#89 高杉晋作 ― 封建社会をぶっ壊す!明治維新序章

【ポイント】
①幕末の時代は封建制の崩壊が世界的に始まっていた時期。江戸幕府の支配力も衰弱し各藩へのガバナンスが昔ほど利かなくなっていた。
②江戸幕府は筆頭老中の阿部正弘をはじめ超優秀な人材が集まっていた組織だった。ペリー来航も事前に把握し一定程度対策を準備していた。
③江戸幕府は各藩からも意見を集めて協力体制を構築しようとするが、雄藩による政治関与の道を開く結果となった。


樋口:今回は、高杉晋作が活躍する、いわゆる幕末の時代背景からお聞きしていきたいなと思います。よろしくお願いします。

深井:よろしくお願いします。まず、この時期ってどういう時期だったかっていう話をしたいんだけど、黒船が来ることは皆さんご存じだと思いますけど、その黒船が来る前の段階から、実は、もう幕府の権力って結構落ちてきてたんですよ。何でかっていうと、これもフランス革命とかでも散々やったんだけど、この前のお金の歴史でもちょっと出てきましたけど、実は世界的に、要は封建制がどんどん崩壊する時期だったんですよ、この時期って。フランス革命の数十年後ぐらいだよね、これって。で、やっぱり封建制が崩壊するって何でかっつったら、これもどっちとものところで言ったけど、ブルジョワジーと呼ばれる人たち、第三の勢力みたいな人たちがやっぱ育ってきちゃう。

樋口:思い出しました。資本主義によって、ものすごい権力が集まってくるから。

深井:そうそう。で、資本主義が何で起こるかっつったら、農業生産力が上がっていった結果、その余剰生産ぶんを生かしたやつらが勃興してきて、その人たちが新しい富を生み出して、その新しく生み出した富をどうするかでもめるみたいな話をしたじゃないですか。それと全く同じことが、実は江戸時代の末期に日本でもやっぱり起こってたんですね。

楊:富の集積の仕方が変わってくるんですよ。

樋口:ブルジョワジーが出てきちゃったってことですね。

深井:そう。それまで、だから封建的な、農業の自給自足的自然経済っていうのをやってたわけ。そこを、商品経済が浸透してきて新しい富が生まれてきた。で、そこに新しい富が生まれるんだけれども、じゃあそれを誰が吸収するか。これを全部商人に吸収させてしまうと、封建制としては崩壊する。でも封建制が全部吸収すると、今度は商人がキレる。だけど基本的に、まあ商人がキレたわけじゃないけど、そういう裕福な人たちが、実力はあるのに吸収されてしまうというところに対してキレていくという構図で、やっぱり同じように崩壊が始まっていくわけです。

樋口:面白い。

深井:これが始まったのが江戸時代末期で、大塩平八郎の乱とか、

樋口:ああ、聞いたことある。

深井:厳密にはさっきのロジックから、ちょっとステップがある話なんですけど、彼の乱は。そういうものが起こっていって、天保の改革というものを幕府がするんですよ。そういう今までのシステムで治めきれなくなったので改革しないとねということで、天保の改革というものをします。天保っていうのは1830年から1843年ぐらいの時期で、幕末直前ですよね。この時期に天保の改革っていうのをやるんだけど、これ、老中、水野忠邦っていう人ね。教科書載ってますよね。この人がやろうとするんだが、幕府がやっぱり腐敗してる。300年近く、二百何十年続いた幕府は、だいぶ腐敗していた。あとは柔軟性が欠如していた。あと、いろんなブルジョワが発達してるんだけども、その人たちが、幕府だけが治められる環境になくて、もう、それぞれの藩、例えば薩摩藩とか長州藩とかそういう人たちと直接つながり始めてた。それによって、幕府が改革をしようとしても、ガバナンスが利かないって、よく僕言うんだけど、要は言うことを聞かせらんない状況ができあがっちゃってて、この改革が思いっきり失敗するんですよ。これによって、幕府主導で世の中を変えるっていうのが一回失敗するんですよ。一方で各藩は、各藩ごとにそれぞれ改革するんですよ。同じように、藩ごとに同じような悩み抱えてたりするんだけど、それを改革していくわけ。

樋口:ちっちゃくやろうとする。

深井:そうそう。その改革に成功した人たちがいるよね。その人たちが、最後、幕末に勃興してくる人たち。

楊:雄藩といわれる、

深井:雄藩っていわれる、

樋口:雄藩。

深井:だから長州、まあ長州って雄藩中の雄藩じゃない(?)。薩摩が雄藩中の雄藩ですよね。薩摩とか、あと土佐とか長州とか、そういう人たちが出てきますと。で、僕、すごい面白いなと思ったのは、明治維新ってすごい特徴的で、フランス革命と近いとはいえ、実は全く別で、フランス革命って民衆が民衆の力によって王権を倒していくみたいな構図だったじゃないですか、貴族とか。

樋口:そうでしたね。

深井:明治維新、全く違うんですよ。明治維新は王権を新しく、さらに強固な王権を作り直そうっていう動きなんですよね、尊王だから。つまり天皇を用意してますよね。天皇陛下のほうが、将軍よりさらに偉いんだぞっていう話をして、そこの権力構造にすべてを組み替えるっていうやり方なんですよ。

樋口:全然違いますね。

楊:ある意味逆だよね、***としてはね。

深井:全く逆です。ベクトルが全く逆だし、そもそも明治維新を起こしている主体者は武士なんです。下級武士とかで農民ではないんですよ。民衆じゃなくて、ごく一部の武士たちが周旋していって、いろいろほうぼう回りまくったりして、あとは、ごく一部の雄藩、さっき言った実力の持っている藩がやってる。その人たちが新しい封建社会を築いたっていうのが明治維新。だから全然違う、フランス革命と。

樋口:全然違いますね。

深井:フランス革命は生存権とかいう考え方を確立していった革命だったでしょ。明治維新は、そういうのを全くなしにして、封建制度をある意味保った状態のまんま、近代化にどうやったら進めるかっていう革命なんです。一定成功するんですよ、それが。で、それが実は、今の日本にもずっと影響を与えてる。

樋口:え?

深井:だって、そのまま封建制、崩壊、一回も多分してないから、日本は。

樋口:今、封建制の中で僕ら生活してる?

深井:封建的だよね、日本って、そもそも。

樋口:ちょっとよくわかってない。

楊:お上の言うことが絶対みたいなところありませんか。

深井:とてもヒエラルキー構造ですよね。で、ポジショニング構造ですよね。ポジションをとても大切にするヒエラルキー構造の中で、利権にまみれたやつじゃないですか。

樋口:そうですね。それって僕は、

深井:別に批判して言ってるつもりないですけど。

樋口:たまたま国民性がそうだと思ってたんですけど、

深井:国民性ももちろんありますけど、やっぱり西洋とかが、いわゆる民主主義的な革命を起こしたのに対して、明治維新がそういうタイプではなかったっていうのはとても大きかったと思いますけどね。

樋口:社会的な構造が一人一人の考え方に影響を及ぼしてる、

深井:もちろんそうですよね。それはすごく及ぼしてると思います。

樋口:しかも、僕、気づいてないですけどね、それに対して。

深井:気づかないですよね。だからフランス革命と明治維新を勉強しないと、それはわからないんです、絶対。でも、二つわかったらわかりますよね。

樋口:俺、ちょっと今、変な汗、じとってかいてるんですけど、

深井:(笑)

楊:(笑)

樋口:何かを、僕、目覚めようとしてるんですかね。

深井:(笑)。でも、本当そうですね。

樋口:え?

楊:そうだよね。フランス革命って、民衆が、もう徹底的に王権を打倒する、殲滅(せんめつ)するっていう方向性で働いてたけど、この明治維新は違うもんな。

深井:明治維新は全く逆のベクトルです。打倒じゃないです。

楊:そうそう。打倒じゃないんですよね。

深井:幕府を打倒してるだけですから。

楊:だから、ある意味イデオロギーベースじゃなくて、もう単なる権力闘争の(笑)、

深井:まあ、ある意味でのイデオロギー、

楊:そう。でもあるよね。

深井:別のイデオロギーです。尊王攘夷っていうイデオロギーです。で、そういうイデオロギーの中から生まれたこの明治維新は、全く実は色が違いますと。フランス革命とかと近い部分もあるし、色が違う部分あって、今の日本にそのまんまつながってますっていう。で、日本はそのまま、第二次世界大戦で負けるまでは、もうずっとそういうのが続いてますよね。負けたあとも続いているとは思いますけど。まあ再三言いますけど、いい、悪いじゃないからね。いいか悪いかじゃないですからね、こういうのは。

楊:権力構造が特殊だったからね、日本は。

深井:そう。その特徴を理解しましょうっていう意味です。で、ペリーが来るじゃないですか。ペリーが来たやつって、幕府は何も知らなかったみたいな感じで多分いわれてると思いますけど、

樋口:黒船襲来みたいな。

深井:はい。実は、もう既に察知してます、幕府は。いわれているよりは全然優秀で、特に当時の老中の阿部正弘さんっていう人は、とても優秀な、超優秀な人。35歳で筆頭老中。

楊:内閣総理大臣。

深井:そう。35歳の内閣総理大臣。

樋口:すごいっすね。

深井:封建社会で、しかも。めちゃくちゃ強いよ。だって25で老中だったよね、確か。

楊:うん、そうそう。

深井:相当やばい。25歳で大臣と一緒です。大臣とか閣僚です。

樋口:めちゃくちゃ優秀やったんですね。

深井:超優秀な人がいて、この人とかはオランダとかから、もう事前に実は情報を仕入れていて、1年、2年以内ぐらいにアメリカ艦隊があなた方のところに来るよということを、実は言ってたんですよ。言ってたというか知ってたんですよ。オランダから聞いてた。だけど、よくも悪くも対策はしてなかった。来たらやべえって思ってたけど、それしか思ってなかった。そういう意味では優秀かどうかは絶妙なんですけど、そういうところはあるんだよね、やっぱ日本人って。
一同:(笑)

深井:来たらやばいな、でも来ないかな、来なかったらいいな、と思ってたら来ちゃった。

樋口:テンパるなあ。

楊:優秀な人材が、すごい実は江戸幕府にたくさん集まってて、僕らが思ってる以上のすごく優秀な組織だったんですよ。ただ、情報収集力はすごく天下一品だったけど、

深井:天下一品。

楊:対応となると、なかなかみんな気が乗らないのもあるし、やっぱさっきも、

樋口:気が乗らない?

楊:うん。さっきも深井くんが言ったように、ガバナンスが各藩に対して弱くなったので、各藩に、例えば海防、海の防衛をしっかりしろって江戸幕府が言っても、別にいいんじゃない?みたいな(笑)、そういうところになる部分もありました。

樋口:ばらばらになりかけてたっていうのも、一個要因としてあるんですね。

楊:そうそう。国として全く統一はできてないですよ、幕藩体制の下では。

深井:特に末期のほうはね。で、ペリーが来るときに、阿部正弘さんとしては、これをどうやって乗り切るかっていうことを考えるんですけど、彼がやったことは、優秀な人だなと思うんだけど、いろんな人から意見聞きたいと思ったわけ。だから、すべての藩からも意見を聞いたし、朝廷も巻き込んで、要は、つまり天皇たちですよね、公家とか天皇とかも巻き込んで、その人たち全員の力でこれを乗り切ろうとするんですよ。それまではそんなことあり得なかったんです。封建制の中で、いかに権利を独占するかっていうのが封建制の基本的なスタンスなんで、

楊:独占する能力も強かったしね。

深井:そうそう。独占する実力もあったし、それまでは幕府も。それをやってたんだけど、ここに至っては、もう相当やばいと。特に彼らはアヘン戦争のことを知ってましたから、中国がどれだけやばい状況になっているか、それが自分たちにとってどれだけ怖いことかっていうことをよく知ってたわけ。麻薬漬けにされて、金を吸い取られ続けてる隣の大国を知ってたから、それについてすごく詳しく知ってたわけ、幕府は。あのようになってはいけない。で、まさか来ないと思ってたけど来ちゃった。これをどうするか、いろんな人から意見を聞こう。で、朝廷と雄藩を集めていろんな意見を聞きます。実はここから幕府が崩壊が始まるんです。

樋口:あら?一見よさそうですよ。

深井:これはフランス革命のときに、

楊:面白いよね。

深井:やりましたよね、民衆を集めて話を聞くっていうのを。ほら、三つの身分を、

楊:三部会。

深井:三部会、

樋口:あった。

深井:集めて意見を聞いたら、彼らが政治に参与する意識を持ってしまったがために、どんどん加速していったという話をしましたけど、同じことが起こるんです。

樋口:うわー。国は違えど。

深井:そう。つまり、ここで朝廷も政治に目覚めしてしまったし、雄藩もここにきて政治に目覚めてしまって、それまで彼らは、やっぱり中央政治に口出すみたいなことはおこがましかったんですよ。だけど、当たり前のことになってきてしまうわけ、そこから。それでどんどん加速していく。でも阿部正弘は優秀だったと思う。でも、それが加速していく。で、これは、僕は本当、システムの敗北だなと思ってて、封建制が、もう対応できないんですよね。こういう外的な、そういう、

楊:イレギュラーな、

深井:イレギュラー案件に、やっぱ対応できないシステム。システムって、今の僕たちの会社とかもそうだと思うんだけど、昔の会社のシステムが、今、対応できないとかも全く同じことだと思うんだけど、このとき日本に起こったのは、やっぱりそれまで、昔のものを守っていくっていうスタンス、あとは独占して権利を限定するというスタンスでしか成り立たないという前提を持った封建制の最大能力を超えた事案が発生したんですよ、アメリカの来航によって。

楊:エイリアンが来たようなもんだからね、本当。

深井:そう。これを乗り越えるためには、システムの変更が、もう余儀なくされたの。これが明治維新だと思ってる。フランス革命もそうだった。

楊:そのシステムをまんまやろうとした動きも、あとで説明は出てくるんですけど、も、あったんですけれども、結局そこでいろんな人を、意見を聞きたいというふうに、権力にアクセスする機会を与えてしまったんですよ。で、結局その中で、じゃあ、要は国を、ガバナンスを利かせていく立場に上っていけるのは誰かっていう話になって、それが、最終的に幕府が競り負けて、長州と薩摩が明治維新に、作ったっていうような流れですよね。

深井:で、幕府は、皆さんご存じだと思うんですけど、条約を結んでしまいますよね、ペリーと。

楊:和親条約。

深井:不平等な和親条約を結んでしまいます。このとき、ちなみに幕府がどんな気持ちだったかっていうのを、ちょっとこれ、知ってたほうがいいんで伝えると、すごく打倒な判断をしてるんです、彼らは、実は。まず、彼らはちゃんと情報を収集しているので、アメリカとか西洋に絶対に勝てないことを知ってるわけ、一番最初の時点で。

樋口:勝てない?

深井:はい。だから攘夷論で、攘夷論っていうのは外国人全員殺すみたいなイメージなんですけど、超簡単に言うと。その人たちは何でそういうことを言ってるかというと、ファクト認識してないんだよね、やっぱ一つは。

楊:実力差。

深井:実力差、理解してないわけ。

樋口:知らない、勝てると思ってるんですね。

深井:思ってる。だって海外知らないから。一切、今まで鎖国してて情報入れてないから。幕府は、自分たちだけ入れてるわけ。で、それを開示してないから自分たちは知ってる状態で、絶対に勝てないっていうことがわかってる。しかも、その当時の幕府は財政がものすごく枯渇してきてるんですよ。ここもちょっと、さっきのブルジョワジーの勃興と関係しますよね。フランス政府もそうでしたよね。

樋口:力が弱くなってきてるんですね。

深井:そう。もう財政枯渇というか、だめになっていってる。その中で戦争するわけにはいかないんですよ、幕府としては。だから戦争を何としてでも避けたい。だけどアメリカは、ものすごい強硬姿勢で和親条約を求めてくる。これをどうすればいいかっていうのはわからないから、いろんな人を集めて話を聞いて、全員の意見を集約させて、全員の合意形成を取ろうとしたんです、彼らは。でも全く取れなかったの(笑)。全く取れないっていうのが出発点となるんだよね。

樋口:でも取れない理由もわかりますね。

深井:わかるよね。

樋口:まず情報が正確に認識できてなかった、全員が、っていうのと、そもそも権力自体が落ちてきてたという。

深井:そう。だからこれが封建システムの、やっぱ限界だったわけよ。

楊:もう各藩も力を持ってきてるし、自分たちの思想を持ち始めている藩も出てきたからね。独自性を、出てきたぶんもあるから。

深井:そう。自分たちの意見をやっぱりそれぞれが持ち始めて、で、その意見を持ってる人たちっていうのは、ごく少数の知識人たちなんですよ、基本的に。佐久間象山とかね、有名なので言うと。長州で言ったら長井雅楽っていう人とか、こういう、すごく勉強してる儒学者みたいな人たちが、じゃあこの国はどうすべきかっていう大戦略を、ばんって作るんです。で、それを藩が踏襲するというか、この案を採用しますみたいな採用の仕方をするんですよ。そういうかたちで、藩論っていって藩の方針が決まっていくんですけれども、この藩論を決めていったときに、その次の担い手として出てくるのが下級武士たちだったんですよね。ちょっと飛躍があるんですけど、構図としては、幕府が対応できない、で、その幕府が対応できないときに、幕府にサポーティブではなく反対的に活動してしまう人たちっていうのは、今の封建社会の中で虐げられてる人たちです。

樋口:ちょっともう一回言ってください。幕府が、

深井:幕府のことを好きな人たち、要は幕府の中で、おいしい蜜を吸ってる、甘い蜜を吸ってる人たちは当然幕府を助けます。

樋口:そうですね。犬になっておいたほうがいいですからね。

深井:はい。幕府を助けない人たちって誰か。甘い蜜が吸えない人たちですよね。

樋口:ということですね。

深井:これが下級武士とか、あと幕末の雄藩は全員そうです。この人たちは関ヶ原の対戦で負けた人たちです。要は徳川家康に貶斥(へんせき)された人たち。いわゆる外様大名と呼ばれる、まず長州藩は、その大筆頭ですね。家康の、

楊:毛利だよね。

深井:相手は毛利だったんです。毛利輝元?

楊:うん、そう。

深井:だったんですよ、大将がね。石田三成は位が低かったんで輝元を大将にした。で、この人が負けたので、長州は、いわゆる大決戦で負けた最大の敵だったわけです。薩摩もそうですよね。

楊:うん。外様だよね。

深井:外様なんですよ。

楊:外様大名ですよ。

深井:関ヶ原で負けたほうです。

樋口:優遇されてないんですね。

深井:そう。この人たちは、ずーっと幕府のことが大っ嫌いだったんですよ。江戸初期からずっとね。その恨みをためにためて、ため続けていて、それでこのときに爆発して倒すっていう関ヶ原以来の構造です。

樋口:え?だって何百年たってんすか。

深井:300年、300年もたってないわ。

楊:250ぐらいかな。

深井:250年ぐらい、260年ぐらい。

樋口:いや、それが歴史は面白いなと思うんですけど、

楊:感覚で言うと、幕府って言うと、もう徳川家ですよね。だからみんな、一応日本にはたくさんの何々家がある、で、徳川家が関ヶ原で勝ち組になって、一応はみんなのまとめ役みたいになってるけど、それは負けた側からして、領地とかも削られたりとかして、そりゃあ、それは確かに、今おまえは上に立ってるけど、俺んちもちゃんと、もうどんどん金ためてきてるぞみたいな、っていう、やっぱそういう思想もありますよね、徳川嫌いの。

樋口:すごいな。だって当時の人間、全員死んでるじゃないですか、300年前だから。でもその意識だけ残ってるっていうのは、何か終段(?)面白いなっていう。

深井:で、その中でも下級武士たちは、さらに、自分がその封建制の中で出世もできないんで、封建制だと自由がないからね、その人たちのエネルギーが爆発していくっていう構図なんだけども、この人たちも頑張るんだけど、フランス革命との明確な違いは、彼らは誰かに力を借りるかっていったら、封建社会の上のほうの人たちの力を借りていくわけです。坂本龍馬も資金調達するときに、いろんな大名からお金を集めているし、いろんな下級武士たちは動くんだけど、晋作もそうですよね、晋作も毛利の殿様からいろんな援助を受けながらやる。これがもう、全く明確に違うところですよね。

樋口:権力を取るために、権力を、権力をっていって、飲み込んでいくみたいな感覚ですよね。

深井:そうそう。

楊:もう一個、これもあとで出てくる論点だけれども、藩論っていうのがあるよね。要は藩の世論っていうのがあるんですよ。藩の世論が、ある時期、尊王攘夷に傾いたり、ある時期、鎖国派っつって、江戸幕府を助ける、江戸幕府をそのまんま、生かしたまんま開国していくとか変革を遂げていくっていう、いろんな世論が藩の中でも揺れ動くので、その中でまた、高杉晋作とかいろんな藩士の動き方も変わってきたりもですよね。

深井:変わっていきますね。だから、そこをすごい注目してみると、より理解しやすいです、今の構図を。下級武士が頑張るんだけど、結局権力ある人から借りながら、古い権力を、同じく古い権力のもう少し下の人たちが倒していって、さらに一番古かった権力を持ってくるっていうのが(笑)、明治維新ですよね。面白いですよね。

樋口:面白い。最後の一番古かった権力っていうのが天皇ですね。

深井:天皇です。そうです。あと、これ、今、日本側の話なんだけど、ペリーについても、ちょっとちゃんと伝えていきたいなと思ってるんですね。ちょっとヤンヤンのほうから、じゃあペリーについて。

楊:意外と皆さんっていうか、僕もそうだったんですけど、ペリー何で来たの?って、多分勉強したことないと思うんですよ。

樋口:確かに。

楊:アメリカ人だっていうことぐらいしか知ら***(笑)、マシュー・ペリーっていう人です、全名は。

樋口:俺、ペリーって、ニコ動か何かで一回バズったペリーのフラッシュ動画とかしか、

楊:(笑)

深井:ああ(笑)。開国してよ、のやつね。

樋口:開国してよ、しか知らないんで。

楊:知ってます。見ました。
一同:(笑)

樋口:ちょっとペリー知りたいです。

楊:まずペリーが日本に来たときって、もう60歳なんですよ。

樋口:え?おじいちゃん?

楊:結構じいちゃんです。

深井:じいちゃんだね。

楊:で、日本を開国させたっていうのが、彼のキャリアの中での最後の仕事です、実は。で、彼は何者かというと軍人です。もう本当に、十何歳からずっと海軍一筋でキャリアを積んできて、今のアメリカでも結構偉人として尊敬されてるんですよね。アメリカの海軍ってあるじゃないですか。海軍に蒸気船を導入した偉人として、すごく記憶されてるみたいですよ。

樋口:すごいんだ。

楊:で、彼が何で日本に来たのかっていうと、これはマクロの話とミクロの話があって、マクロで言うと、当時、植民地の時代ですよね。西洋列強がアジアとかいろんなところに進出して、植民地を持ったりとか、あるいは中国みたいに、もう香港とかを租界にしてのさばってきたりする時代が、それがもう当たり前とされてるんですよ。もう海外に植民地とか一つぐらい持たないと文明国じゃないよねみたいな、そういったことが当たり前の弱肉強食の時代だった中で、アメリカって出遅れてるんですよね。なぜ出遅れてるかというと、建国してまだ若いからね。まだ100年もたってないような、60年か70年ぐらいしか建国してないんですよ、日本に来たときって。で、彼らの国として大きな課題だったのは、早く海外に行かないといけない。早く海外に行って、植民地なり租界なりを作っていろんな国と貿易しておかないと、もうこの西洋列強の中で競り負けるんだぞっていう大きな目標があったんですよ。で、アジアに進出してくるというふうに動くんだけれども、大きな問題があって、アジアに進出くるには船が必要ですよね。で、船って何が一番大事かというと補給が大事なんですよ。もうずっと、燃料だったり食料だったり、あるいはいろんな物資だったりとか、だから、いろんな港に寄港しないと長いところまで行けないんですよね。で、当時アジアでの港のほとんどはイギリスのものだったんですよ。思い出していただきたいんですけど、アメリカってイギリスから生まれたんですよね。イギリスから独立して生まれたんですよ。だから、ある意味で言うと、敵とまではいかないまでも、要は、元の宗主国に対するライバル意識っていうのがあるんですよね。だから、一応イギリスの港とかにも借りて寄ったりもするんだけれども、いつこの物資を止められるかってわかんないんですよね。そのリスクが実はあったんですよ。だから、その港をどんどんアジアで作りたいっていうふうに考えて、その中で一つ、日本が選ばれたという。

樋口:もうじゃあ、完全に拠点にしようと思って、占領としようと思って。

楊:そうなんですよね。ただ、当時の日本っていうのは、もう鎖国してるんで、鎖国っていうか貿易制限政策っていうことを取ってるので、基本的に中国とオランダでしか貿易してはいけなかったんですよね。だから、そこを何とかしてこじ開けて、日本と海外との、要は、彼らにとっては戦略的な条約を結ぶためにどういうふうにするのかっていうのを、その役割を担ったのがペリーなんですよ。それは、もう国から命令を下されて、

樋口:お達しが、

楊:そうそう、辞令が下されて、それで来たんですよね。

深井:しかも、めちゃくちゃ勉強してきたらしいですね。日本について、かなり、出版されてる本をすべて読んで、どういうふうな戦略で日本人を説得すればいいかみたいなので、すごいプライドの高い民族だということを知ってたらしくて、賢くてプライドが高いみたいな。で、それをどうやったら説得できるかみたいな。

楊:そうなんですよね。一つは、さっき天皇と将軍とかの話が出てきたじゃないですか。日本での二重権力の構造ですよね。権威を天皇が担って、権力を江戸幕府が担ってるんだと、それを理解してるんですよね。理解してるのもあるし、彼が、彼っていうかアメリカが、アジアでどの国と最初に手を結ぶか、深い関係を築くかって、いろいろ考えた中で何で日本になったのかっていうのも一つ大きな原因があって、

樋口:ああ、知りたい。

楊:実は、別にペリーが最初に日本に来た人じゃないんですよね。実際幕末にかけて、周辺にいろんな国からの船が、実は結構接触してきてるんですよ。遭難したりとか、あるいは本当にペリーみたいに、ちょっとうちと貿易しようぜみたいな、結構そういうのあったんですよね。で、あるときアメリカの戦艦が、実は遭難した人を江戸幕府が受け入れたことがあるんですよ。で、その際のちゃんとした対応を見て、この国はちゃんと、まあ文明国までは言わないけど、ちゃんと、

樋口:野蛮ではないと。

楊:野蛮ではないな、ちゃんと話のわかる民族だなっていうふうに思われたのが、一つ理由としてあります。

樋口:だから、賢いとは思われてたってことですよね。文化レベルは、

深井:そうですね。結構やっぱりアジア人のことを相当ばかにしてたんで、彼ら。

楊:そうそう。人間とは、

深井:その中で、だいぶ話のわかるというか、優秀なほうだと思ってたらしいです。

楊:そうそう。ちゃんと遭難した人を大事にして、牢屋の中でもすごい広い牢屋をあてがわれて、布団とかめしとかも、絶対欠かせないようにしたんですよね。で、最終的に、その遭難したアメリカの水兵みたいな人が、船の上よりも牢屋のほうがよかったみたいなことを(笑)、言ったといわれています。それと、もう一つちょっと補足したいんですけれど、アメリカがというか列強が、海外に進出していく一つの理由ですよね。当時イギリスの産業革命をはじめとして、産業が勃興してきたんですよね。で、産業勃興する中で一番大切なのは何かっていうと、エネルギーなんですよ。石炭とかですよね。で、その中で、石炭とかいろいろエネルギーの中で何が大事かっていうと、鯨油、クジラの油なんですよね。なぜかっていうと、クジラの油って、当時、石油が発見される前に、照明用の、こういうライトを照らすための一番メインの燃料だったんですよ。要は産業構造の基本を支えるエネルギー源だったんですよね。何でライトが大事かっていうと、工場が出てきたんですよ。で、工場って24時間稼働とか、夜になっても稼働させるじゃないですか。ああいう照明需要がものすごく出てきたんですよね。

樋口:夜でも働けるように。

楊:そうです。だから当時、列強の中で海外に出ていく船、もう本当に多くの捕鯨船が出ていったんですよね。日本の周りでも、確かアメリカの捕鯨船だけでも、実は年間300隻ぐらい、もうクジラを乱獲しまくってた。その際に、やっぱ遭難とか出てきたりするので、じゃあ、その遭難民を収容したりとか対応したりとかするための対応を、おたくの国でちょっとやってくれんかとか、あるいは、その捕鯨船のための補給基地のために港を開いてくれんかっていうニーズもありました。だから、単に貿易のためにアジアに進出してきたわけではなくて、エネルギー源を確保するための捕鯨船を、それを保護するために出できたっていう大きな原因もあります。

深井:複合的な原因だよね、だから。そういう補給地が欲しいとか、捕鯨とか、あと港を開きたいとかね。あとは、ほかにもう植民地残ってないから早く行かなきゃっていう焦りであるとか、そういう複合的な理由から、早めに行かないといけないんで来ましたみたいな。

樋口:でも、来るべくして来たみたいな感じしますよね。

深井:そうですね。来るべくして来てますね。で、当時イギリスとか、もうそろそろ終わりますけど、イギリスとかは、やっぱり中国とかインドとかの植民地で結構苦労してたんで、もうそれ以上新しいとこをばんばん増やすみたいな感じではなくて、日本にも思いっきり戦争仕掛けるみたいな、もうやりたくないなみたいな感覚があったので、攻めてきてるわけではない。

樋口:パートナーシップ組んで、みたいな感じがあったんですかね。

深井:うん。いろんな本あるけど、そうやって攻めてきてるわけでもないのに攘夷の人たちは過剰に反応しすぎだ、みたいな本もありますけど、僕、結構とんでもねえな、それはと思ってて、あの態度で来られたら、そりゃキレるよって思うよ。

楊:(笑)

樋口:結構がっつり、

深井:もうがっつり、全然失礼です、本当に。対等ではないですよ、全く。それはちゃんと反抗するというか、こちらがちゃんと、外国戦略としてもそうですけど、しっかりとそうやって反抗の意を示したからこそだと思いますよ、あのあとの発展は。あそこでびびってたら、もう全く違うことになってるんで、やっぱり攘夷ではロジカルではないし、むちゃくちゃなことは言ってるけど、やっぱりあの精神自体は、あれぐらいの感じでいったことが結果的に、やっぱりブランディングにはなったんじゃないかなと思ってますけどね。

楊:ペリーなんて手紙の中で、日本を開国させるには、もう脅ししかないよねって言ってますからね。

深井:でも思ったより脅せてないからね、彼らはやっぱり。もっと簡単に脅せると思ってましたからね。

樋口:じゃあ結構強く反撃したっていうのが、

深井:そう。めちゃくちゃ、思ったりより全然みんな、すごく反撃してくるわけ。それはすごく手を焼いたというか、好きにできるという感覚がなくなっていったと思います。

楊:そうだよね、中国の清と違って。清は、自分の実力差を全く自分で自己分析できてなかったと思うよね。

深井:自己分析もしないし、ほかの国に興味ないからさ、中国王朝って。で、分析もしてないし、やっぱ来たときに、反抗もすごい少ないというか、規模に対して。自分たちのでかさに対して、反抗規模もやっぱりすごい少なかったりだとかしてたから、それに比べればね。

楊:うん。江戸幕府はよくやったと思うよ、普通に。

深井:よくやったと思う。本当システムの敗北って感じ。あの制約条件で、はい、どうぞ、じゃあ江戸幕府、この条件で経営してください、ぼーんって渡されたら、むずいでしょうね(笑)。

楊:だって植民地にされてないのがすごいよね、本当に。

深井:すごい、すごい。

楊:普通にすごいよ。

樋口:僕とか、もうそこすらも知らない状態で、いろいろ、普通に生きてますから、今、日本で。

楊:当時の、ある列強が、ほかの国と取り結ぶ関係って四つしかないんですよ。列強同士の関係、植民地関係、で、不平等条約関係。あ、三つか。あ、四つか。

深井:三つね。

楊:三つか、ごめんなさい(笑)。
一同:(笑)

深井:三つな。

楊:ごめんなさい。その中で、もう植民地にされないのが、自体がすごかったですよね。

樋口:普通に僕が、教科書で読んで、ふーんとか言ってたぐらいのことが、結構ひもといてくと、こういう状況だったっていうのが。

深井:そう。だから、みんな本気で考えて、こういう結果になったってこと。ばかじゃないってことです、この当時に生きてた人たち全員がね。

樋口:なるほどですね。やっと時代背景がインストールされた感じがします。ということでございまして、次回は、いよいよ高杉晋作の人生を、まずは幼少期から深掘りしていきたいと思います。よろしくお願いします。

深井:はい、お願いします。

楊:ありがとうございます。

関連エピソード