#90 リベンジ・オブ・関ヶ原の戦い ― 誇り高き超エリート長州人の誕生

【ポイント】
①高杉家は毛利家に300年以上仕えてきた誇り高きエリート一族だった
②関ヶ原の戦いで負け、僻地の萩に飛ばされた毛利家は、長州藩として人材育成に力を入れるようになる
③長州藩は一般会計とは別に、新規事業投資用に限定した裏金をつくっていた。これが後の政治運動や軍備増強のための貴重な資金源となった


樋口:ということで、前回は、高杉晋作が活躍する幕末の時代背景を学んでいきましたけども、今回から、ついに高杉晋作、その人の人生を深掘りしていきたいと思うんですけども、

深井:やっと幼少期から。

樋口:ちょっと日をおいて、今、収録してますっていう(笑)。

深井:そうですね。普段はワンシーズン、全部1本とか1日で撮ってますけど。

樋口:高杉晋作、第1回、第2回を撮った日が、何と
深井:龍之介、まさかの花粉症でリタイアっていう(笑)。

深井:そうですね(笑)。収録続けられなかったんです。

樋口:そう。第3回の途中でリタイアしたっていうことで、今日は大丈夫ですか。

深井:大丈夫です。今日は、体調は悪いけど花粉症ではない(笑)。

樋口:よかった(笑)。体調は悪いんだ(笑)。

深井:体調は大体悪い(笑)。

楊:今日、花粉症は休憩してるんで(笑)。

深井:よかった、よかった。

樋口:じゃあ、もうエネルギー補給満タンということで、話して聞いていきたいと思いますけども、さあさあ、どんな人なんでしょうか。

深井:散々、彼はエリートだっていう話を今までしてきましたけど、生まれがいいんですよね。まず高杉晋作は、300年以上毛利家に仕えていた家の出です、高杉家が。で、先祖も代々毛利家に仕えて、すごく活躍した人たちが親戚にたくさんいるんですよね。お父さんも、結構その位の高いところにいって活躍しているようなところで、毛利家に仕えている家臣なんだけれども、まずその毛利家について、ちょっと話したほうがいいかな。これ、前も言ったけど、毛利家って関ヶ原の戦いで敗れちゃうんですよ。で、その敗れる前って、皆さん、一応名前聞いたことあると思いますけど、毛利元就っていう、

楊:3本の矢ね。

深井:そう、戦国武将がいて、この人が、もともとすごい一部しか治めてない人だったんだけど、尼子氏とか大内氏っていう人が、ライバルがいて、中国地方に。

樋口:尼子、大内。

深井:そう。尼子とか、それこそ僕の故郷ら辺を治めてたはずなんですけどね。で、その人たちを一代にして倒して、中国地方一帯の覇者となるわけですよ、彼が一代で。

樋口:すごい人や。

深井:そうです。で、そのあとを継いだ毛利輝元っていう人が豊臣秀吉と対立するんですけど、ちょっと勝てないねってなって、秀吉の傘下に入って五大老っていうやつになるんですよ。

樋口:五の大老。

深井:そう。要は四天王の5人バージョンみたいなやつんなって、そこの中に入ってんのが徳川家康とか、上杉とか、あと前田利家とか、あと宇喜多秀家とかなんですけど、そのうちの1人なんで、トップ5ですよね。

樋口:SMAPの1人ですね。

深井:そう。そんな感じ。

楊:そんな感じで。

樋口:次にいきましょう(笑)。

深井:はい(笑)。で、そのとき120万石持ってるわけ。だからめちゃくちゃ大大名なわけ、トップ5だしね。だけど、このあと、この五大老の1人である徳川家康と対立をして関ヶ原の合戦に突入していくと。で、徳川家康対毛利輝元になるわけ、構図としては。これに負けちゃうんですよ。

樋口:もう天下分け目の大合戦ですよね。

深井:そう。大合戦に負けてしまう。で、負けた結果どうなるかっていうと、それまで10カ国ぶん治めさせてもらったやつが2カ国ぶんまで減らされてしまう。石高で言ったら120万石から36.9万石に減らされてしまう。

樋口:うわー。これはきついな。

深井:なんで、いわゆる収入が3分の1ぐらいになってますよね。3分の1以下になったってことになるよね。

楊:がりがり削られて。

深井:そう。いきなり、だから月収が120万から37万ぐらいまでなったみたいな、

樋口:これはきつい。

深井:大変じゃないですか、今まで120万の生活してるから。一番大変なのは、家臣を雇ってるわけ、その120万石の中で。家臣にそれを分け与えることによって封建制って成り立ってるんだけど、それができなくなるんですよ。

樋口:給料が払えないみたいな。

深井:そう。給料払えなくなっちゃうんで、でも家臣が、大大名だったからめちゃくちゃいっぱいいるわけ。それをじゃあどうするかってなるわけですよね。そのうえ、この人たちっちゅうか毛利家は、中国地方の広島側に城を作ろうとしたんだけど、それも許してもらえない。瀬戸内海側の交通網が発達したところに城を作ろうとするんだけど、そんないいところに作ったら、下手したら君たち反逆するでしょっていうことで、萩っていうすごい交通の便が悪いところに作りなさいみたいになって、

樋口:いじめられて。

深井:はい。なんで、萩藩っつって、長州藩がそこから、そこが本拠地なんですけど、そこに移されてしまうみたいな。だから収入は減らされるわ、城を作る場所は自由にさせてもらえないわということで、長州藩、毛利家は、徳川家のことが大っ嫌いなんですよ、ずっと。ずっと大っ嫌いで、逸話として残ってんのが、萩に移ってから、毎年年始になると家臣が殿様に聞くんだって。今年やりますかって聞くと。

樋口:何?やるっちゅうのは。

深井:要は、徳川家をぶっつぶしますかって毎年聞くんだって。したら殿様が、いや、まだ早い、みたいな話を260年間毎年してたらしい(笑)。

樋口:じゃあもう、ちゃんと忘れないように確認をずっとしてたんでしょうね。

深井:多分ね。どこまで本当かわかんないですけど、っていう逸話が残ってるぐらい、要はそれぐらい嫌いだってことだよね。

楊:反骨心がずっと代々にわたって続いてきたっていうことですよね。

樋口:なるほど。絶やすな、絶やすなっていう感じできた。

深井:そう。だから、倒幕していいってすぐ考えがなるのは、彼らがこういうバックグラウンドを持っているので、簡単に倒幕思想に転んでいくっていうところですよね。

樋口:すげえ。呪いみたいな感じやな。

深井:あともう一つ、やっぱりこの120万石から一気に減らされたことによる、やっぱりデメリットだけじゃなくて、これやっぱ面白いなと思うのは、これによって長州藩って、めちゃくちゃ人を大事にするようになっていくんですよ。

楊:人材投資だよね。

深井:そう。お金が一気に、ばーんって減った。でもやっぱり殿様の人徳あったんでしょうね。離れる人が少なかったらしい。

樋口:すごい、それは。

深井:そう。だから、お金もらえないのに働いてるやつとかやっぱいたらしくて、その中で、頑張って、頑張って、最終的に、ちなみに100万石以上の収入に、また戻すんですよ、この人たちって。

樋口:すごい。

深井:そこで活躍したのが、それこそ晋作の先祖とかだったりするんだけど、戻すんですね。で、戻す過程で多分殿様たちが学んだのは、一番大事だったのは人だったんだってことが多分わかったんだと思う。

樋口:あら、急にいい話。

深井:そう(笑)。だから長州藩って、めちゃくちゃ人材育成に投資するんですよ。

楊:長州藩には面白い仕組みがあって、育みっていう仕組みがあるんですよ。

樋口:教育の育?

楊:育に、ひらがの「み」で。で、普通人材っていうか、当時身分の縛りがあったので、武士は一生武士、下級武士は一生下級武士みたいな感じだったんですけれども、長州藩では、逆に下級武士の人間とか、それ以下の身分の人でも、優秀な子どもだったら上級武士の養子とかにできたんですよね。そういう仕組を育みといって、要は人材プールが広かったのよね。

深井:そうそう。あと、封建制っていう出世しがたい仕組みの中でも、何らかのかたちで、実力さえあれば上に上っていけるような仕組みを無理やり作ってる状態ですよね。

樋口:すごい。

深井:バイパスみたいな感じで作ってる状態を作っていて、実際に、それによって能力重視で、このあと出てくる周布政之助とかは、そんなに石高が高い家じゃないんだけど要職に就いてたりだとかして、本当に能力がある人たちが上にいくっていう構図を長州藩は作ることができていた。

楊:そういう雰囲気があるのはいいよね。強いと思う。

深井:だから強かったんだろうね、後半というか幕末。

樋口:何か中国でもそういう話ありましたよね。

深井:ありましたね。

樋口:昔のすばらしいシステムだっていって。

深井:そうそう。で、こういう危機を何度も人材によって乗り越えてきた藩であると。で、もう一つ長州藩について、ちょっと晋作の前に長州藩の説明なっちゃってんだけど、長州藩について特徴がもう一つあって、実は幕末に長州藩が活躍できたのって、彼らがお金いっぱい持ってたからっていうのが一つあるんですね。あるんですけど、これ、何で持ってたかっていうと、これも晋作の先祖が、それを提案してるんですよ。殿様に向けて、一般会計、要は普段使ってる家計簿と、全く別の家計簿を持ちなさいと。で、その家計簿、全く別の家計簿は、普段は絶対に使わないお金。どんだけお金に困っても使わない。で、これは新規事業投資にしか使わないって決めてるお金があるんです、彼らって。

楊:内部留保をしっかり取りなさいよと。

深井:で、その内部留保を、事業用途を新規事業投資用に限って、

楊:限定して。

深井:限定してる。だから、普段の運転資金の中で困っても使ってはいけないっていうお金がめちゃくちゃたくさん実はあって、これが超たまってるんです。このお金を使って新規事業投資を、コメとか塩とか、ろうとか紙に対しての産業にやったりだとか、あと下関って港だから、そこで倉庫業をやったりとかして、結果的に農業生産性は高くなくても、実力として100万石以上の経済基盤を持ってる状態を作れてるっていうさっきの話につながるんだけど、このお金が、実は最後の最後でめちゃくちゃ役に立つわけ。

楊:そうだよね、幕末で。

深井:だから本当に、これを考えた晋作の先祖が思ったとおりになっていく。

樋口:まずそもそも経営がうまかったんですね。しっかり、

深井:うまい。だって困ったからね。自分たちは収入減って困ったから、困ったときにこそ、そういうブレイクスルーがやっぱ生まれるんですよね。考え抜いたんだと思いますよ。

樋口:失敗から学んだんやな。

深井:そう。

楊:幕末とかでも、尊王攘夷みたいな、そういう雰囲気とか思想がいろんな藩で起こるんだけれども、結局多くの藩では、それを政治力と結合できなかったんですよ。結べなかった。でも長州が何でできたかというと、お金があったからなんですよ。お金があって、それで政治力もあったからなんですよね。

深井:で、そんな長州藩の、大臣とかをたくさん出してる家の嫡男として晋作が生まれます。

楊:誇り高いエリートだよね。

深井:誇り高いエリート。毛利家の、もうだから自分の意識としては、毛利家っていう殿様に仕えているエリート中のエリートっていう感覚、自分は。

楊:国を背負うエリートだし、

深井:国っていうのは毛利家のね。

楊:そうそう。毛利家ね、長州藩の。

深井:長州藩の、もう本当に、俺らが動かしてるんだって思ってる人たちの家に生まれて、男児(男子?)が自分しかいないんですよ。だからめちゃくちゃかわいがられてるはずなんです。封建社会の男児一人。

樋口:スタートライン的には、いいところからスタートしてますよね、人生。

深井:そう。で、性格としては、すごい負けん気の強い、物おじのしない性格。まあこれは、

楊:あとでいっぱい出てくると思うけど(笑)。

深井:もういっぱい出てきますし、破天荒なところにもつながってますけど、晋作はやっぱりそういう性格で、ちっちゃい頃からそういう性格だったみたいで。あと、父親からいろんな教育を受けてるんだよね、この人。お父さんは、すごいやっぱり封建社会の中の保守的なタイプの人だったんだけれども、晋作に多大なる影響を与えていて、例えばどんな教育を受けてたかっていうと、僕、面白いなと思ったのは、男子というものは、困ったということは決して言うもんじゃないというふうに教わってたと。なんで晋作は、自分がどんだけ困った状況になっても、困ったって言わないようにしてたらしい。これ、すごい大事だなと思う。

樋口:大事かもな。

楊:困ったって言ったら、人間それで何か安心するし、

深井:思考停止するもんね。

楊:思考停止するもんね。彼、どんなにピンチな状況になっても思考停止しなかったんですよ。

深井:そう。とにかく普段から、みんな、困った、困ったって言いすぎだと。普段からそうやって困ったとか言ってたら、打開するっていうエネルギーがわきづらいだろうと。でもどんだけ困っても、考え続けたりとか何かをやり続けたら、必ずそれを突破するっていうことができると。だから絶対に、困ったと、もう死ぬっていう直前でも困ったとか言うなみたいなことを父親から学んでて、結構忠実にそれを再現してるよね、彼の人生は。困ってるんですよ。見てたら、日記とか読んだら、困ってんなってわかったけど、

樋口:(笑)

深井:困ったとは書いてない(笑)。

樋口:もうばればれやけど、言わないんですね(笑)。

深井:そう。このくそが、みたいなことしか言ってない。
一同 (笑)

深井:文句は言ってるよ(笑)。

樋口:でも、ちゃんとそこは父親の言葉を尊敬して受け入れてるんですね。

深井:そうなんですよ。彼の、もう生涯を通じての特徴なんだけど、父親が言ってる言いつけを守る、守らないみたいなところで、ずっとあれがあるわけ、あつれきというか、自分の中の、

楊:葛藤はね。

深井:葛藤があるんですよね。それは何でかっていったら、父親のことを尊重して、父親のことを尊敬してるからですよ。でも、その父親が言ってることは、自分が突入したい松蔭とかの世界である攘夷、開国系のところと全然違うことをやっぱ考えてるから、そのあるれきに悩むっていうのが彼の青年期です。

樋口:それは何か後々影響が出てきそうやな。

深井:そう。めちゃくちゃ影響出ます。で、彼のライバルがいるんですよね、あと。久坂玄瑞っていう人がいます。

樋口:久坂玄瑞、はいはい。

深井:これは聞いたことある人は聞いたことあるかな。天才といわれた人ですね。

樋口:名前は有名ですよね。

深井:この人とは、ちっちゃい頃から寺子屋で一緒に学んでたらしいですね。そのあと一緒に松下村塾入るんで、そこで二大巨頭みたいになっていくんですけど、ちっちゃい頃の晋作は、ずっと武芸にばっかり励んでたらしい。強くなろうとしてた、ずっと。武士のエリートだからね。で、武士って軍人だから、基本的に軍人の本分を果たそうっていうことで、弓とか槍とか剣道の修行ばっかりをすると。

楊:彼も、それ好きだったみたいだよね。

深井:そう。好きだったみたい。すごい自信もあったらしいです。そうやってずっと武芸ばっかりしてると。で、途中、天然痘とかになって、顔にあばたが残ったりとかして、

楊:それで変なあだ名をつけられたりとか。

深井:そうね。小豆餅って、

楊:小豆餅って(笑)。

樋口:(笑)

深井:あだ名つけられて、ばかにされたりしながら、まあ健やかに育っていったのかな(笑)。

樋口:(笑)。まあまあ元気で。困ってないですからね(笑)。

深井:困ってないですね。

樋口:(笑)

深井:で、彼が16歳のときに、一つ、おっきい事件というかポイントがあるんですけど、お父さんに従って江戸に行ったんですよね。で、江戸に行ったときに、ちょうどこのときが黒船が来てたとき。このときの江戸に一緒にいたっていうのは、そのあとの松蔭とかとの交流であるとか気持ちの持ちように、すごく実は影響してるんじゃないかなと勝手に想像してます。てんやわんやなわけ、江戸が。前代未聞の大騒動になってるわけ、江戸中がね。

楊:宇宙人が来たようなもんだからね。

樋口:そうですよね。前回言いましたけど(?)ね。

深井:そう。宇宙人が来たぞ、この街に、ってなってる。で、そこに行って、黒船を見たかどうかはわかんないんですけど、黒船を見た人たちの話も聞いただろうし、てんやわんやになってて、幕府がそれに対応できてないことに文句を言ってる人たちの話も聞いただろうし、すごくそこの空気感を知ってるっていうのを、ちょうど最も多感な16歳のときにそれを感じてるんですよね、この人は。

楊:目線とか想像力が、外の世界だったりとか国に対して、もしかしたらこれがきっかけで、そこで接続できたんじゃないかなと思いますけどね。

深井:そうだね。

樋口:それは相当あるような気がするな。

深井:ちなみに、このときに同じように江戸にいた人たちってどういう人たちがいるかっつったら、桂小五郎とか坂本龍馬とか、そういう人たちもやっぱこのときに、あと吉田松陰もそうだけど、同じく、この時期の江戸に行ってる人たち。

楊:どうするんだみたいな、どうなるんだろうみたいな。

深井:そう。だから、その空気をやっぱ感じた人たちが、のちのちに爆発していくっていう構図ですよね。やっぱりすごい、蒸気船2隻とか4隻とか来て、めちゃくちゃ脅してましたから。

楊:空砲撃ったりとかね。

樋口:怖いよな。

深井:で、それを経験した晋作は、とりあえず何かしないといけないと思ったらしくて、兵学書を勉強し始めます。それまでは基本的に勉強あんまり重視してなかったんだけど、武道ばっかやってた状態でやってたんだけど、やっぱり危機感が強かったんでしょうね。何かしないといけないと思ったんだろうけど、そのとき読んでたのは、武士の歴史とか心得とかを説くハウツー本みたいな。

楊:本人も、武士としての心得とか教育をちっさいときから受けてきたから、それなり、何か責任感っていうかな、上に立つ者としてのあるべき責任感は普通に持ってたと思いますけどね、若いながらに。

深井:そうですね。ここで勉強しようってなってんだけど、何していいかわかんないわけよ、本人も。何が適切な勉強かわかんないし、アメリカに対抗し得る自分たちのポジショニングがわかんないから、本当にエネルギーだけ爆発してる状態が多分この時期で、このあとに松蔭と出会うわけ。

樋口:先生。

深井:3年後にね、19歳のときに出会う。で、松蔭に出会う前に、藩校、藩が作ってる学校に明倫館っていうのがあるんですけど、今もあるらしいですけど、明倫館。

楊:ある。明倫館小学校で、今、萩にあります。

深井:その明倫館っていう、すごい名門、当時から西日本一とかいわれてる名門の学校だったんですけど、そこにいって兵学と剣術とかを稽古して、柳生新陰流とかそういうのを、危機感を持った状態で何をやるかっつったら、剣術とか兵学をやってるわけ(笑)。

樋口:やっぱ戦って勝つっていうのがね。

深井:そうそう。そこの概念からまだ出てないわけ。本当ただ、武人として頑張ってる状態ですよね。

樋口:ですね。そして多分、責任感も相当あったんでしょうね。

深井:あったと思います。

樋口:日本を背負わないけないという。

深井:日本までいってないと思います。多分毛利家をどうするか。このままだと、幕府がこういう体たらくなんで、やられちゃったら毛利家が割りを食う。

楊:危機感があるんでしょうね。

深井:だからどうするんだっていう考え方をしてる。

楊:松蔭のところに入ってからじゃないかね、国を意識したのは。そうかもしれない。

深井:で、ついに19歳のときに松蔭と出会うんですよ。これまでの晋作は、さっきも言ったみたいに、ずーっと武人としての勉強しかしてないわけ。で、何していいかわかんないわけ。でも、ここで初めて松蔭から、何を勉強したらいいかをいろいろ教わるわけ。それが正しいかどうかは別として、視野が一気に広がっていくわけですよ。で、松蔭は、この片田舎から、松蔭の回でも言いましたけど、必ず日本を震撼させる人物が出てくるって断言してて、この時点で。で、村の子どもたちを集めて、いろんなことを教えてるというか、一緒に議論し合ってるわけ。

楊:語り合ってる***だもんね。

深井:で、この松蔭からどういうことを学んで、それがどういうふうに晋作に影響を与えていくかっていうのが次の話です。

樋口:そこの松蔭が断言するのって何なんすかね。もう思ったんですかね(笑)。

深井:いや、これは、すごい、僕、面白いなと思ったんですけど、人間のポテンシャルって、基本的に大臣レベルだったらみんないけるのかなと思った。

樋口:(笑)

深井:意味わかる?松蔭を見てて僕が思ったのは、松蔭って大臣をたくさん作ってるわけ、日本の。それはもちろん、長州の立ち位置とかいろいろあるよ、歴史的背景はもちろんあるんだけど、とはいえ、やっぱ立派だと思いますよ。すごく立派だと思う。彼は、すごく人間の可能性を伸ばしたなって思うんですよ。それ、何でだろうというか、どういうことなんだろうと思ったときに、一つの国の大臣ぐらいだったら、実はみんな、ポテンシャルとしてなれるのかもしんない。それ以上はもしかしたらむずいかもしれないけど、引き出しさえすれば。じゃないと、この村から、大臣5人と総理大臣2人だったかな、確か。

楊:そうだね。

深井:むずいよ(笑)。

樋口:でも、それは言われて、なるほどなって思うかもしれないですね。

楊:僕は逆に、逆にっていうか、多分思ってる思うけど、愛の人だと思うんだよね。

深井:ああ、そうね。

楊:すごい彼は、松蔭は下級武士だったけれども、別に身分にかかわらず、人間として見てたんだよね、その若い子らを。人間として同じ目線に立って、別に先生と生徒みたいに教えてるわけじゃなくて、一緒に学ぼうやっていう感じで親みたいな愛を与えたことに、その若い人たちがめっちゃ燃えたんじゃないかなと勝手に想像してます。

深井:そうですね。次、詳しく、どういうメッセージを例えば松蔭が晋作たちに伝えたのかとかを、ちょっと晋作たち目線から。前は松蔭目線だったんですけど。

樋口:あ、興味深い。ありがとうございます。ということで、じゃあ次回は、高杉晋作が吉田松陰と出会った頃のお話からお聞きしていきたいと思います。ありがとうございます。

楊:ありがとうございます。

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