#54 実験と挑戦 プロデューサー・研究者 若新雄純さんが企むこれまで&これから(後編)

【今回の内容】
自ら振り返る若新さんの半生/暗記がキライ!音楽大好き!樋口さんと若新さんの共通点/勉強の距離感と音楽への興味/X JAPANで「表現」に取りつかれる/個性と自我、小学3年生で作った衝撃の詩/やってみる実験意識/大人の期待から外れて…大学で実験的に始めたナルシスト狂宴「みんなボクを見て」/次第に大学で人気者に/等身大ポスターとPVでアピール/学生時代に起業、そして大学院へ/縦横無尽に企画へ参加/バーで仕事に繋がった!マンガみたいなエピソード/ゴールを設定せず続けたいことを続ける/人の人生も歴史である/歴史観について語る/若新さんからのメッセージ

樋口:はい、ええ、コテンラジオ配信スケジュールに関してのお知らせです。お願いします。

深井:はい。この放送の後変則的な配信するんでお知らせしとこうかなと思ってるんですけど、9月の20日と23日って祝日じゃないですか、シルバーウィークで。そこは配信お休みしようかなと思います。みなさんもしっかり休んでいただいてですね。そのあとに性の歴史を収録してあるんですけどね既に、してあるんだが、今回もうひとかたのゲストで非常に面白い方をお呼びしてますんで、その番外編をまた3話放送したいなと思っています。性の歴史を10月7日から放送しようかな。なんでこういうことをしようとしとるかというと、いつもぎりぎり過ぎてしんどい。シンプルにそれ。

樋口:二人がしんどいということね。

深井:僕たちがね。勉強がぎりぎりいつも。だから余裕を持てるように少し配信スケジュールを勉強と配信をずらそうかなと思ってるんです。それのためにこれやらせてもらいたいなと思ってます。

楊:別に楽をしようと思ってるわけじゃなくてあくまでコンテンツのクオリティを担保するための措置。

深井:いや、楽しようとしてる。楽しようとしてる。結果的に楽しないとクオリティも上がらないから。少し楽させてもらうためにそういう配信スケジュールにさせてもらって。ただ若新さんの後のゲストの方も本当に面白い話だったので皆さんも楽しみに。

樋口:すごかったですよね。

深井:すごかった。

樋口:喋りがとまらなかった。

深井:楽しんでもらえるかなと思ってます。ということで宜しくお願いします。

樋口:お願いします。

楊:お願いします。

樋口:はい、ということで今日の番外編も引き続き株式会社NEWYOUTH代表取締役、そして慶應大学特任准教授などなどをされております若新雄純さんをゲストにお招きして話をお聞きしていきたいと思います。よろしくお願いします。

若新:お願いします。

深井:お願いします。

楊:お願いします。

樋口:盛り上がり過ぎてですね、前回1時間弱話してる。

楊:いくらでも聞ける話。

樋口:NEET株式会社の話ですね。面白かったら是非第一回から聴いてもらいたい。今回3回目なんですけど、そんな色々やられてる若新さんが一体どういう人生を辿ってこられたのかを今回最後にお聞きしたいんですけど、どういう子供だったんですか。まずは。

若新:僕は思春期はよくネタにしてるんです。思春期ひきずってるみたいな。思春期以前は僕みたいな子はそんなめちゃめちゃ珍しいタイプじゃなくて、ど田舎の両親教師、学校の教員の家の子供として生まれて長男で期待されて育ってど田舎だったんで。

樋口:若狭。

若新:福井の若狭というところけど。勉強も中一まではテストも一番でしたみたいな感じだったんですけど。宿題が嫌いだったんですとにかく。だから落ち着きがない子供だった。

樋口: 勉強はできてた。

若新:親も子供が頭よくていわゆる頭脳がよかったらせっかく頭脳よく生まれたんだから勉強しなさい。学校の成績いい成績とりなさいとなるじゃないですか。樋口さんも言われたわけですよね。メンサ会員かなんか。でしょ。だから見るからに小さいころに頭がいいとそれを生かせることをやれよと。うちの親もそういうタイプで学校の先生だからとはいえ子供って生まれ持って頭脳がどうとか身体能力がどうとかそれは平等ではないじゃないですか。勉強がすごい苦手というか全然覚えられない得意じゃないとはいわないけど得意なんだからやれってずっとそれでがんばれって言われてて。ただその代わりに選択肢が少なかった。やれって言うんですけどたまたま親戚に同じ若新さんに医者と弁護士がいてわかりやすいくらいにめちゃめちゃ勉強して医者か弁護士を目指してだめだったら次はこれくらいかみたいな。とにかくそんな、なんだその医者か弁護士という謎の選択肢みたいな。ずっと言うんです。

樋口:それはご両親が与えてきた選択肢がなかった。

若新:そうです。もう一つは田舎すぎてそもそも塾とかないしいろんな変わった仕事してる人もいないしライブハウスとかもないからそもそも選択肢が限られてる。立派だといわれる先生と呼ばれる人が少ないし弁護士とかがいない地域だったし大企業もないからまあお医者さんがぶっちぎり偉くて次に学校の先生がいて、で役場の人みたいな。そういうところだったんで、そこでまずはヒエラルキーの中で頑張って上り詰めるために勉強せいよ。小学校のときはめちゃめちゃ暗記させられることもないし小学校受験、中学校受験ないからあれだった。とにかく宿題が嫌いなのと別に覚えて何かやるとか反復するとか全然面白くなかった。

樋口:全く一緒です。

若新:ずっと嫌いでした。嫌で嫌で仕方なくて、ただ中学校入った時に順位出るから小さいころに賢い賢いと言われてたから一番をとらないと存在価値がない気がして、中学生の時、中一の時に何回か成績学校内一番とるんですけど。一番とるといっても全校生徒79人なんで別にたいしたことない。小学校はずっと1クラスだし。なんだけど結局暗記させられたんですよ。だから暗記を憎んでますね。だって暗記しないと一番とれないじゃないですか。校内テストって。

樋口:そこも結構僕と一緒。最初中学のテストで一番とったんです。 

深井:そういう人生を歩むと金髪メガネになるんですか。金髪メガネの黒い服。

楊:収束されてる。

樋口: ありうる。

若新:深井:帽子を被ってる被ってないのバージョンの違いはどこで発生するんですか。

若新:あとはLUNA SEA XかX LUNA SEAか。これ結構ある。X LUNA SEAとLUNA SEA Xは親戚くらいの感じ。

樋口:ぼくはギターだったんですね。

若新:僕もギター弾いてたんですけどドラムの方がよりXだったんで。

深井:逆じゃないですか。

樋口:僕ギター弾いてたけどドラムもやってた。

若新:逆です。恐ろしいですね。

深井:すごいな。

若新:それくらこうじゃなきゃいけないという選択肢も少なかったのも嫌だったけど、ただあの時に勉強ていうのは学ぶということは暗記することだったりとか、やっぱ反復することでしかないと思ってたからそれを今振り返って見るとかわいそうですね。

深井:本当の勉強を知らない。

若新:本当に学ぶってことが小さいころから嫌で嫌でしょうがなくて、中学の時にとにかく一番ていってとって親に見せつけて自慢したいがためだけに何回か本当暗記に耐えて、耐えて耐えて暗記して。中一の時に一番とるとあいつは一番とれるやつってみんなから見られる。そうするとその後は二年生以降は音楽が好きになったのもあるし校内テストって暗記しなかったら点数下がるんで頭が悪くなったんじゃなくて受験、試験勉強を頑張らなかったって言い訳が成り立つ。だから一番とってないのに俺やれば取れるからといったら嘘くさいけど一年生の時に何回か一番だったからそのあとに今回おれ面倒臭くてテスト勉強せんかったわといって暗記するのはやめて。暗記しないと5番とか6番だったりする。暗記したら一番なわけだけど暗記しなかったら順位下がるけどそのために2ヶ月に一回暗記するやつが苦痛すぎて。本当あれで一気に勉強が嫌いになりました。

樋口:じゃあ勉強はそこからあんまりやってこないですか。

若新:本気で勉強て面白い、学ぶって面白いというふうにしてやったのは次大学院生まで一気に行きます。

深井:研究が始まる。

若新:大学院生というか大学の時は、大学は普通に面白かったんですけど、それは大学って学び方も色々だしガチで机に向かって勉強とかじゃない。でも大学院生の時は確かに論文書かなきゃいけないしあれだったけど。その後はいやいややるって感じで、しかも思春期で音楽大好きになって。

樋口:音楽ですよね。

若新:それやったから。そしたらのめり込むとその後ものすごいギター弾いたりドラム叩いたりとかして、動画サイトで人気出たこともあったくらい楽器のコピーとかめちゃくちゃしてたからやり込めば上達するしかなりできるってことは自分ではわかってた。途中からどうしても暗記嫌。ど田舎の中の公立の進学校にいってみんな僕らの地域でいうと東大京大行くやつってそんなに多くないから、ど田舎すぎるから。基本は理系だったら名古屋大学で文系だったら神戸大を目指すと言うこの辺と一緒ですよ。めちゃめちゃできたら京大に行くけど無理でも九大に行くってのと一緒である、旧帝大を目指すぞ。でもそれって暗記しなきゃどうにもならない。別に毎日物思いにふけったところで試験は解けないしいろんな経験値増やしてするどい考え方ができるようになったところで受験勉強突破できないんで。それはずっと高校出るまで田舎にいたから途中から学ぶと言うことの面白さは全くわからなくなった。

樋口:それはつらいというかもったいないですね。

若新:ずっと楽器弾いてました。

樋口:はあ。でも楽器練習するとかはできるんですよね。

若新:好きだから。特にXのYOSHIKIのコピーをドラム死ぬほどやって、ニコ動でランキング上位になったりとかyoutubeで100万回以上再生されたりした動画もあるんですけど。YOSHIKIの生き写しになりたいと思い込んでて。よしおれYOSHIKIの生き写しだ、おかんに違うわよって突っ込まれて。

樋口:ちなみに僕は一番最初に出会ったのがBOØWYの氷室京介。僕だから自分を氷室だと思って生活してた時期があるくらい。

楊:そういう思考になる。

樋口:なんなんですかね。

若新:同じ感覚になってみたかった。そのためには弾けなくてはいけないからめちゃくちゃやってたんですけど、やっぱ学ぶことの面白さの視野が狭かったのが今となってすごいもったいなかったし。田舎ならでは。

樋口:そこで音楽と出会うわけじゃないですか。音楽と出会ったのが中学校。

若新:ギター買ったのが中一なんで。本当は中一ですけど一応時期も含めて中二病と呼んでます。

樋口:音楽との出会いで何か変わったんですか。

若新:いろんなことが変わりすぎて衝撃が大きすぎたんで。当時X JapanのDAHLIAって曲を聴いてうわっとなってほかのどうでもよくなって。うわってなったんですけどやっぱあそこで今思うとあえて、当時はそう言う言葉は使ってなかったけど今振り返って見ると僕の中で登場した概念に表現という概念が発生したんじゃないか。

樋口:今までは医者とかそっちの道しかみえてなかった。

若新:表現の面白みわからないじゃないですか。だって医者も弁護士も基本的に問題解決する仕事なんで、起きたトラブルを社会的な文脈でのトラブルを解決するのが弁護士であれば体や心の臨床的アプローチで解決するのが医者じゃないですか。表現活動ではないじゃないですか、一応。そこに表現という、だから勉強していい仕事に就くものは表現の世界じゃないと思ってたから表現というのが現れてしまって。だから表現するっていう、髪型から始まり服装に始まりいろいろなわけですけど。でも見た目のファッションだけの話じゃなくて、かっこよくいうとどう生きて行くかみたいなところまで表現にめちゃめちゃ拘るようになっちゃった。

樋口:ある意味暗記とは逆ですよね。

若新:そうですね。

樋口:答えがないものを作り出す。

若新:そう。表現です。そうそう。だから今の僕のいろんな前回までお話しした話も実験であり表出させてるというか。これでどうだみたいな、こんなんでどうだみたいな表現にこだわってる。

樋口:自分との向き合い方みたいなものって子供のころってどう捉えてたんですか。自分とは何なのかみたいなこととか。

若新:そうですね。本にも書きましたけど一つは自分が自分であるということについて過剰に疑問を持ってたんで。だからそんな哲学的にというかまず最初にシンプルに自分の中に自分の頭の中で話かけれる自分、自我がある。これが他の人にもきっと入ってるわけですけど。みんな見た目とか家とかは別々だけど中に入ってる自分で喋ってる自分は同じプログラムが入ってるのが別の友達の中に入ってる自分も全く違う感じのやつなのか、違うものが入ってるのか同じものが入ってるのか気になってた、小さい時、すごい小さい時。

樋口:ちょっと待って、何歳くらいの時にそれを思ったんですか。結構するどい疑問。

若新:小学生の時に小学校に登校し始める時に田舎だから集団登校ってみんな一列になって集団毎に行くんですけど。その時にみんな同じ制服をきて同じリュックサック、ランドセルを背負って行きますよね。みんな同じ教室の中で同じ勉強をやらされる。でも見た目違うし喋る声も違うし書く字も違うし、だけど同じことを学ぶみたいな。だから家によって違う。親に多分言われたことがあるんでしょうね。なになに君ちこうしてるよと言ったらそれはあの子の家はそうだから。あの子の家の事情があってあの子が別の子なのはわかるけど、その中に思ってる今日お腹すいたなとか何何したいなと思ってる喋ってる自分の自我というのは全く同じものが入ってて家が違うのか、入ってるものも違うのか。すごい悩んだ。

深井:小学生とかで。

若新:小学生の時。

楊:これはロックの道に行くしかない。

樋口:行くしかないですね。

若新:だから同じ僕が入ってるのか、入ってる僕が別々なのかというのがすごい気になって。だからもしでも中身入ってるのが同じだったらそしたらいい家に生まれてきて得なだけじゃないですか。おんなじ自分が入ってて体と環境だけ違うんだったらいい家に生まれたもの勝ちだよな、おもちゃいっぱい買ってもらえる家に生まれたもの勝ちだよなみたいなこととか思ったりしてた。それを小学校3年生の時の授業参観の日に詩を書きましょう、初めて詩というものを学ぶわけです。ポエム。毎日思ってることを書いてくださいと言われて友達がおばあちゃんとかタンポポとかいってたんで、毎日思ってることを書けと言われたから僕はなぜこの僕を生きてるのかと書いて。

樋口:タイトルですよね。

若新:詩です。そのままです。僕はなぜこの僕を生きてるのだろうかというちょう短い詩を書いて。

樋口:3年生ですよね。

若新:ど田舎で。それでその授業参観の日に発表したんです。別にそれでも発表した瞬間普通だと思って、いつも思ってることを書けと言われたからなんとなく心の中で思ってることを書きなさいといわれたから。僕はなぜこの僕なのか、本当思ってた。発表しました。保護者がいたからみんなくすくす笑ってる。ゆきちゃんのおかあさんがすごい、ああこれ、そうだ確か詩を思いだしました。書いて名前を書かせなかった、先生が。書いたやつを匿名で書いて黒板とかに貼って、そこ保護者が見て行く。ぼくのやつを見てこれ誰が、どの子が書いたかわかるわ。って。ゆきちゃんのお母さんが言ってた。すげえ僕のやつだけくすくす。

楊:異色ですよね。

若新:で、その時に思ったのはまだ小三だったから変なことを言っちゃったんだと思ったんですね。

樋口:なるほど。これいっちゃまずかったのかな。

若新:もしくは当たり前すぎて変なことなのかな、みたいな。でもその後思春期拗らせて今みたいな仕事するようになって、ああ僕ってそうか昔っからそんなやつだったなと思って。それはこうなるはなっていう。

樋口:すげえ、自我と向き合うの早い。

若新:そうですね。

深井:早いですね。

楊:早い。

樋口:ですね。

若新:でもロックってまさに自我に問いかけてくる。お前何者なんだみたいな。

樋口:あと、ナルチスト。

深井:ナルシスト。

樋口:ナルシストの活動されてたじゃないですか。

若新:あれ、結構僕の中でも、そうですね僕の人生の作品として僕の中の歴史に残る。

深井:ナルシストの活動ってなんですか。

若新:深井さん、めっちゃいいんですよ、これ。たまたま大学一年生の時から始めた、いろんな偶然が重なってできた活動なんですけど、中高生の時にめちゃめちゃバンドやってたんです。でもなんか高校卒業するころには音楽で食って行く気はなくなっていた。YOSHIKIにはなれないと思ったことがあって挫折してまあまあ仕方ない、だったら親が言う通りなんとか大学に行ってミュージシャン以外の方法で表現する可能性を探そう。でも当時から起業するっていうか自分で独立して働くだろうなという気はしていたんですけど、でも高卒でできると思ってなかったし。で、まあばあちゃんちに移り住んで受験勉強して、できて歴史の浅かった県立の大学に行くんです、宮城県にある。うちの両親の条件が国公立じゃなかったら大学はだめっていう、貧乏じゃなかって、別に、両親学校の先生でも田舎の価値観です。だからとにかく大学は国公立、私立でいうところのMRCH以上に行けみたいな、国公立以上じゃなかったら行く必要ないし国公立に行くんだったら学費も安いから出してやるといわれて、でもめちゃめちゃ勉強ができると言われてた僕はその有名な旧帝大とか有名な国立にいけないことはそこで僕の中では問題だったわけです。今からぼく何回高三にタイムリープしても受験いやです。次こそ京大行くぞとはならない。暗記いやだった。本当暗記嫌だったけどなんとかかんとかむりくりやってセンター試験かなりできたんで、だけど旧帝大とかに受からないレベルだったから人が知っていてこの辺かと言われるのが嫌だった。例えば僕らの地域でいうと名古屋大にいけなかったら次金沢大とか新潟大とか信州大とかなってくる。そうするとあああのへんにいったのねとなる。そういうの言われるのちょういやで新しく公立大学が新設ラッシュでできてた時期だったからまあそれで国公立の中でその大学が仙台の近郊にあったから都会だし東北いったらだれもしらないし。誰も知らないところでとりあえず親に学費出してもらって0からやるかなみたいな感じで大学に行ったってのはあった。その時は気持ちが0リセットされてて。もう今までになんでこうできなかったんだとかなんでこんなことに囚われていたんだってものを全て取っ払って本当に思うように納得行くようにやってやろうという気持ちがすごかったんです。というのとそのすごい旧帝大に入れない、とにかく学校の先生の子供だから旧帝大に入れみたいなのが半端ない。深井さんの前でいうのあれだけど、でも僕らからしたら旧帝大に行けなかったら先生の息子として終わりみたいな感じだったから。そういう大人が期待してるエリートみたいな人生ないから、だったら全てを納得いく形にするみたいなのと当時から学歴がどうしても欲しかったらアメリカとかみんな大学院に行く時代だから大学院いにいって学歴は更新すればいいってのは学歴ロンダリングという言葉がない時代から。ない時代から思ってた。最初から学歴はそうしようと思ってて、それで行って誰も知らない土地にいったんで、全てを納得いく形で表現しようと思ってて、例えば大学生が大学生になったらなんとなくサークルに入ってなんとなく新歓やって飲み会するみたいななんとなくが全部ださかったから、おれはそのなんとなくを一つもやらないぞみたいな。大学生ってみんななんとなく授業をチャラチャラしたやつ授業を後ろの方に固まって聞かないじゃないですか。僕はずっと高校生の時からこういう風貌だったんでめちゃめちゃ派手な風貌で最前列でガチで授業を受けてやろうみたいな。めちゃめちゃやばいやついるみたいな。

樋口:逆逆ですね、全部。

若新:まあでもなんか折角だから大学の授業90分あるから一回寝始めたら絶対聞けない。あれ面白くするには全部集中して聴いて自分が入り込んでいかないとすぐつまらなくなると思ってたから。人の目に流されないというか生き方みたいなのをYOSHIKI様に憧れたように生きてみるか全て0からと思って大学生活が始まったってのもあった。そのへん気持ちがリフレッシュされた。その中ででもあんだけバンドやってたから普通だったら大学生になったらその軽音とか入ると思うんですけどミュージシャンになれないと思ってたしめちゃめちゃやりきった感があった、高校までに。だから軽音楽部とかに入ってバンドしようとか思ってなかったのと入学するといろんな大学の中で文化祭とかある、新入生歓迎パーティーとか。やっぱあの行ったのが公立のすごい真面目な大学だったのできてる人たちも基本的に真面目でおらついてる人とかいないんですけど。それが大学で派手になったみたいな先輩がみんな立ってみたいな、みんな前きてみたいな、盛り上がろうぜみたいな。たって前に来てみたいなセリフが僕の中でもうダサかった。

樋口:バンドのライブでよくやるやつ。

若新:でしょ。だからこれはきっとこいつらは今やっと受験勉強終わって感じですごい斜に構えて見てた、ひねくれてた。だからやだ、こんな中でそんな中で先輩から順番でしかコンサート出れない、ライブに出れないし、一年生とか文化祭とかでも日の沈まない時間帯に演奏させられるわけです、一年とか。そうじゃないですか。

樋口:そうですね。

若新:これ絶対嫌だなと思って。絶対嫌だしあんだけ音楽に打ち込んできてその中に入っていくの嫌だな。あとダンスサークルとかやたら人気。どこの大学にもあると思うけど、やたらみんなヒップホップの格好して、I love hip hopの時代だから。LUNA SEAファンもLUNA SEAファンを隠してDragon Ashかっこいいよねって時代なんです。僕は裏切り者だと思ってるんですけど、あいつ裏切り者だって。本当はLUNA SEA好きなのにI love hip hopていってるやついっぱいいたんです。だからあの中みんなヒップホップのダンスの感じもいやで。こういうキャンパスライフの中に一石を投じたかったんです。で、色々考えてて先輩と、実はあんまりプロフィール載ってないんですけど大学一年の夏にはもう自分で株式会社作って。

深井:へえ。

樋口:すご。

若新:実は。

深井:早い。

若新:そうそう。本当会社作ってみたかったから。それは大して何もできなかったからその後先輩と会社作るんですけど、それをやったりして就職はないと思ってたから。始めてたんでけど当然でもいろんな表現に興味があったんです、まさに。表現したいわけじゃないですか。だけどその軽音とかダンスサークルの人たちの表現を見てるとなんだこの媚びた表現はみたいな。みんなが前に来てくれないと盛り上がれない。なんだかなと思ってる時にある日ヤマダ電機に行って、僕電化製品好きなんでヤマダ電機ぶらぶらしてたら液晶テレビとかが出始めた頃でB’zのライブずっと流してた。だいたい液晶テレビコーナーってミュージシャンのライブ流れてるじゃないですか。B’zの稲葉さんの歌ってて客席に水の入ったペットボトル投げててきゃーなってる。ええなみたいな、思ったんですけど。ここから頑張って稲葉さんと同じステージにいくのちょう大変じゃないですか。

樋口:そりゃそうですね。

若新:ある時ふと閃いたんです。いきなりやったらどうなるんだ。この陶酔具合を。だからデビューしてミリオンヒット出して何万人ていう客が来るようになったわけでもないのにあたかもその状態かのように陶酔して表現したらどうなるんだろうというのを、というのをそれまでのあんだけ音楽やって来てその後僕だってyoutube百万再生されるくらいまでドラムやったりしてたにもかかわらずそれをすぐ披露したらわっとなったと思うんですけど全部どっかやって。で、造花のバラを咥えて。

樋口:バラを。

若新:登場して。陶酔しながらGACKTを歌う。

樋口:しかも真っ白のあれですよね。

若新:はい。当時歌ったのがGACKTとPENICILLINだったんです。GACKTとPENICILLINのロマンスをずっと歌うという活動を大学一年の文化祭の時からたまたま仲良くなった先輩にステージの枠が余ってるから何かやろうぜって言われた時にとにかく自己陶酔するという、大学生に足りないのはそういう周りの目を気にして自分がきゃーと言ってもらえる状況にならないと表現しきれないというのがダメなところだから。お客さんがいなくてもそこが武道館であるつもりでドームであるつもりで表現してみたらどうなるんだろうか。で、自己陶酔をコンセプトにして、その時の先輩がステージ名を何にするかっていってやってて。とりあえずよくわからないけどナルシストの狂った宴みたいな感じで書いてて。いいなとおもって、それで僕が縮めてナルシスト狂宴という狂った宴、ナルシスト狂宴というステージ名にしたんです。キャッチコピー、2年目以降僕キャッチコピーを考えたんですけど、みんな僕を見てっていうキャッチコピー。結構今までいろんなキャッチコピー作ってきましたけど、みんな僕を見てというキャッチコピーを超えるコピーをまだ生まれてないです。

樋口:やあ、まじで。

若新:だから大学生の時はみんな僕を見てというコピーで活動してた。

樋口:写真みたんですけど真っ白な上下のスーツにバラを咥えてこうなんていうんですかね、ポッドキャストで難しいけど反ってる写真が。

若新:そうです。だから多分そうですね。わかりやすく言えば狩野英孝です。

樋口:そうですね。狩野英孝さんより前にやってる。

若新:実はそれもある疑いがあって、狩野英孝さんて出身宮城なんです。僕は真っ白のスーツに赤い造花のバラを咥えて自己陶酔してるという様子が宮城県の新聞で写真付きで出たことがあるんです。一応時系列でいうと狩野英孝さんがその後にその格好した。俺らをもしかしたらパクったんじゃないかって勝手に思ってる。

樋口:シンクロニシティじゃなくて。

若新:シンクロニシティだったらそれはそれで面白いし、たまたま狩野英孝の地元の新聞に出てるから。でもそれくらいそのなんか陶酔するっていうかやってみたんです。そしたら何が起こったかというとみんなドン引きするわけだけど、そのドン引きが面白かった。つまり僕にとってはそれはこういう表現をすれば引くよな、ドン引きするんだけどみんな足を止めて立ち止まって見てるんです。

深井:見ますよね。

樋口:見る、これは。

若新:いきなり陶酔してたら。

樋口:だっておかしいですもん。一人で盛り上がってる。

若新:その時にはすでに仲間がいたから仲間を従えて一大勢力かのように突然現れた一大勢力。テーマはまるで大学生なのにレコード会社から声がかかってデビューできてCD売れちゃったすごい先輩が帰って来てコンサートをしてるくらいのていで、ていで、なんでもないのにていで現れてはっと陶酔してみたんです。

樋口:でも歌ってるのはGACKT、PENICILLINなんですね。

若新:そうです。

樋口:なるほど。

若新:そうです。

樋口:じゃあお客さんも一緒のばあっとなってる。

若新:いや、一年目はみんなドン引きしてて無反応だけど、ざわざわってなって、見てるだけなんです。これは面白いなと思って毎年続けてやろうと思って。2年目からもずっと恒例にしてやっていくんだけど、2年目くらいから結構みんなざわざわとなって3年目くらいはきゃーて感じ。来たーみたいな。僕らの放った造花のバラをキャッチするみたいな。

深井:面白い。

樋口:すげえ、現実化した、思考が。

楊:天才だ。

若新:あとから追いついて来る。4年生のころは起業してて金もあったから協賛とかもとってきて絶対大学生には再現できないようなステージにしてやろうと思って。ビデオ残ってますけどガチなライブみたいな感じで特効とかばんと火花散ったりとか。

樋口:楽しんでますね。

若新:銀テープばあって出たりとかスモーク焚いたりとか。でやって、そこまでする必要あるのかみたなことを作り込んで、みんなだからしかも僕自分の等身大ポスターとか作って。あの頃ちょうどまさにAdobeのソフトとかを大学生とかも覚え始めたころ。大学がそういうあれなんですよね。文系も理系も学べるみたいなところで、デザインみたいなのもやれる特殊なところだったから、そのころ流行り始めた感じの。だからコンピュータの部屋に行くとパソコンに全部Adobeのソフト入ってた。そこにプロッターまで付いててプロッターで印刷もできるみたいな感じだったからすげえそれを使いまくってた。それで等身大ポスターとか。

樋口:等身大ポスター。

若新:あの頃、だからみんなウエブサイト作り始めたりとかちょっとしたサークルの紹介のビデオ作りはじめてみんなマルチメディアに親しみを持ち始めてだれでもクリエイターみたいなことが起こり始めた時代なんです。その頃に僕は誰でもクリエイターのテクノロジーやその環境を使って等身大ポスターを作りそして自分たちがひたすら酔ってるというPVをPremiereでずっと編集して、それを大学のエントランスで永遠リピート再生したりとか等身大ポスター大学の入り口に貼ったりしてた。そして大学祭になると本番にやばい過剰に演出されたステージがあってスモーク焚いてあって、だからばあっと登場して銀テーププシューてやるみたいな感じで歌うのはPENICILLIN。

樋口:そこ、そこ自分の曲じゃないんだ。

若新:で、造花のバラを投げる。陶酔。だって、自分で作ったオリジナルの曲なんて売れてなかったらだれも興味ないじゃないですか。みんな口ずさめないとだめなんで。

樋口:人の曲の方がいいんですね、むしろ。

若新:そう。そのPVもPENICILLINのロマンスという曲でPVを作ってあって、それを永遠と大学のエントランスで文化祭の直前くらいからリピート再生されてる。だから大学行くとエントランスでずっとPNEICILLINが流れてるという状態。

樋口:愛に気づいて。

若新:ずっと流れてる。大学の本番始まるんでみんな始まったみたいな感じでていう状況を作りだして。

深井:すげえな。

若新:大学で僕のこと知らない人いなかったんで、コンパクトな大学だったからですけど。その時に思ったことはめちゃめちゃ楽しかったんですけどこの感じで生き続けるにはどうしたらいいかなってなりますよね。これで普通に就職とかしようもんならダサいじゃないですか。だから就職は選択肢はなかったし、だからこの先輩とならという先輩とリタリコ作れたという縁もあるし会社経営いろいろやったけどそれだけじゃなくて、なんだろう、表現するという生き方を果たしてどうすれば自分の得意とするものをちゃんと発揮させて生きていけるんだろうかと考えた結果大学で研究したりとかそういうことをするようになった。

樋口:さっきさらっと言いましたけど大学1年の時にいきなり起業してるんですよね。

若新:それもあの頃に、あんまり詳しくいうと年齢がバレちゃうからふわっとさせときたいんですけど、株式会社が1円でも作れるという最低資本金規制特例というのがその時にできて。今はもう特例も関係なく株式会社1円から作れるんですけど、その試用期間が始まった。それを聞きつけてこれは俺のためにある制度だと思って。すぐ株式会社作ろうと思って。

樋口:それは何をやったんですか。

若新:それはね、それがNEWYOUTHという僕が代表やってる会社なんで一緒なんですけど。若新を英語にしたら NEWYOUTH。

樋口:そういうこと、本当だ。

若新:それも僕がその時からなんのために会社作ったのって言われて、独立して働きたいから会社を作ってみたら独立するのに必要な人と出会えたり経験ができるような気がしたという理由なんです。

樋口:先に箱を作る。

若新:そう。けっこうバカにされたんです。経営というのはやる事業があって雇用する人がいるから経営なわけであって、やることが決まってないのに社長になるなんて社長という肩書きが欲しいだけじゃないかと言われて、別に社長って肩書きが欲しかったんです。

楊:それでいいじゃん。

若新:そう、いいです。

樋口:働きたくない。

若新:そう。でもそのあとに一人一株式会社の時代とかますは独立してみるみたいなことが時代が変わってきたんで相当早かったそれをやったの。

樋口:そうですよね。で、4年生の時にお金があったって話さっきしてましたけど。

若新:3年生の終わりくらいの時にその先輩と会社を始めてその会社すごい急激にでかくした会社だったしあん時大学4年生の時に普通に会社の取締役としての給料もらってたんで。周りの大学生と比べたらかなり金がある状態じゃないですか。それもあったしプラス協賛とかもとってきて、他の大学生には無理そうな感じでステージを演出して。

樋口:何をやってたんですか、その会社は。

若新:それはね、障害者の就職の支援をするという会社で。今リタリコという名前で一応日本でその分野最大手の会社で。その時はたまたまその先輩と仲良くなって。僕はただその事業内容というよりもその自分で新しい働き方を模索する会社をやって見たかった。障害者の就職支援というか実は何がサービスの核だったかというとテレワークなんです。今でこそテレワークという言葉は普通ですけど。ぼくあれ会社最初できたときが2005年ですけど、僕らテレワークテレワークと言ってました。2005年12月に作った会社で。テレワークがテーマでこれからテレワークがくるって。テレワークというのが可能になれば障害者にも仕事のチャンスが相当回ってくるということで、全く新しい働き方を作って行く会社を始めようというのがリタリコの本当の一番始めの起源の起源なんです。

樋口:でもそれが結構すぐ早めに波に乗って。

若新:その先輩が恐ろしいくらいの事業拡大する能力を持ってる事業家だったんでめちゃめちゃ早く会社でかくなってって、僕はその組織の拡大についていけなくなって。僕は自分とは何かと毎日問うてるわけです。組織の拡大に付いていけないですよ、だってその中で経営者として担う姿とか役割とかいろんなことに葛藤を覚えて。まあそれで結構早々にやめてそれで大学院で研究するようになったんですけど。やっぱそのあの頃は今よりももっともっとベンチャーといえども、ベンチャーだからこそなめられちゃいけないみたいな感じですごい背伸びしなきゃいけなかったし、組織もとにかくちゃんとがちがちで固めていこうとか、そういう感じになってて、これは僕にはちょっとできないなというのと。だからロック魂と僕の中でシンクロしなかったんですね。

樋口:それで、そこを会社を外れて、で、何を始めたんですか。

若新:会社を外れて、その時に一番感じたのが独立して表現するとか自分らしく知的好奇心を追求するような生き方をしていくために必要だと思ったのが何もなかったから、じゃあ学位取ろうとなった。その時に一番効率、効率いいといっちゃ変ですけど、何よりもわかりやすくて自分の身にもなるし経歴にもなるし、専門家ぽくみてもらうためには大学院で修士取るのがいいと思ってて。ここ運良く先見の明ぽいものがあったぽいんですけど。

樋口:何なんですか。

若新:いま結構社会人になってから修士取る人増えてきた。学士て専門はそんなやらないから社会人になって大学院にいって本当に興味ある部分を追求して専門家ぽく学ぶ人たちが増えてきたけど、結構僕がたまたまなんですけどアメリカとかではそれが普通になってると聞いてたんです。アメリカでは一回働いてからまた何か突き詰めたいことを大学院いってやりなおす。日本でもそのうちくるんじゃないかなと思ってて、当時はまだ理系の人しか大学院に行かなかったけどこれからは文系とか理系とかに関係なく仕事と一体になって学ぶことをする時代かなと思ったから、大学院の修士とっといたらこれはいいなと思って、あんまりまわりがそれをしない時代だったんですけど、それでSFCがいいんじゃないと紹介されていいなと思ってで入った。

樋口:で、SFCに入った。で、それ何をやってたんですか研究。 

若新:最初は分野でいうと組織心理学という分野があって、それが僕にとってみれば前の会社での葛藤もそうだし人が組織の中でわかりやすく言えばどう個性的に個性を認められて個性を発揮して働くかとか、その人が納得がいくようなモチベーションを高める働くためのことみたいなことの研究をしようと思って入ったって感じですね。

樋口:そうか、だからそれで勉強してることが今の仕事に繋がってる。

若新:大学院に関しては本当に今みたいな本当に独立してフリーの仕掛け人というかプロデューサーにもなりたいとその時は思ってた。

深井:思ってるんですね。

若新:でも放送作家とかと一緒でどういうルートでいっていいかわからないじゃないですか。フリーのプロデューサーってどうやってなれるんだろうって感じ。

楊:ロールモデルがなかなか分かりづらい。

若新:大きな組織を作ることもできなかったしだから一個はとにかく修士号をとって専門家と名乗れるようになろうということと、もう一つはそれをしながらいろんな仕事を受けてみて、いろんな仕事の企画するという仕事をたくさんやってみたらなんか見つかるかなという感じで。でも僕の中でナルシスト狂宴くらいのものをやれないと意味ないと思ってたから、ナルシスト狂宴は自分の中の過去自己ベストになってたから。

樋口:そうか。だから自分で企画して自分でチームを作って協力者を集めて何かをするということがまずやりたかったんですね、その時点で。

若新:そうですね。でもそれをやっぱナルシスト狂宴の話と一緒で多くの人に疑問というか立ち止まってなんだこれは、そうだ岡本太郎のなんだこれはが好きだったから、岡本太郎さんの話は好きな人いっぱいあると思うけど僕も結構好きで、やっぱなんだこれはというのが好きだったんです。だっていきなり造花のバラを加えた男の子たちが別に売れてるわけでもないのに陶酔してる。だけどみんな自分の中にあるものと何かシンクロするものを感じるみたいなそういうどういうことみたいなのをいろんなところで、そこからそれを深めて行くと発見することがあるみたいなのを。

樋口:というものを気づかせるものをやりたかったってことですか。はあ。で、実際最初の方って仕事とかどういうことが多かった。

若新:それはありきたりな話ですけどたまたま出会った人からこの仕事手伝わせてとかこんなのやってみたいとかいう話を最初はきた球全部打つって感じでした、大学院の時から。

樋口:依頼されてやるってことが多かった。

若新:依頼というかとにかくいろんなところに出かけていって何か仕事になりそうだったら一緒にやらせてくれというのをいっぱい球打って、友達の会社のブランディング手伝うとか新しいインターンシップの企画をやるとかいうのもやったし、癌を撲滅するためのキャンペーンみたいなやつの事務局入って企画お手伝いしてやったし、あと政党のお手伝いですね、若者向けにマニフェストを広めるための企画とか、そういうのを今につながるような片鱗が見えるものはやり始めてました。あと採用の新しいプロジェクトとかをやったりとかもいっぱいやって。頑張ってやって、あとなんかよく伝記みたいなのでよくあるけど偶然こういう人に出会ってその人が自分の売れないころの自分にすごいいい仕事をくれてでっかいギャラも払ってくれて支えてくれたみたいな話ってよくあるじゃないですか。僕の人生にもあったんです。面白いなと思って、そういうこと本当にあるんだとおもってたまたまバーで。僕お店も経営してた。全然儲からなかったけど。

樋口:なんでもやってますね。

若新:その頃ちょうど面白いと思って、ナルシスト狂宴と近いんですけどあの頃だから20代、リア充みたいな言葉が出てきたころでみんなどれがリア充かみたいな模索する。俺でも自分でリア充を自作自演してみたらどうなるか。で、自分で歌舞伎町のお店を経営。話すと長くなるんで色々あって経営することになったんですけど、結構広いお店で40人くらい入るカラオケとかモニターとかも全部あるところで一緒にやってて。全然利益は出なかった、儲からなかったけどそこで若新ナイトというイベントをずっと季節毎に開催して、そこで毎回僕がPENICILLIN歌ったりとか。

樋口:ずっとやってるんですね。 

若新:ずっとやってたんですよ。

樋口:ずっとやってるじゃないですか。

若新:それ集合写真を撮ってフォトショップで加工してそれをmixiにアップしてたんです。この時に写真を盛るというのが僕の中の面白さで。男子どっかいって女子と僕だけ撮ったりとか、それをフォトショップで加工してて。まだみんな加工アプリとかなかったら写真の加工ができるやつ少なかったんです。みんなにこれ写真加工しすぎじゃないとかいわれてていいじゃないこんなものはそもそも虚像なんだみたいなあれをずっと続けてたらおれは盛り業界のなんとか盛り、なんとか映え、盛りと映え業界のパイオニアだった。ちょっと途中で満足してやめちゃったんです。それをずっとやって、若新ナイトというのをやりながらそういう仕事をしてたらある日そのバーにたまたま、終わったあと近くのバーで飲んでたら、歌舞伎町に入り浸ってたんでバーで飲んでたら横にたまたま座ったおっさんに声かけられて、本当にそんな話どっかで聞いたことがあるような、漫画の展開なんだけど、君、何、誰、どこで何してるの、何してる人って言われて、名刺ぱっと出して会社やってます。当時の若新マニュアルというバッファローのハードディスク買った時についてくるマニュアルわかります。

樋口:わかります。PDFか。

若新:あれをベースにした僕をこう取り扱ってくださいって、バッファローの取扱説明書のデザインをそのままパクった若新マニュアルという取扱説明書を持ち歩いてたんです。

樋口:リアルに。

若新:リアルに。あのデザインが好きだった。四つ折りで必要なことがコンパクトに書かれてるじゃないですか、わかります。

樋口:めっちゃわかる。

若新:こういうやつで取扱説明書、ご注意ください。ご注意ください、僕をこう扱ってくれないと性能が発揮できませんみたいな、あのころから人間は万能じゃないからいいところもあるけど扱いを間違えると性能を発揮しませんみたいな伝え方が大事だと思ってて、ご注意くださいという項目とか正しく使うためにみたいな感じで若新をこう正しく使ってくださいというマニュアルを持ってたんです。それを名刺と一緒に若新マニュアルてのをぱっと渡してへえそうなんだあ慶応出てるのねへえとかなんとかいって独立してるんだなんかうちの会社まだ小さいけど利益出て成長しそうだから今度ブランディングとか手伝ってよとか言われて酔っ払ってるんだけど、でもその名刺もらって普通に、僕そういうの連絡する人なんでこういうところから漫画みたいな展開あるのかなと思って本当にその会社に連絡していったらおお本当にきてくれたんだっていって、なんかの縁だからうちの会社のブランディング全部やってよとか言われて、そういうところで組織作りの仕事をするとか。当時としては、当時の僕としてはかなり高めのギャラをずっと払ってくれたりとか。その会社ずっとでかくなっていって。

樋口:エンジェル。

若新:エンジェル、エンジェル、エンジェル、普通に。とは言っても僕個人のプロデューサーだったからそんなすごいギャラじゃないですよ、広告代理店に払うような。でもまあまあ言ってみればなんていうんですかね、普通に同世代の月給みたいなのをずっと払ってくれて、別に週一くらいきて一緒に作ってくれればいいから。だからその会社の全部組織文化作るとかそういう僕が研究してきてそれこそ前の会社でできなかったような会社の個性みたいなものがちゃんと表出されるというか伝わるようなものをやっていくみたいなのをやったりとか。そういう会社が現れたりしておおこんな漫画みたいな展開あるんだと。バーの横にいたおっさんがすごい買ってくれて安売りするな、若新くん安売りするなみたいな。いい仕事するんだったら自信もって請求書もってこいみたいな。漫画かよ。

樋口:漫画ですね。

若新:漫画なんです。現れて今でもその人本当よくしていただいてるんですけど。

樋口:いまだに付き合いがあるんですね。

若新:あります。今でもたまにオフィス移転するから今度一緒に手伝ってとかホームページ直すから手伝ってと言われてて。今はもうさらに若新君売れたからこれくらいでいいてくれるのとか。手伝ったら若新君そうだね、すごいいい感じだからボーナス200くらいでどうみたいな気前がいい社長なんです。相当うまくいってて。そういう人がいたんでこれはこういう人たちに若新青田買いしといて先物買いしといてよかったと思われたい。

樋口:そうかそうか。それで色々頑張ってたんですね。ばあと。

若新:そんな感じでどこにたまたまがあるかわからないので。それはなんか、だめだったら諦めるし。

樋口:さっき僕が思ったんですけど、めちゃくちゃいろんなことやられてる。企画って多分0から立ち上げてていうのって多分本当数十個どころじゃないですよね。めっちゃやってる。

若新:そうですね。トータルするとね。

樋口:多分ですけど、飽きやすいタイプなのかなと思ったんです。でもめっちゃ続けてることもあるじゃないですか。JK課とかNEET株式会社とかって。その続けてることとやめてることとか分けてたりするんですか。

若新:でも、今日折角コテンさんに呼んでいただいてコテンさんの世界観の文脈でいうと、だからゴールがあるプロジェクトはない。普通みんなプロジェクトってこういうふうになるとゴールみたいになる。別にJK課もゴールがこうとか決まってないし、NEET株式会社なんて永遠にゴールないじゃないですか。だから問いかけとかけ、世の中に対する問いかけとかなんで、例えばナルシスト狂宴的な活動も何人動員できればいいとかCD出せればいいとかじゃなく表現てきりがないし、まさにプロセスの連続というかだと思うんです。だから達成しちゃうと飽きると思うけどあんまり達成とかはなくてだから途中でやめてることもある。それは失敗したからやめたというよりは満足したんで終わったって感じになってて続けてるものに関してはただ単にずっとプロセスなんでバンド活動みたいなもんですよね

樋口:そうか、ライフワークになってる。

若新:というふうなものを選ぼうとしてます。

樋口:なるほどなるほど。選ぶ基準がその儲かるからとかじゃなくて成果が出るからとかじゃなくてまだ満足してないというかまだずっと見ていたい。

若新:そうですね。ただそこで得られたことが多かったんでそれを使ったコンサル的な仕事とかコメンテーターみたいな仕事はいっぱいしてますけど、それはお金を稼ぐためでもある。達成すると価値が生まれるんじゃなくてプロセスを観察すること自体というかプロセスをより楽しむ、プロセスを自分で作り観察して解釈してまた伝えるみたいな。歴史と一緒です。ずっと歴史。

樋口:だから歴史を使ってどうかするじゃなくて歴史を作ってるんですね。

若新:でももっというとどんな人の人生も本当、本来は歴史的じゃないですか。全ての人が生まれて生きてるだけで歴史的じゃないですか。それを歴史的に捉えるのか何かプロジェクトを達成するための機能として生きてるか捉えるかで全然違うと思ってて。なんかの活動、仕事のための機能だと考えちゃうとまだ達成できてないから途中段階と思う。そもそもが歴史である。観察対象の歴史であると思うと途中とかはないので。

樋口:そうかそうか。途中とかという概念がなくなりますよね。でもあるわけですからね。するとかしないとかじゃなくてある。

若新:テスト勉強の暗記の時のまだあと何ページあるとかって全然だるいじゃないですか。コンプリートしないと意味ないみたいな。別に歴史の面白い書物読んでる時だったら途中だからだめとかなくないですか。ずっと面白いですよね。

樋口:そうか。その時間、今やってること自体に意味があるから。てことか。これは面白いですね。

若新:喋りすぎました。すいません。

樋口:いやいや。

楊:すごい。

樋口:これは濃い話でしたよ。今後何をやっていきたいみたいなのあるんですか。

若新:基本は今みたいな感じでひたすら実験して発見して楽しむという。

樋口:明確なこれをやりたいとかいうよりはずっとなんかやり続ける。

若新:最後に逆にみなさんに聞きたいというかあるのは。僕らの社会学の世界ではオートポイエーシスという考え方があって。歴史社会システム、政治もそうだし人間が作ってきた歴史というのはその歴史を振り返ると人物は出てくるけどその人物が意図して作ったというよりは人間の集合体というか生態系としてその都度その都度そうならざるを得ないというそうなっていくという動きがありそこにたまたまそれを象徴するような人物がいただけなんじゃないかという話なんですけど、だとしたら別に自分も自分が何かを成し遂げるというよりは常に歴史という生態系の中に僕らがいてその一部に僕が乗っかってるだけにすぎないじゃないですか。だから何かを成し遂げようということ自体が教育によって作られたまやかしというか。どうですか。

楊:まさにそういう話をしましたね。

深井:そうです。まったく同じ感覚があって。多分成し遂げたり社会を変えていくことができるという感覚っておそらく啓蒙思想以降に出てきてて。

若新:だよね。この話聞いてよかった。最高です。

樋口:まさにその話したばっかりです。

若新:全く一緒。

深井:理性によって社会を変革することができるという感覚ですよね。それは一面正しいと思うんですけど僕結構傲慢だなと思っていて。だから本当に僕もちなみに若新さんと近くて相当考える子どもで何が正しいかをずっと僕考えたりしてた。一応今のところの結論て人類が今進んでる方向に対しての進み具合を加速させることはおそらく100%正しい。それ以外は全部正しいかどうかはわからないと思って。僕起業して社会に対してやろうとしてるのは人類のメインストリームで流れてる速さを速くするという活動以外は基本的にしないようにしてます。なにが正しいかってのが全部傲慢な判断になるなと思っていて。

樋口:正しさの方に無理やり持っていくというのは傲慢だということですよね。

深井:自分が正しいと思ってても300年後にくそになってる可能性がとても高かったりもするので。だけど今進んでる方向を止めるってできないじゃないですか。さっき言った理由で。乘っかてるだけなんで。止めることも。

若新:生態系ですからね。

深井:変えることもできないんですよ。だったら失敗しようがどうだろうが速くできれば循環が速くなるじゃないですか。

若新:確かに。次に行けます。

深井:そう、次のステージに突入する速さが速くなる。

樋口:失敗してもデータが早く取れるし。

深井:そうなんで、今進もうとしてる方向に対してブーストさせるような動きをしたいというのが僕の考え方です。

若新:しかもお金を稼ぎたいんだったらその流れに乗るしかない。

深井:そうでしょね。リソースが集まる。

若新:流れに乗る。流れに上手に乗ることができた人がその時代で評価されてお金を稼ぐわけだから。じゃあね、その世界は人間の歴史はどうやって作られてるかっていうと一つの生態系なんだと思います。人間一個が生き物なんじゃなくて集合として生き物。NEET株式会社でもすごく感じたんです。もちろんその構成員を入れ替えれば生態系の動きは変わるとは思うけど誰か一人で単純に変わるというものではなくて、この地球上に70億人いるんだったら相互作用によって何かしらの方向に動いていき、それを象徴する活動すればあたかもその人が作ったかのように見えるしそれを加速させれば功績者になるしたまたまその先頭にいるとパイオニアになるということなんだろうなと思っていて。そうするとどんなそれを受け取ってメッセージに変えるかということの方が大事だと思ってるから。僕らはそれは結構その通りでいたし争わないようにしようと思っていて、争わないというのは生態系であるという考え方に逆らわない。その代わりそこの中で僕が違う、例えばロックな発信をするのかどうかというだけの話かなと思ってるんです。

樋口:まさに結構本当にコテンラジオで言ってるようなこと。

深井:近いですね。

樋口:かなり近いんで。

楊:事業をやってるというよりもアートをやってる。

若新:アートもだからそれ本来の生態系的なあり方の一つの解釈になる、アートも。やっぱだからじゃあどうやったらいい仕事に巡り会えるかとかいい人生作れるかって今深井さんが言ったように流れがわからないと乗り用もないから。流れがどこから見れるかって歴史ですよね。

樋口:点じゃなくて線で見る。

若新:絶対絶対。絶対歴史で流れが見える。

深井:綺麗にまとまりました。

樋口:すばらしいですね。

深井:さすがですね。コメンテーター。

樋口:いやあ、という感じなんですけど。最後にじゃあリスナーへ何かメッセージあれば。

若新:そうですね。やっぱ僕は結構今回のコテンさんとの出会いはすごい本当にいいタイミングでいいご縁があったと思っていて。

樋口:嬉しいですね。

若新:僕はネット上でみんな焦って白黒つけるような話に飛びつきがちというか、これはこうであるみたいないいきりだったりとかこっちの方が正しいこっちの方が間違ってるというようなそれは本当に番組の中でも話しましたけどこれは歴史を振り返ってみないとわからないしそんな簡単に結論がでないというのが僕らが生きてる社会だと思う。それよりはじっくり味わってみるというかそれが教養だと思うし自分の人生にもこっちの方が稼げるこっちの方が評価してもらえるってのこれが答えだではなくて起こった現象を俯瞰して捉えるというか自分なりに丁寧に考察できる能力が大事なんだと思う。そういうのってインターネットの中の短い時間で消費されるメディアに乗りにくいんです。140文字とか何秒とか。動画8分以上みないとかある。乗りにくいじゃないですか。そういうところに。でもそういうの別にトイレに行ってる時間に消費するのはかまわないと思うんですけどトイレでスマホみながらでも構わないと思うけど、あえてじっくり時間をとって簡単には答えが出ない曖昧なものを丁寧に学ぶということも必要だと思うし。そういうメディアとしてコテンラジオさんこんだけ人気を得てるということは希望を感じますよね。ちょっと悔しかったんできてみました。

樋口:それは嬉しい。ありがとうございます。ということで、告知等々あれば。

若新:そうですね。一つは実は僕も今回ご縁があったのはポッドキャストでポッドキャストやってみようと思ってyoutubeやろうと思うと毎回髪型を直さないといけない大変。ラジオは音声だけなんで。

深井:そういう理由だった。

若新:ポッドキャスは面白そうだなと思ってやってて、若新雄純の新しい経営はてなという番組を。なんで経営かというと僕の中に経営者としての一面もあるのでポッドキャストとは相性がいいんじゃないか。若新なりに僕の視点で経営っていっても幅広いけどいろんなリスナーさんからの質問に答える若新雄純の新しい経営ていう番組があるのでポッドキャストで検索していただいてみていただければなというのと。あとはもし僕に興味を持っていただければ色々テレビでいうとテレビ朝日系列でお昼やってるワイドスクランブルという番組毎週木曜日にコメンテーターやってるのとたまに金曜日TBSのNスタという番組にも出てます。あとラジオとかも出てますけど入らない地域もあるんですけどネットだとabemaTVのabemaプライムという夜のニュース番組とか。だいたい毎週曜日は変わるんですけどだいたい毎週出てますんでよかったら検索していただいてごらんいただければと思います。

樋口:という感じで。たぶんコテンラジオのリスナーさんと結構親和性が高いと思うので若新さんがやってることってぜひ聞いていただけると思います。ということですかね。いやあめちゃくちゃ楽しかったです。ありがとうございました。

若新:ありがとうございます。

樋口:以上コテンラジオ番外編ゲストは株式会社NEWYOUTH代表取締役そして慶應大学特任准教授などなどをされておられます若新雄純さんでございました。ありがとうございました。

若新:ありがとうございました。

楊:ありがとうございました。

深井:ありがとうございます。

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