【今回の内容】今回はそんな我が道を行く二人のスーパースターの生涯と、 彼らが身を焦がした仏教という西洋哲学に比肩する膨大な哲学思想について迫っていきたいと思います。 勉強して痛感したのは、結局僕らは何一つ仏教を理解してなかったこと・・・。 難解で刺激的な回となっております。ぜひご視聴ください。
楊:なんか菩薩が生まれるという概念が生まれるというのもめっちゃ精密なロジックがある。
深井:そうなんですよね。
楊:これもう。
樋口:ロジックマンなんだ。
深井:全部ロジックだよ。本当にすごかった、これもね。
楊:ちょっと話してみようか。
深井:トライしてみる?
楊:たとえば、悟った人って仏陀っていうんですけど、釈迦のような人を悟った人を仏陀っていうんですけど、さっき深井くんが言ったように、仏陀ってその時釈迦一人にしか、天才にしかできないことなんですよ。
樋口:はい。
楊:次に仏陀が現れるのは56億年くらいあと。
樋口:え、もう1回言ってください。
楊:56億年何千万年。
深井:7千万年後かなんかだった。
楊・深井:56億7千万年後。
楊:にまた、
樋口:めっちゃ待たないといけない
楊:そうそう、待たないといけないんですよ。弥勒って人がまた出て来て、それがまた次の仏陀になっていく。今生きてる僕らはその時生きてないし、生きてるかもしれないし、幾つも輪廻を重ねて苦しみをずっと味わっている状態になる。
樋口:地球があるかどうかみたいな。
楊:一般の人も僕らの普通の一般人も釈迦のように悟りたい。とか、仏陀になりたいと思うじゃないですか。
樋口:思いますね。
深井:苦しみがなくなるからね。
樋口:思います思います。
楊:でも釈迦になるためには、別に釈迦は特別な方法を語ってないわけです、そりゃそうだよね、と思うんですけど。じゃあどうしたらというと、釈迦の前世についてアプローチする、ロジック的に。実は釈迦は仏陀になる前は、実は彼は菩薩というステータスだったんだというふうなロジックになるんです。
深井:だから、なんで釈迦が悟れたのかを彼らは分析したってこと。
楊:そうそう。
深井:なんでかっていったら自分も悟りたい。釈迦は悟った。なんで出来たんだろう、と考えまくった時に。釈迦は悟ったんだけど、彼の人生単体で見ててもどうやら自分たちはそれを再現できないんだということがわかってくる。彼は天才だからね。でもそんなこと言われたら救いがない。じゃあ天才じゃない自分てどうすればいいんだってなるわけですよ。その時に出て来たロジックが今のやつで、輪廻や転生を繰り返しているのであれば、釈迦が悟った最後の人生ってのは氷山の一角であって、それまでの積み重ねがあるはずだ。と、前世に。
樋口:なるほど。
楊:そうそう。
深井:その積み重ねでめちゃくちゃ徳を積んできたから、彼は最後の最後でああやって若くして悟ることができたんだ、と。
楊:そう。
樋口:なるほど。
深井:で、その前世まで遡って考えるというロジックがここで初めて出て、初めてじゃないんだけど、出てくるわけです。
楊:そう。釈迦も実はぼくらと同じ凡人だったんですよ。
深井:そう、もともとはね。
楊:凡人で地獄に落ちたりとか色々輪廻を繰り返して行く中で、釈迦も仏陀と出会って、菩薩になって輪廻から解脱できたと後付けでロジックを編み出していくんですよね。。
樋口:なるほど。
楊:ということは僕らも、え、できるよね。僕らも前世で仏陀と出会ってるはずだよね。みたいな。ということになるわけなんですよね。だから僕らも今悟りの途中にあるんだ。というふうな自己解釈ができるようになるんですよ。
深井:希望が生まれるよね、だからその解釈だと。
楊:じゃあ何をもって僕らは仏陀と出会ったといえるのか、これは後で出てくると思うけど。例えばお経を読みますよね。お経を読んでありがたい言葉に触れて、何か心を動かされましたよね。とか、なにかすげえって思いましたよね。仏陀と出会ってるよ、前世。ということになる。
深井:仏陀ってのは釈迦のことじゃないよ。
楊:悟った人。
樋口:悟った人ですよね。
楊:そういうありがたいお経を読んで感動して心動かされた。出会ってますよ。
樋口:はあ。
深井:果てしない輪廻の中で、転生の中で仏陀に出会ってない可能性の方が低く、あなたがお経を読んでなにか感じることがあるということであればおそらくあなた出会ってます。と。出会ってるってことはあなたにも悟りを開く可能性を持ってる。そういうロジックです。つまり全員悟るタネは持ってる。だから現世で悟るための頑張り、その功徳を積んでいって悟りに近づいてください。そういう考え方。
楊:だよね。その功徳を積むのも釈迦は別に言ってない。釈迦は悟るためには絶対出家しろって言ってる。
深井:出家してくそ修行しろって言ってます。ただそれだけなんですけど。すごいシンプルなことを彼は実は言ってる。
楊:もう、お経を唱えたり、お経を供養したりとか、あと日常に良い行いをすれば悟れるよってことにだんだんなっていったんです。
樋口:はあはあ。
深井:そうね。
樋口:なるほどな。こうやったらこう、こうやったらこう、ってのは全部一個一個なるほどなっていう。
楊:そう、まじ仏教はその積み重ねな感じはする。
深井:そうね。まあ、今本当宗教ぽくというか全部ロジックなんだよね。これどうやって説明すればいい。もうひとつあるのが支離滅裂で申し訳ないですけど。縁起っていう概念があって。さっき関係性の中で、これ空の思想の中でもちょっと言ったと思いますけど。縁起ってのもナーガールジュナがさらに仏陀も言ってるんだけど、ナーガールジュナがさらに確立したやつがあって。さっきの悟ろうとするのも執着だよ、につながっていくんですけど。全てのものに縁起から、全てのものは縁起から生じている。
樋口:はいはい
深井:自分という存在というのは自分単体では実は存在しえない。これはあらゆるものの相互作用の中でその相互作用の関係性として存在するのであって、単体ではない。だから私がいて、あなたがいて、あなたがいるから私がいる状態ができている。私というものは無いんだって考え方にになる。これ前言った「空の思想」とかと近い。私が存在しないっていう話です。
樋口:ありました。
深井:これは全てがそうなんだっていう考え方なんです、それは因果関係の証明にもなるし、いわゆる昔こうだったから今こうであるってことも言えるし。その時系列の前後が関係がなくても例えばなんていうんですかね、布って糸が編んで作ってある。その糸と布には因果関係があるという使い方をするような。
樋口:難しくなってきたぞ。
深井:全方位の因果関係を包括して喋ってることになるんです。全てのものの存在というのは縁起によって成り立っているものであって、単体によって成り立っているものではなく、単体という概念はない。で、その単体という概念がないので実体はないんだ。全ては実体が存在しない関係性だけのものである。これはむかしピラミッドの例でちょっと喋りましたよね。ピラミッドというものはあると思ってるけどないんだって話をしましたよね。覚えてますか。
樋口:覚えてますけど。
楊:聴き直してください。
深井:あれは石の塊が積み重ねられているものであって、何をもってピラミッドとするかってのは僕たちの定義の問題であって、ピラミッドという実体があるわけではないんだっていう話に後々つながった一番最初の萌芽がここに。まあ萌芽があるのは仏陀なんだけど、それをさらに確立し始めてるわけです、ここで。で、面白かったのは、例えば月とすっぽんとかね、これも因果関係なんだって話なんです。
樋口:おおお。
深井:意味わかりますか。
樋口:ええ、ええ。
深井:むずいでしょ。
樋口:むずい。
深井:山に篭もりたくなるでしょ。
樋口:篭もりたくなってきた、おれ今すぐ逃げて山に行きたい。裏山に行きたい。
深井:月とすっぽんていうのは対比として使われてる。これも実は因果関係に当たるわけです。要は並べて意味づけをしてある。月ってのは実は単体では存在できないという意味になりますね。月とすっぽんていう関係性の中で言われる月というのは、すっぽんがあって初めて月がある状態だということです。桜と木とかいうレイヤーの違うさらに抽象化したものも、これも因果関係である、みたいなね。
樋口:はあ。
楊:そうそうそう。
深井:これが縁起の概念として出てくるわけですけど。このように、だから二項対立しているような現象とか概念が相互に依存とか限定しあうみたいな。で、支え合うみたいな相対的な成立の仕方をしているだけであって幻影ですみたいな話をしてるじゃないですか。だからそのどちらか一方に偏った傾斜をしてはならないという考え方なんです。
樋口:傾斜といったら傾いてとらえてはならない。
深井:なぜならそれには実体がないから。だから出家したいってことに対して傾斜するのもおかしいし、しないっていうことに傾斜するのもおかしい。何にも傾斜してはいけないっていう考え方をここで打ち出すわけです。
楊:そうだね。
深井:……は?
樋口:いま、深井さん、は?って言いましたけど、おれずっと言ってますよ、は?は?は?ってずっと言ってます。
深井:思うでしょ、は?って。
樋口:なるほどな・
深井:でも、なんか頭いいなって思う、やっぱ。適当に言ってるわけではなくて、考え尽くした結果これが出て来ちゃった。
楊:ちょっと、メタ認知を突破してるよね。
深井:拗らせた。さっき言った歩いてる人が歩いてないやつのロジック。ちょっとおれもう言いたくないんでググって欲しいけど、まじでやばかった。
樋口:へえ。
深井:本当だ!ってなった。
樋口:本当だってなるんですか、やっぱり
深井:なります。歩いてる人が歩いてない。本当だイコールで結んじゃった、怖わっ、ってなる。
樋口:ほお、なるほどね。
楊:とかね。
深井:そうなんです。
樋口:いやあ、でもなんか、もちろんピンときてないですよ。すみません、全くピンときてはないんですけども、言ってる雰囲気とか言ってること自体はわかるんですよ。でもまだピンとくるというところまでは一瞬ではバンていかないんですけども。
深井:まだピンとこなくていいです。で、このどちらにも傾斜してはいけないという概念が何に仏教において作用したかというと、上座部仏教てのはかなり禁欲的なものだったんです。山に篭もって修行しなさい、とか、まさに。それが緩和されたわけ、だいぶ。それによってそれが緩和されたことによって衆生、要はいろんな人たちが仏教に参加できるようになったわけ。これがさっき言った救いにつながっていくということに作用するわけ。でもその裏の論理はそういうことが無い限りはそれが起こらないわけです。どう思う。
楊:そこに前、玄奘のときに話してた「空の思想」とかも絡むところけっこうあって。さっき深井くんが言ったこの世はすべてかりそめである。僕らが今思っている存在てのは全て自分たちの感覚だとか感情だとか、そういう心の動きが作り出したかりそめの姿だと。いうふうに言ったじゃないですか。で、前話した「空の思想」、般若経とかで言ってる空の思想はさらにこれをアップデートしてそもそもそれを認識している僕らの感覚自体も無いよね、みたいな。
深井:全部なくしちゃった。
楊:そうそう、全部なくしちゃったんですよ。これによって何が起こるかというと、釈迦が唱えた輪廻転生のロジックが崩れるんですよね。
樋口:ほお
楊:だって、輪廻っていうのは、なぜ輪廻が起こるかというと、カルマがあるから。カルマを作ってるのは何かというと煩悩ですよね。自我意識ですよね。自我意識ですよね。自我意識ってないんです。
樋口:そうか。
楊:だからこのロジックは崩れた。
樋口:前提からわからない。
楊:そう、前提が崩れたことによって、もう一回リセットされたんです、空の思想によって。それによって何が可能になったかというと、厳しい修行は別に必要、必ずしも必要じゃなくなるよね。普段の良い行いをすればそのまま仏陀につながる、ロジックの繋げ方が自由にできるようになったんです。
樋口:なるほど。
深井:というヤバロジックを作った人たちが、まず出て来た後に、ついにこの後に唯識が出てくるわけです。
樋口:そうか、その後に出てくる。
深井:これはインドでマイトレーヤていう、これ弥勒をインドでいうとマイトレーヤなんですけど、これを漢字で言ったら弥勒になる。たまたま弥勒と同じ名前の人が出て来た。あと、ヴァスバンドゥという人が出て来て、この人が唯識を唱える。この唯識ってめちゃくちゃ密教にこの後関わってくるんで、これ改めていうけど、人間の認知レベルというのをステップに挙げて全部分析した。このアプローチはどういうアプローチかというと、人間の認知を分析的にやることによって、煩悩の元は何かということを突き止め、それを消そうとするというアプローチなわけですね。
樋口:面白い。
深井:で、前も説明しましたけど、人間の表層感覚というか、一般的に僕たちが持ってる五感であるとか、あとは表層意識ですよね。意識ってのと、あと末那識と阿頼耶識といって無意識下の意識もあるはずだと。それは例えば僕たちが意識しなくても心臓は動いてるってのは古代の人でもわかるわけ。じゃあこれはなんだって考えた時に表層意識で説明できないので末那識とか阿頼耶識というものを作っていくわけです。で、彼らは自我がないとは思わなかったわけ。さっきのやつと違うところは、この自我はあるだろうと。おれもそう思うわ。
樋口:まあ、ある。
深井:自我はあるだろう。その自我はあるんだけど、全てこの世界は認識で出来てるんだって話をしたって話をしましたよね。
樋口:これは覚えてます。
深井:なんで、その、今目の前にいる人もいるって思ってるけどいないかもしれないしいるかもしれないんだけど、いずれにしても全て僕たちの認知感覚によって無意識下でも表層意識下でもそれによって全てが形作られてるわけであって、それ以上のことは証明ができない。だから全てそこに対してさえアプローチができれば、要は自分たちの意識にアプローチができれば絶対に悟れるはずだっていうロジックなんです。確かにそうですよね。
樋口:確かにそう。
深井:でも難しいことがあるじゃないですか。無意識下をどうやって書き換えるか、なんですよ。
樋口:そうなんですよ
深井:無意識であることをどうやってアプローチするんだっていう考え方がここで出てくる。だから玄奘たちもそれを修行でなんとかしようとしたわけです。要は言語感覚を超えた、ロジックを超えた身体動作であるとか、生物としての神秘に迫るような謎のヨガとかをすることによってある意味自分たちを退化させていって、超潜在意識にあるDNAの一番奥にあるところにアプローチしてやって、そこから一気に悟ってやろうていうやり方なんです、これが。
樋口:はあ。どういうこと?
深井:でも、ロジックとしてはわかる。
樋口:そうか、退化させるっていうのは、なるほど。
深井:で、密教ていうのは何かというのはここからおれは一番わかりやすかった説明は。密教ていうのはこの末那識と阿頼耶識。つまり無意識に対してのアプローチする手法を確立した宗教なんですよ。
樋口:ちょっと待てよ。
深井:意味わかりますか。
樋口:はいはい。
深井:唯識が言ってるのは全てのこの世界で起こってることは全部自分の認識が作っている。で、僕たちが苦しみを味わっているのは全てこの認識が作り出したものの反射としてそれを勝手に感じて勝手に苦しんでいることになりますよね。
樋口:はいはい、そこまではわかりますよ。
深井:で、自分たちの意識を変えればそれは苦しみがなくなることになりますよね。苦しみがなくなるどころか世界を変えれる。
樋口:そこまではわかります。
深井:なぜなら全ての世界は自分が作ってるから。
樋口:はいはい、そこまではわかりますよ。
深井:けどアプローチするのは非常に難しい領域がある。それは無意識下の末那識と阿頼耶識である。じゃあこの末那識と阿頼耶識どうやったら自分がコントロールすることができるか。そこを極めたのが密教。
樋口:はあ、そこの部分を
深井:はい。これを極めたのが密教です。
楊:ふむふむ。
樋口:なるほど。
深井:これが一番わかりやすい密教の説明です。
樋口:はあ。
深井:密教の説明はあらゆるところでいろんな言い方されてますけど。一番僕がわかりやすいなと思ったのがこの説明の仕方です。
樋口:かあ。なるほど。いやあ、ちょっと頭がプスーっていってるんですけど
深井:この後空海とかが鎮護仏教っていって国家の怨霊とかを、怨霊から国を護る儀式をする。その儀式によって国を護るってことがなぜできるか。そのロジックがなぜできるか。これ唯識から出てるんです。
樋口:はあ
深井:世界は僕たちの認識が作ってる。その認識にアプローチすれば世界が変わる。だから認識にアプローチする手法を持ってる空海は世界を変えることができます。なので、怨霊が出ようがどうだろうが彼は世界を変えれるので、ええと、結果的に怨霊から日本を護ることができる。そういうロジックなんです。これを気づいたときに、勉強して、ああ、なんにも、なんにも理解してなかったなと。
樋口:理解というか考えたことすらなかった。
楊:考える話じゃないかもしれない、すでに。
深井:でも、怨霊がいるとかの話じゃないんだよ。彼らは、もう。
樋口:なるほど。
深井:要は、唯識が出て以降ね。
樋口:なるほど、なるほど。
深井:ていう感じのすさましいこの、なんていうか、系譜があるわけですね。
樋口:いやあ、すごかったな、なんか。
深井:ちょっと、まあ、この後、唯識がでてきた後ですよね。唯識が出て来たあと法華経とかでてくる。法華経は聞いたことあるでしょ、南無妙法蓮華経。
樋口:名前だけは。
深井:この法華経が出て来たりだとか。これすごく諸教の王と呼ばれてるような。
楊:そうですね。日本の仏教のベースになったお経のひとつです。
深井:この法華経もすごく面白くて、法華経の特徴ていうのは大乗仏教になった後ってさっき言ったみたいに人を救える人が大事なんです。
楊:そうそう。
深井:人を救えることがとても大事であって、人を救えない自分だけ悟ってるやつってよくないんですよね。けども法華経てまたね、そこまで包含して、要は自分だけ悟る人達も含めて全部いいよねってしたんです。
樋口:さらに広げた。
深井:いろんな悟り方あるよね、みたいな。いろんな悟り方あっていいよっていう。その中のひとつとしてみんなを救うってのもあるよ。だから全部平等だよ、みたいな。いろんな立場があるよってことを法華経がいうんですよね。この平等思想をこの後聖徳太子が日本に持って来て冠位十……
楊:冠位十二階。
深井:冠位十二階。とか十七条憲法を作っていくという流れがあるんですけど。それは次回のお話しです。
樋口:なるほど。はあ〜。
深井:どうですか。感想。感想を教えて。
樋口:ちょっと待って下さい。正直言って一回聞いただけじゃわからないです。
深井:ですよね。
樋口:だから、これは僕は録音もう一回聞いてもう一回噛み砕きたいと思うけど、ぎりぎりちょっとわかったなと思うのは唯識論ていうのをちょっと一回勉強してたから、それを元に密教というのがわかった。これが因と果の関係だな、縁起?
深井:まあ、いろいろ出た、空の思想。
樋口:空の思想、唯識論。
深井:中観。
楊:空よりは唯識のほうがわりとちょっとわかりやすいていうか。
深井:空、むずい。自我がないってちょっと感覚として理解できない。
樋口:感覚的に難しいですよね。なんか。
深井:でも僕が本を読みながら本投げたくなった気持ちはこれでわかっていただけたかな。
樋口:そうですね。いやあこれは投げたくなるし、今すぐ山に篭もりたくなりますね。
深井:ね。
樋口:なるほど。
深井:て感じですかね。
樋口:相当なボリュームでしたけど。いやあ、これ、ぜひ何回も聴いてね、ちゃんと理解したいなと思いました。ということで、続きは次回ですかね。
深井:はい。
樋口:ありがとうございました。
楊:ありがとうございます。