するんだって話をする。
樋口:お、お、チートや。
深井:チートです。要はみんないろんな修行とかやってちょっとずつ成仏していくんだけど。成仏ってのは悟るってこと。密教ていうのはすごく優秀な修行体系を持っていて、その修行体系を実践することで自分の無意識の、末那識、阿頼耶識をハックすることができる。それをハックすることによって速攻成仏できる。
樋口:ええ、それめっちゃいいじゃないですか。
深井:めっちゃいいですよね。
樋口:はい。
深井:みんなめっちゃいいねってなったんですよ
樋口:めっちゃいい、めっちゃいい、やりたい。
深井:ていう宗教なんです。もうひとつ特徴をいうと、まず特徴からいうね。すごくシンボリズムの面があって、シンボル化していく、あらゆるものを。密教が言ってるもうひとつのことは、これさっきヤンヤンがちょっとだけ言ったけど、宇宙の真理というのは人間が使っている言葉では表現しきることはできない。
樋口:ありました。
深井:だから、言葉だけで理解するってのは難しい。
樋口:はい、ありましたね。
深井:難しいんだけども、でも本当はできるんだって話をしてる。難しいんだけど、その諸要素、諸概念をシンボリックなものにしていって、そのシンボルっていうものを自分にインストールすることで悟りに対してかなり早くアプローチすることができるんだって考え方がある。
樋口:シンボルをインストールする。
深井:これすごい面白かったんだけど。
樋口:ちょっとわからない。
深井:僕、僧侶に聞いた時に僧侶の方が例えでおっしゃってたのが、例えばマクドナルドの看板を見たらマクドナルドの諸要素について思い浮かびますでしょと。
樋口:間違いない。
深井:CMを見てなくても “I’m lovin’ it.” ていう、あの音声を聞くだけでマクドナルドのビックマックであるとかあらゆる店のレイアウトであるとか制服であるとか、一気に想起されるであろう。あれを実はやってるのと一緒なんだって話をしてた。
樋口:はあ、なるほど。
深井:あらゆる悟りに必要なすさましいたくさんの概念がある。その概念のひとつひとつを全てシンボル化していく。そのシンボル化したものを全部身につけたりだとか言葉、ひとつの言葉に象徴させていく。それを修行の中とかで一瞬で自分が想起できるようにそれを使う。その言葉自体には単独ではそこまでの意味を持たせられないんだけど、シンボルとしては全ての意味を、全てというかある分野の意味を包含して持たせることができる。だからマクドナルドって言ったら自分たちがマクドナルドのあらゆることを想起するように、あるひとつの言葉なりあるひとつの法具、道具などにそれをインストール、シンボライズさせることによって、それを自分に一気に想起させて、想起させるということによって悟りのスピードを上げる。
樋口:面白い。
楊:圧縮ファイルなんです。
樋口:圧縮ファイルですね。
深井:そう。圧縮ファイル解凍と一緒です。すごいよね。
樋口:すげえ。
深井:法具って圧縮ファイルだったんだよね。これ圧縮ファイルって知らなかったけど、圧縮ファイルだったんだよね。びっくりした。
楊:そうそうそう。だからそういう圧縮ファイルにだれでもアクセスできるものじゃないんです。だから秘密の教え、密教なんですね。
樋口:解凍。
深井:解凍コードを持ってなきゃいけないから、
樋口:アルゴリズムが必要。
深井:その解凍コードは習得しないといけない。それは言語を超えたものであったりするので、それは言語を超えたレベルで修行することによって体得し、全て究極に体得すればそもそも圧縮ファイルを解凍する必要もないんだけど。便利なんだと。それを身の回りに置いておく、それを自分が想起したい時に想起させることができることはとても便利であって、それをするためにやってるんだって話を。
樋口:そういうことね。
深井:されてましたね
樋口:それで密教。
深井:それで密教だね。
楊:なんかめちゃくちゃこう言う言葉適切かわからんけど、オタク心とかコレクター魂を刺激されるよね。
樋口:ああ、そうですね。
深井:その表現面白いね。
楊:集めたくなる。
深井:たしかにね。
樋口:ポケモン。集めるのと同じ。
楊:ポケモンだったりとか、普通の人からみたら単なるモノなんだけど、めちゃめちゃこれにいろんな意味がこめられてて、めっちゃ語りたいみたいな。それが刺激される、僕個人の感覚として。
深井:大日如来ってのがいて、密教の最高仏なんですけど、大日如来。てのがいて。この大日如来てのは宇宙そのものなんですよ。
樋口:ありましたね、その話。
深井:この時点で完全に意味不明に突入すると思うけど。大日如来ていうのは宇宙という概念を擬人化したものなんです、まず。擬人化してるけど別に人ではなくて概念なんですよね。この概念ていうのは宇宙そのものであり宇宙の真理そのものなんです。けれども唯識で考えたらわかるけど、宇宙そのものっていうのは全て自分の認識から発展していってるので、それに対するアクセスも基本的には自分に対してアクセスできれば宇宙にアクセスできるって考え方になるわけです。もっと言うと、全て自分の認識の中で出来ていて完結するわけなので、宇宙イコール自分なんですよ。
樋口:なるほど。
深井:はいはい、わかります。
樋口:なるほど。
深井:宇宙は自分なんです。宇宙イコール自分。で、この、やばいよね。
樋口:やばい。
楊:だから大日如来と一体化することがひとつのゴールなんです。
深井:そうそうそう。それは宇宙と一体化するということで、これに関してたとえ話で、おれは室越ってほら、人類学の番外編で出てきた室越と雑談というか会話してる時に、彼が言っててめちゃくちゃ面白いなと思ったのは。空海の言ってることはマトリックスの世界にすごく近いんだと。
樋口:また出てきたぞ
深井:マトリックス観たことない人にはわからないかもしれないけど。マトリックスっていう映画は3部作あってね。あれはまず、パート1で何が起こるかというと、この世界は僕たちが世界だと思ってるこの世界はプログラムコードなんだ。コンピュータで作られたプログラムのコードでできていて。今僕たちが物に触ったりできると思ってるけど、じつはこれは全部プログラムで、プログラミングされていて、触るという感覚そのものもプログラミングなんだと。それに気づいたものはその世界のひとつ上の階層の世界で目を覚ますことが出来て、
楊:真実の世界。
深井:そう、真実の世界で目を覚まして、その世界の住人ていうのは、これがプログラムのコードでできている世界だと完全に理解するとこのプログラムのコードの世界の中でなんでもできるようになるんだという発想があるじゃないですか。
樋口:わあ。
深井:意味わかります。
樋口:わかる。
深井:救世主として空を飛んだりできるんだと。
樋口:わかる。
深井:密教がいってるのはそれなんです。
樋口:わあ、わあ、わああ、やばい。
楊:入りたくなりました。
樋口:やばい。おれ密教する。これすごいすごい、なんか。
深井:だから、なんでミサイル防衛ができるかといったら、それだからです。
樋口:すっごい、すっごい。
深井:マトリックスの中でネオを救世主だといって、主人公である、あのネオがいろんなことをやる。悟ってない人っていうのはそれを理屈で理解していてもあの中で救世主のように振る舞えないんだけど。本当にそれを悟ったものは、あの世界で本当に神のように振る舞うことができる。それはなぜかと言ったら宇宙の真理と自分が同一であるからだと。そういう考え方なんです。そういう考え方に基づいて、だから即身成仏ができるんだって話をしている。
楊:宇宙の真理イコール自分という考え方をもっとロジック立てて説明すると、密教では考え方があって、仏に対する、仏陀に対する考え方があって。前に言ったように仏陀って過去から未来まで生きていることに一回なった。でも密教の中ではさらに一歩すすんでて、実はこの全世界、全宇宙、そして過去の無限の過去の宇宙から無限の過去の未来の宇宙まで全ての世界に仏陀がいるんです、実は。全ての世界にあらゆるところに仏陀がいて、それが全部ネットワークで繋がってる。ネットワークで繋がってて、ひとつの体系を形成していて、その中心に大日如来が実はいるんです。
深井:そうね。その世界観はいわゆる一直線上の時間線とかいう概念とはまた違う世界観なんです。すべてが網の目のようなもので張り巡らされていて、それ華厳経の話だよね。
楊:華厳経の話。
深井:網の目のように張り巡らされていて、さっきの自分の存在ってのは実体がなくて、相手との関係性として存在するという話と一緒で、自分から見た相手ていうのと、向こうから見た自分というのはそういう全て網の目のようなネットワークの中で存在しているんだという概念。だから見る側面とか見る方向性からいったら見え方が違うんだけど。これちょっと説明間違ってるかもしれない、ぼくちゃんと理解してないので。そう言う風な世界観。その世界観の中で仏陀は時間軸とかいうレベルを超えて常に存在していて、それはあらゆる、
楊:時空間に。
深井:時空間に存在するし、もっというと全てが仏陀なんです。
楊:そうなんです。全てが仏陀だし。
深井:同一なんです。全部どうせコードなんです。同じプログラムコード。コンピュータの世界で例えるとわかりますけど、コンピュータの世界で行われてることは全て0と1で表現できる。この世界もそうなんだっていう話と一緒なんです。0と1で書かれていることを真に理解すればこの世界で起こってることの全てを司ることができる。ていう考え方です。
樋口:なるほど。
楊:それをイメージすれば何ができるかというと、この世界にいる大日如来を供養すればあらゆる時空間の仏陀に全部供養できることになる。だから悟りのスピードが爆上げします。
樋口:なるほど。
深井:とにかく悟りのスピードを上げたいんだね。
楊:上げたいんです。
樋口:うわあ。
深井:あと、印を結ぶんです。ぼくできないけど。
樋口:臨・兵・闘・者みたいなやつ。
深井:こうやってね、手と手をこうやったりするんだけど、これ全部の指にそれぞれ世界を説明するシンボリックな意味が宿っていて。これのくっつけ方とかでそれがどういう関連性を示しているかってのが全部シンボリックに意味が包含されていて。意味づけされていて、その形を作るってことはどう言うことかというと、これも僧侶に聞いてとても面白い答えが返ってきた。これはプログラムをインストールすることと一緒なんだ。コンピュータにソフトウェアをインストールする動作なんだ。で、
樋口:怖いわ。
深井:で、これまじやばいよ、このあとやばい。あのね、仏教の儀式をする時に、密教で、結界張るんだって。そのまず、祓い清める。これはOSのクリーンインストール。そのあとに結界張ってファイアーウォールをはる。で、ウイルスバスターとしての阿修羅、じゃないや不動明王を置く、これウイルスバスターなんだと。こうやって敵、要は概念、他のものが入ってこないように綺麗にした状態でプログラムをインストールする。それで儀式をして、プログラムをインストールをして。インストールするとそのインストールしたソフトウェアを機能させることができるから。それを機能させて病気とかを治す。治したら今度はそれをアンインストールしないと次のソフトウェア入れらないからアンインストールの儀式をして……らしいです。
樋口:うわあ。
楊:この、超越的なものと自分との関係の構築を三密加持というんです
樋口:三密、急に出てきた。
深井:三密。そうですね。
楊:言葉と体と意識、だよね、確か。
深井:そうですね。意識。
樋口:ええ、すごい、怖い怖い。
深井:それくらいのレベルの意味が込められていて、それを習得するやりかたとしての三密加持。修行っていうのがありますし。そういう修行を通してそれを理解して体得していって、いつでもインストールできるようになって。世界の真理を理解して、世界の真理を理解していつでもインストールできるようになるとマトリックスのネオのような振る舞い方ができるんで、当然ミサイル防衛的な怨霊も退散させることができますし。そもそも怨霊がいるってこと自体が全部自分の認識なんで。
樋口:そうそう、その話がやっとわかった。今。やっとわかった。
楊:確かに自分自身が大日如来になれば宇宙の全てになったと同じ。
深井:同一なんで、自分でそれには自我を消さないといけない。宇宙と同一になるためには自我というものが必要ないというか、超越しないといけないので、じゃあ自我が何かという話が哲学として生きてくるわけ。さっきいった自我というのは実体がなくて、みたいな話になる。だからすごいんだよね。
樋口:はあ、ちょっと待って。きつい、なんか。うえってなる。
深井:でもこのレベルの説明はどの YouTube にも本にもなかなか書いてなかった。やっぱり。
樋口:やばいまじで。深井さんの説明がわかりやすいし、ヤンヤンさんの説明が説得力ありすぎてやばい。だってTシャツに森羅万象って書いてますもん。
楊:そう。森羅万象。だからこれは密教です。僕が今大日如来になってる感じじゃないですか。
樋口:めちゃくちゃ面白い。
深井:でも、大日如来と同一ですから。さっきも大日如来と同一です。
楊:フラクタルな世界観だよね。
深井:フラクタルだよね。
樋口:そうか。
楊:塵のひとつの中に無限の大日如来がいるな。
深井:まったくキリスト教と違うよね、考え方が。キリスト教は神が全てを作ってるわけです。でも今の話は、大日如来と我々は同一であるという考え方。全然違う。
樋口:全然違う、まじで。
深井:全然違う。
楊:そうだよね。力関係も、力関係、それ大日如来を誤解してはいけないのは、イスラムとかキリスト教における神という性格じゃない。大日如来って何もしないんです。そこにいる、存在するだけ。行為は何もしないです。人間に何も命令もしないですし、何もしない。いるだけ。
深井:存在そのもの。人格化してるけど人格というよりは存在そのもの。宇宙の真理そのものなんで、大日如来ってのは。ちなみに東大寺の大仏もそうだよ。あれ盧遮那仏っていうんだけど、宇宙の真理そのもの。あれ、擬人化して大仏にしてるだけ。
楊:そう。あれ、ある種イコール大日如来とほぼイコールです。ただあれはめちゃくちゃありがたい。あれは宇宙の真理ですから。
樋口:はあ。
深井:だからキリスト教徒の人が結局仏教徒の人に神がいるんですか、いないんですかって聞かれても、大日如来と自分が同一なんで、答えようがないという謎のことが起こったりするくらいの考え方の違い。
樋口:そうですよね。世界の捉え方が違いますね。考え方というか捉え方が違うな。
深井:そうなんですよ。で、空海はさらに10個の段階に意識というのを分けて、この意識は発達段階みたいな感じで形で分けて、その発達段階それぞれに各宗教を配置していった。例えば、一番下のやつは食欲や性欲とかいう本能のみに支えられている、支配されている低い次元の状態とか。その上が良心が芽生えてきて、人に施しをしないとなあとか思ってる倫理的な概念がある状態。その上が、来世があることを知って宗教の仏教の根本みたいなのをちょっと理解してきている状態。その良心がある状態が儒教で。来世の輪廻転生のある状態を理解してるのがバラモン教で、みたいな。こうやってどんどん、他の宗派もばんばんばんと配置していって、最高の状態てのが密教の教えによって真理の世界と一体になってる状態。これが真言宗によってしか達成できない。なぜかというと、本当に繰り返しますけど、自分の深層意識である末那識と阿頼耶識を書き換える特殊な方法を持ってる密教を使わないかぎりそこに生きてるあいだに到達することはとても難しい。というか無理なので、それが真言宗のあれなんだっていう話をしているわけです。
楊:本当ネオだね。
樋口:へええ。
深井:ネオだし、この段階的な説明の仕方はすごく面白くて、このあと最澄が出てきて。最澄は旧仏教と対立するんです。彼は二大、旧仏教との反対勢力として自分たちを出していくんだけど、空海は包含しちゃう。要は発達段階の途中にあなたたちがいるよ。その発達の延長線上に僕たちがいるというか、自分が言ってる話があるよ。だからあなたが言ってることも正しくて、僕が言ってることも正しいんだって話をする。だけど最澄がいってるのはどっちかというと対立構造を作ってるんで、対立しちゃう。ここらへんも空海の特徴というか。
楊:違うよね。
深井:面白いところよね。
樋口:対立じゃない。ちゃんと段階というか上下というか。
深井:けど、言われたらムカつくこと言ってる。段階で下だと言われてる。みんなあんまムカつかないんですよ。よく考えるとムカつくのかもしれないけど、そんなにこの人は対立せずに言っちゃうんだよね。
樋口:なるほど、なるほど。マズローの成長段階みたいなものにも近いのかな。
深井:まあ、マズロー的な感じなのかもしれないね。こんな感じが密教なんです。
樋口:ちょっと、おれ、後頭部がじわっとしてるんですけど、なんですかね。これ、末那識書き換わってるかもしれない。
楊:早いです。
樋口:まじですか。
深井:末那識は行ていって修行しないとなかなか。
楊:言葉だけじゃ無理です。
深井:修行というか瞑想とか、だからマインドフルネスとかと一緒なんだよね。マインドフルネスって何やってるかって、結局瞑想して、スピリチュアルな要素はいしてるけど、結局この人たちが言ってることとそんなかわんない。シンプルにしてるだけ。
楊:この意識の深層へのアプローチって実は西洋とかでもそういうものが出てくるんですよ。例えば知ってる人がいるかもしれないけど例えば神聖ローマ帝国にマイスター・エックハルトというキリスト教の哲学者、クリスチャン、哲学者が出てくる。彼が唱えたのは神の中に自分を溶かし込めみたいなそういった異端とされる考え方を唱えるようになった。神と合体することが、これが実が無である。この考え方が、彼はクリスチャンですよ、クリスチャンからこういった密教に似ているアプローチが出てきてるし。あと、17世紀のオランダの哲学者、スピノザという人がいるんですけども、彼がまさしく森羅万象の中に神がいるという世界観を提示した。
樋口:え、森羅万象のTシャツの中にヤンヤンがいる、神。
深井:ヤンヤンの上に森羅万象Tシャツがある。
樋口:着てますもんね。
楊:全ては神の中にあるし、自分の中に神の全てがあるし。だから、僕別の本で読んだけど、宗教に関わらず密教的なものに向かうようなベクトルが実はどこの宗教にもある。
樋口:それって影響与えあってる。
楊:わけではないですね。
樋口:ではなくて、本当に。
深井:でも出てきた時代がこっちの東洋哲学の方が早いのが面白い。
樋口:面白い。
楊:たぶんキリスト教って厳しいんですよ。だからたぶんそういう考え方を持っても表に出せない時代が長かったのかな。
深井:いや、おれもそう思うね。そこはすごくでかかったかなと思う。なので、結局西洋哲学が発達するのも宗教革命以降なわけじゃないですか。近代化していって。だから西洋哲学ってそれ以降から一気に発達していく、近代以降。東洋哲学って言ってることがめちゃくちゃ専門的すぎて意味わからないけど、実は結構西洋哲学が言ってることを先に言ってる。僕たちはありがたがって西洋哲学勉強したりとか、西洋哲学科に入ったりします、そんなしないか。
樋口:まあまあ、でも興味をもって。
深井:でも東洋哲学も素晴らしいなと思いました。どっちが優劣ないと思いますけど。西洋哲学の方が正直わかりやすいし、ちゃんとロジックで説明してると思うし。けど東洋哲学もすごいんだということをすごく感じました。
樋口:密教か。
楊:入ってみます。
樋口:はい。今もう入ったことに書き換わりました。僕のプログラムが。
深井:でも、これ本読んでて今は社会関係性の中でこの話をしているから、感覚としてはただ喋ってるという感覚なだけだけど。一人で夜悶々とこういう本読んでると、本当に新しい世界の扉開けちゃう感じがする。自分の今までの世界の捉え方が根本から変わってしまうという、謎の感覚があって。一度そこに入ったら戻ってこれないんじゃないかというような。恐怖とともにそういうのがある。
樋口:それ、深井さんが勉強してて、片足突っ込んじゃう。
深井:入り口をちょっとみた。これこのままずっと勉強したら、完全に今の感覚と違う状態に突入して、新しい自分になっちゃうんでしょうね、みたいな。
楊:たぶんその感覚が悟りと言われるものなんじゃないかな。
深井:その感覚を空海は18とかの時に掴んだから山に入ったと思う。で、そっちにフルベットしてると思う。おれはフルベットはしたくないです。
樋口:そうか。ゲームとか好きですもんね。アイスも食べたいし。
深井:アイスも食べたい。本当なんかちょっとだけ感覚がわかって面白かったです。
樋口:なるほど。
楊:空海の話じゃないですけど、日本に一休さんていたじゃないですか。一休さんが悟りを得る瞬間の話が残ってて。
樋口:え。
楊:一休さんて悟りが得られなくて実は川に投身自殺しようとしたこともあった。けっこう苦しんでて。ある時部屋の中にいてカラスの声が聞こえた。カラスの声が、その時に悟った。カラスの声を聞いて。何を悟ったかというと、カラスの姿は見えないのに声は聞こえる。ということは、仏の姿はみえないけども俺の中にあるんだということを彼はそのとき悟った。
深井:いわゆる空の思想とかを体感した瞬間がその感覚だったのかなと思う。それに近いこと実は空海も経験していて。空海が、本読んでいくとだいたいどれにも書いてあるのが、明けの明星だったかが、自分の口の中に突っ込んできて、それですごく大日経の大切さだったりとか、仏教の真髄だったかを感じた瞬間があるみたいな、訳のわからない宗教体験が書いてある。
樋口:明けの明星って空の。
深井:星です。その星が自分の口の方に向かって突っ込んできたんだって記述がある。それも僧侶と話をしてて彼がすごく面白いことを仰ってたのが、別に空海の本に明けの明星が口の中に突っ込んできたという記述が書いてあるわけではない。それはたぶん誤解釈で、明けの明星を実際に修行の中で見た時に、いわゆるさっきの一休さんみたいな感じでね。
楊:なるほどね。
深井:急に世界の真理、要はずっと自分が座学で勉強してきているここに書いてある論理ってのを急に明けの明星をみて、その中で滝の音とかが聞こえる音とか視覚とか自然の中での感覚がここに書いてある世界のロジックと一気にボンと繋がった瞬間がばっときて、それを書いてあるんじゃないかという話をしてて、そうなんだろうなと思った。
楊:なるほど。理論と身体感覚が一気に同調したんだね。
樋口:ピンときた。
深井:身体感覚って動物としてすごく大切で。悟りにおいて切っても切り離せないと思う。
樋口:なるほど。それが最初に言ってた本読むだけじゃだめとか。ちゃんと言葉だけじゃだめで修行の中でって話に繋がっていくんですかね
深井:そうなんですね。そのちょっと余談だけど、松岡正剛さんの本に、ていうすごい有名な編集……
樋口:編集塾とか。
深井:塾をやってらっしゃる人がいらっしゃるんですけど。その方が書いてあって、それこそ空海の本にすごく面白いことが書いてあった。坐禅というのはものすごい発明なんだ。二足歩行することによって人間が生物学的にいろんなものを実は失っている。難産になったし、脳の発達の仕方が変わってしまったし、目の使い方とかが真っ正面にきて、距離感覚がわかる一方で何かを失うみたいなことがあって。生物学的に実は失ったものがたくさんある。その失った生物感覚みたいなものを二足歩行から離れて座ったりすることによって身体感覚の感覚を変えることによって自分たちが体で、この体においては悟れないようなことを悟っていこうとするみたいな、そういうアプローチ。そんな説明されてなかったんだけど、僕はそういうように受けとたった。人間がこの体である以上悟れないことがあって、その身体感覚からくる僕たちの自我であるというところからの離脱というのが実は坐禅とかヨガである。ていうそういう説明してなかったんだけど、そうなのかなと思った、それ読んで。それで初めてヨガをなぜやるのか、なぜヨガはああいう形で座った形なのか。ていうのをすごく、そういうのにも意味があるんだろうなというのをすごく感じました。
樋口:なるほどな。
深井:実は動物は悟ってるけど人間は悟れてないような感覚ていうものを、どういうふうに取り戻していくか。でも僕たちは進化としては連綿と続いてるわけじゃないですか。そういうように二足歩行する段階で失ってしまった感覚を自分たちの体の呪縛ですよね、二足歩行することの。だから二足歩行しないっていう修行もあるらしいですし。
樋口:一回深井さんが自分の体を車にたとえている時があったじゃないですか。何回か前、番外編かなんかで。それでいうと車から降りてチャリ乗ってみるとかに近い。
深井:近いかもしれないですね。
樋口:自分の体でしか認識できないものを一回取っ払うというイメージ。
深井:その認識を外していくみたいなことをしているという感覚なんだろうなと思って。そういう感覚が理解できれば最澄、最澄じゃない、空海とかさっきの一休さんとかが、なぜそういう身体感覚の中で悟りを得るのかは、生物学的なレベルでの直感なんだってことがわかってくると思う。
楊:脳にも関係ありそうな気がして。いいアイデアが思い浮かぶ瞬間て右脳と左脳が同時に稼働したときだって説もあって。
樋口:面白い。
楊:普段僕ら日常生活の中でどっちかというと左脳中心なんです。ロジカルに物事を考えたりすることが多いんですけど、実はそれ同時にぴっと動いた瞬間に新しいアイデアが出るという説もあって。
深井:そうだよね。面白いよね。だからある意味東洋が身体的な悟りを得るにおいて身体的な動作をすごく重視をして、瞑想であったり禅であったりとかを発達させていく一方で、西洋はそういうのはあまり重視せずに左脳でずっと哲学を作っていて。でもその西洋のスティーブ・ジョブズみたいなこの時代の最先端をいってるような人は禅を学ぶみたいなことが起こるっていうのは、僕は非常に面白い現象だなと思っていて。けっきょく自分たちが持ってる今の思想体系たけでは到達できない何かを直感的に感じていて、そこに到達するためには結局身体動作を伴うような新しいアプローチをしないといけない。それは禅の中にあるんではないかと、彼自身も考えたのかもしれないですけど。全然知らないですけどね。スティーブ・ジョブズのこと、一冊も本読んだことないからわからないんだけど。そういうような西洋、東洋の相互連関みたいなのが今新しく、東洋側からも学んでいこうみたいな流れがあるのが、僕はすごく面白いなと思っているところです。僕たちが禅を重視してたかというとそんなことないじゃないですか。けど、意外と外国の方の方が禅を重視し始めたりとか。ZENとかいって輸入して、それをシンプルにして説明したりとかするっての。それを逆におれらがビジネス書で読む、マインドフルネスとかいって。ずっと前に言ってるよ仏教で、みたいな。
樋口:でもなんか近くにあるからこそ、全然そこに目が向かないのはあるかもしれないですね。
楊:たぶん時代時代の中でその時のニーズとかある。あとは天才の出現によって実は過去にあった知見とかがまたリバイバルされるという構造はあるような気がする。だからこの大日如来と一緒に合体するってのは、そういう話は実はバラモン教ではそれがそうなんですよ。バラモン教では。
深井:繰り返しなんだね
楊:そう、繰り返しなんです。バラモン教が一番最初の回で、二回目かな、バラモン教が仏教の源の宗教なんですけども、バラモン教の中でブラフマンという概念があって、これは宇宙を支配する原理なんです。
樋口:ブラフマン。
深井:ブラフマンね。
楊:もうひとつは我っていってアートマンです。これは個人を支配する原理なんです。これが合体して同一になると永遠の幸福が得られる。でも実はもう先祖帰りしてる、仏教、密教は。
樋口:ああ、バラモンの。
楊:そう、何百年前の知見をリバイバルしてるとも言える。
深井:たしかにね。
楊:すごくない?
深井:でも、一体化するみたいな概念はずっとたぶん仏教の中にあって、それを何回もいろんな言葉で語り直しながら。
楊:ブラッシュアップしていって出した。
深井:そこへの到達手法としての三密加持であるとかいうのを出していったって感じですかね。
楊:確かにね、体系化しないとたぶん普及はしていかないもんな。
深井:そうだね。
樋口:いやあ。
深井:そんな感じなんで。
樋口:なるほど
深井:次回は、次、最澄がでてきます。
樋口:うわあ、ついに。
深井:ちょっと焦らしちゃうね。空海の話途中で止めて次最澄の話して。
樋口:もう、本当に、いけず。
深井:なんだそりゃ。
楊:京都?
樋口:おれ、生まれて初めていけずって使った。なるほど、ということでついに最澄が次回出てくるってことで。いやあ、今回もものすごい濃い説明をありがとうございました。
深井・楊:ありがとうございます。